第88話 セージのいない夜

 私の名前はラナ・スローディッシュ。

 スローディッシュ男爵家の長女で、セージの姉よ。

 セージっていうのは私の弟の名前。

 セージ・スローディッシュ。

 まだ五歳なのに小難しい言葉を使って、時には姉である私をバカにした言動を取ることもあるけれど、とってもかわいい弟よ。

 かわいいってところに異論は認めないわ。

 セージと出会ったのは五年前――つまり、セージが生まれたときになるんだけど、セージがまだエイラ母さんのお腹の中にいたときから声を掛けてあげていたから、本当の出会いはもうちょっと前になるのかな? 顔を見ていないから出会っていないのかな? そんな細かい違いはわからないから、とにかく五年前でいいの。

 五年前、セージが生まれてすぐに顔を見たんだけど、小さくて壊れそうで、でもかわいくて大事にしなくちゃって思ったわ。二歳の時の記憶なんてほとんど忘れちゃったけれど、でも、そう思ったってことだけはちゃんと覚えてるの。

 ちゃんと文字に書いて……あぁ、この落書き……うん、落書きね。我ながら文字っていう言葉の意味を考えさせられる力作なのはわかってる。

 セージがこの文字を見たとき、「ラナ姉さんは文字という概念を一から学んだ方がいいよ」なんて生意気なことを言ってたけど、とにかく、この文字に私の意思表明が書かれているの。

 絶対にセージのことは私が守るって。


 でも、今日はそのセージが家にいないの。

 父さんと一緒に、王都にいる婚約者に会いに行ったの。

 まだ五歳なのに婚約者がいるって変な話よね。私だってまだ婚約者はいないのに。

 しかも、相手はメディス伯爵家のお嬢様。

 伯爵家のお嬢様ってだけで気に喰わないわ。

 王都って、聞いた話だと魔物を退治せずに、スライムを買ってレベルを上げたりするんでしょ?

 そんな女性にセージのことを守れるとは思えないわ。


 そのことをセージのいないところでロジェ父さんに話したら、


『普通、男の子が女の子を守るものだと思うよ』


 って言われたの。

 おかしな話だと思ったわ。

 だって、セージって本当に弱いのよ?

 たまにセージが庭で素振りをしているところを見たことがあるけど、まったくなってないわ。

 あんなんじゃ、ゴブリン相手ならなんとかなっても、それより強い魔物相手にまともに戦えない。

 私が五歳の時だったら、セージの数倍の速度で素振りをして、風を切る音も聞こえてたのに。

 まぁ、私が使えない魔術を使えるのは確かね。

 エイラ母さんからセージの魔法はどのくらい凄いのか聞いたら、王立魔法学院に奨学生として無料で通うことができるくらいの実力だって言われた。

 本当は学校に通うのって凄くお金が必要なんだけど、それが無料になるって確かに凄いわよね。

 でも、セージは学校にはあまり興味がないみたい。


『別に義務教育ってわけじゃないんだし、わざわざ学校に行かなくても魔術なら教えてくれる人がいるからわざわざ王都まで行かなくてもいいと思うよ。あ、でも、ラナ姉さんと離れて自由になれるのはいいかも』


 余計なことを言ったので、あの時はつい手が出たわ。

 とにかく、セージは魔術については天才らしいの。

 でも、魔術って戦闘においては後衛で、連続で使えないから誰かに守ってもらわないと戦えないってロジェ父さんから聞いたわ。私たち剣士の役割は、敵を倒すことと同時に、そういう後衛の人を守るのも役割らしいの。

 やっぱり、セージには守る人が必要なの。


「はぁ……セージ、今頃何してるんだろ。大丈夫かな?」


 スープ皿に残った玉ねぎをスプーンでつつきながら、私は呟く。


「食べ物で遊ばないの。ロジェが一緒なんだから大丈夫よ」


 エイラ母さんは上品にスープを飲みながら言う。

 確かに、ロジェ父さんは強い。

 私が知ってる人の中で一番と言ってもいいと思う。

 でも、心配なのは心配。

 見送るとき、そっけない態度で見送ったけど、馬車が見えなくなったら胸が苦しくなったくらい心配。


「……ねぇ、エイラ母さん。私たちもやっぱり」

「留守を任されてるのに行けるわけないでしょ」

「本! ゼロの本! エイラ母さんが買いたい本!」

「……ラナ、いいから食べなさい」


 怒られた。

 小さい声だけど怒気が籠ってた。

 私が我慢しているんだからラナも我慢しなさい。

 そう言っているようだった。

 これ以上余計な事を言ったら、本当に殴られそうな声だ。

 私は黙って、残っているスープの具を口に入れる。

 隣の席を見る。

 やっぱり、いつもはそこに座っているセージがいない。

 エイラ母さんがため息を吐いて、私に一つ提案をしてくれた。


「そんなに心配なら、バズが来たときに手紙を届けてもらったらどう?」

「それは面倒だからいい」


 手紙って何を書いたらいいかわからないのよね。

 それに、お金だってかかるし。


「……はぁ……ラナ、そんなんだと恋人ができてもうまくいかないわよ。明日は一日、手紙の書き方について勉強ね」

「え? 明日は剣の稽古――」

「ロジェがいないんだから中止よ。ちょうどいい機会だし、ロジェとセージが帰って来るまでの間、みっちり勉強に向き合ってあげるわ! 貴族の手紙は言い回しが独特だから、きっといい勉強になるわよ」

「いやぁぁぁぁぁあっ!」


 セージ、お願い!

 早く帰ってきて!

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