第275話 七階層で
修行空間のダンジョン七階層。
到着と同時に僕が見たのは花畑だった。
色とりどりの花が咲いている。
花の香も凄いのだが、どれがどの花の香かわからない。
ただ、この香り、どこかで嗅いだような気がするんだよな。
今日、ミントといったスライム花の花畑とはまた違う香りだ。
だとすると、いったいどこで?
と思っていると、前世の記憶が蘇った。
「……前世で嗅いだトイレの芳香剤みたいだ」
なんで花畑で最初に思い出すのがトイレの匂いなのだろうか?
自分の匂いの思い出の貧困さに嫌気がする。
散らかっている部屋に入ったとき、「足の踏み場もない」と表現することはあるけれど、花畑のど真ん中に入ってこの表現を使うことになるとは思わなかった。
花畑に入ってはいけませんって子供の頃に言われたことがある。
前世の母親からも、庭で家庭菜園を育てていたエイラ母さんからも。
だが、どちらの母親からも、花畑しかない世界にやってきたらどこを踏んで歩いたらいいか教えてくれなかった。
「凄い綺麗だね、セージ」
アウラが花畑を走り回る。
「アウラ、花を踏んでもいいの?」
「……? だって、踏まないと歩けないよ? それに、セージ、一階層でも普通に草を踏んでたし、四階層でも木の根っことか踏んでたよね?」
確かに踏んでた。
そう言われたら、花だけ特別視して――
「でも、花が踏まれたら花びら取れたりしない?」
「踏まれて強くなる子もいるし、踏まれたことで受粉する花もあるし。それに、踏まないとどこも歩けないよ?」
確かに、これ、踏まないといけないな。
心を強くするんじゃない、心を殺せ!
僕は一歩前に出る。
心が死んでいない。
花を踏み潰す罪悪感に心が苛まれる。
まさか、七階層にこんな罠があるとは。
「セージ、七階層ってどんな魔物がいるの?」
「七階層にいるのは、まず巨大バチのキラービーとクイーンビー。あとレアモンスターのハニービー。この三種類が蜂の魔物だね。キラービーはあちこち飛んでくるけど、クイーンビーは巣の中から出てこないみたい。ハニービーは大人しい魔物で、身体の中に蜜をため込む性質があるんだって」
「アウラ蜂蜜好き」
「他に、マンイーターっていう食人植物、ボムベリーっていう爆発する木の実みたいなのも魔物みたい。花を主食としているフラワースライムってスライムの亜種と花に擬態しているフラワーキラーっていうカマキリみたいな魔物」
「それとアルラウネだね!」
アウラが言った。
その表情はいつも通り笑顔だ。
「……うん。そうだね! よく覚えてたね!」
「覚えてるよ。アウラもアルラウネなんだもん」
アウラが得意げに胸を張る。
アウラにアルラウネが七階層にいると話したのは、彼女に出会ったばかりの時のことで、それ以降は二人の会話に上がる事はなかった。
「でも、アルラウネは数があまり多くないそうだから、会えるかどうかわからないよ」
「うん、わかってる。でも、会える気がするんだ。ふふ、友達になれたらいいな」
アウラがそう言うと、蔓を地面に突き刺した。
そして、蔓を伸ばして自分の身体を持ち上げる。
上空から周囲を見ているんだろ。
「セージ、見つけたよ!」
アウラが大声を上げて僕に発見の報せを出してくる。
心臓の音がドクドクと聞こえてきた。
「あっちに出口がある! それと大きな蜂もいるよ」
なんだ、出口か。
これまでも、まずは出口を確保してから魔物退治ってのが常だったから、彼女の反応は当然だ。
いつも通りじゃないのは僕だけか。
降りてきたアウラと一緒に、彼女が見つけた出口へと向かって歩く。
アウラが言っていた蜂っていうのはやはりキラービーだった。
体長60センチくらい、お尻のところに大きな針のある蜂の魔物だ。
あんなのに刺されたら無事じゃすまない。
ていうか、よく飛んでいられるなって不思議に思う。
「風の刃!」
不可視の風の刃がキラービーに向かって飛んでいく。
これは避けられないだろう――って思ったら、避けたっ!?
空を飛んでいるから風に敏感なのか。
「えいっ!」
アウラが蔓を伸ばしてキラービーに攻撃をするが、それを躱してこちらに接近してくる。
このままでは危ないと、僕は別の魔法を唱える。
「ウィンドシールド!」
風の防壁を展開。
本来は矢を弾き飛ばす時に使うもので、突進してくる魔物を止める程の力はないのだが、空を飛んでいるキラービーが風の波に翻弄される。
そして、風が止まったタイミングで、
「雷の矢!」
去年覚えて使う機会がほとんどなかった雷の魔法を放った。
風よりも遥かに速い光速の雷に貫かれ、キラービーは息絶えた。
風の刃より消費魔力が多いから使用は控えたかったのだが、そうも言っていられないか。
「強かったね」
「うん、さすがに七階層ともなると一戦一戦慎重にならないと」
「戻って六階層でレベル上げする?」
「それも――ううん、そこまでは必要ないよ」
それもありかと思ったけれど、僕はクビを振って否定した。
きっとそれは逃げているだけだから。
そして、僕たちは出口に向かって歩いた。
花を踏む罪悪感を失っていることに気付かないまま。
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