第82話 森から出たゴブリン

 ハイエルフたちは木材を自分たちで加工して家を建てるらしいので、後のことは任せて僕は屋敷に戻った。

 ゼロも一緒だし、大丈夫だろう。

 さて、昨日も今朝もいっぱい歩いたし、今日はゆっくり休もう――


「セージ! ゴブリン狩りに行きましょ!」


 ラナ姉さんがいる場所で休もうだなんて、無理な話だったようだ。

 迷惑な話だ。


「ラナ姉さん、僕はまだ森に入れないよ。父さんと母さんに止められてるから」

「最近、ゴブリンが森から出て来てるのよ。だから問題ないわ! 母さんはバナーシャさんとお茶会だし、父さんは森に異変があるんじゃないかって調査に行ってるから止める人もいないわよ」

「問題しかないよ! 森に異変があるかもしれないって、危険ってことじゃない!」


 まぁ、父さんが出向いたのなら危険は無いけれど、でも今日は家で養生するって決めたんだ。

 修行空間ではハイエルフたちが忙しく家を建ててるから、そこで休むのは一人怠けてるみたいで嫌だし。

 僕は咄嗟に、今から使える百の言い訳を思い浮かべる。

 ふふふ、今日の僕の理論武装に敵はない。


「そう、仕方ないわね……」


 あれ? ラナ姉さんが珍しく引き下がった?

 もしかして、今日の僕はラッキーデーじゃないだろうか?

 百の言い訳は無駄になったが、武装解除で平和条約を結ぼうじゃないか。


「私に逆らうのが危険か、ゴブリンと戦うのが危険か、その身で味わってみなさい」

「いたいいたい、頭蓋骨が悲鳴をあげる! 僕も悲鳴をあげる!」


 単純な暴力という名のアイアンクローで、百の言い訳理論武装を突破してきやがった。

 ……理論武装は、本物の武装の前では役に立たないことが証明された。


「セージ、剣は?」

「弓矢があるからいいよ。あと魔法も使えるし」

「あんた、弓なんていつの間に練習したのよ」

「姉さんがいない間だよ」


 修行空間で使っているものと同じだ。

 地球だと、五歳児の力で引く弓矢なんて大したことはないけれど、こっちの世界だとステータス補正のお陰で、僕のような子供でも一流の弓使いになれる。

 ただし、七歳の女性の握力で頭蓋骨が悲鳴を上げてしまうというデメリットもあるから、ステータス補正万歳と声を上げていうことはできない。

 うん、メリットよりデメリットの方が遥かに大きいぞ、畜生。


 ラナ姉さんと一緒に草原に移動する。

 ゴブリンがいるって言ってたけど、見つけたのはスライムだった。

 経験値1の魔物。

 異世界通販本の価値からいえば、倒せば1円の価値がある。

 日本にいた頃、こういう話を聞いたことがある。


『落ちている1円玉を拾うのは、1円以上の労働コストを必要とする』


 スライムだって、ナイフを入れて潰そうと思ったらかなり手間がかかる。

 今日は見逃す――いや、姉さんに見逃すって選択肢はないか。


「スライムね。放っておきましょ」

「え? 倒さないの?」

「後で生け捕りにしたら、お小遣いが貰えるでしょ? ゴブリンもいるのに倒さないわよ。スライム一匹倒すより、ゴブリンを倒した方が経験値も高いわ」


 ラナ姉さんが珍しく計算をしている。

 そうだ、母さんがラナ姉さんが算術をできないと不満に言っていたけれど、経験値の計算だったら覚えが早いかもしれない。

 試してみよう。


「ラナ姉さん、問題。『経験値1のスライム3匹と経験値5のゴブリン5匹が現れました。ゴブリンに2匹逃げられたけれど、その他は倒せました。経験値は合計いくらになったでしょう?』」

「は? なんで勉強みたいなこと答えないといけないのよ」

「いや、ラナ姉さんって魔物の経験値とか考えてるから、今の問題も解けるかなって思って」

「そんなのわかるわけないでしょ。経験値がいくら入るかなんて考えてる暇があったら、さっきのスライムを倒してる方がマシ。それに、私ならゴブリンに逃げられるヘマなんてしないわよ」


 ダメだ。

 ラナ姉さんの解答が僕が思っている以上に豪快だった。

 まさか、問題文でゴブリンに逃げられたことにまでクレームを入れてくるとは。


「それより、ほら、いたわよ」


 ラナ姉さんの指差す方向を見る。

 あ、本当だ。ゴブリンが森から出てきている。

 群れではなく、単独で。


「よし、セージ! 魔法で退治しなさい!」

「え? 僕が?」

「そうよ。なんのためにあんたを連れてきたと思ってるの!」

「……嫌がる僕を見て楽しむため?」

「そうね。右手と左手、どっちを握りつぶされたい?」

「僕の両手を握って不吉なことを言わないで! どっちも握りつぶされたくないよ」

「じゃあ、どっちも握りつぶしてあげるわ。嫌がるセージを見て楽しみたいし」


 なんとか両手の感覚が残っていた。

 ……痛みも残ってるけど。


「あんた、秋には教会でステータスカード発行されるから、それまでにレベルを上げないとダメなんでしょ? スライムだけだと時間がかかるから、ゴブリン退治をさせてあげようって思ったのよ」

「あぁ、そうなんだ」

「何よ、不満そうね」

「そんなことないよ。弟想いの姉を持って幸せだなって思ってたんだ。それより、ゴブリンが来る」


 ゴブリンは人間を見たら襲って来るけれど、バーベキューなどをして匂いでおびき寄せない限り、自分が不利だと悟れば逃げ出す。今回は子供二人ということで、自分が有利だと思ったようだ。

 弓矢だったら避けられる距離なので、魔法で攻撃をする。

 

「ウィンドカッター!」


 不可視の風の刃がゴブリンに飛んでいく。

 一撃で仕留めた。

 うん、ゴブリンは殺し慣れている。


「へぇ、はじめてにしてはやるじゃない」


 そう言って、ラナ姉さんはゴブリンの死体から右耳を切っていた。


「食べてもいいけど、お腹壊しても面倒は見ないよ?」

「食べないわよ! ゴブリンの右耳を持っていけば報奨金が出るのよ」

「え? でも魔物って退治しても復活するよね? それなのに倒す意味ってあるの?」

「私も詳しくは知らないけど、魔物は倒してもまた現れるけれど、復活するまで時間がかかるし、人のいる場所の近くには現れないの。だから、倒すことに意味はあるらしいわ」


 あぁ、そのあたりは魔王と一緒か。

 倒してもいずれは復活するけれど、その間束の間の平和は保たれる――みたいな。

 ちなみに、ゴブリンの右耳一個で銅貨三枚らしい。

 本当にお小遣い程度の稼ぎだが、僕はゴブリンを倒しても経験値5――つまり5円分の稼ぎにしかなっていなかったことを考えると結構いい値だ。

 修行空間の二階層で狩ったゴブリンの右耳を持っていけば――いや、さすがにあの数のゴブリンの耳を持っていけば、ゴブリンが大量発生したのではないかと疑われる。

 それに、報奨金を払うのはその土地の領主――つまりロジェ父さんになるわけでやっぱり意味はない。

 だったらラナ姉さんもゴブリンの耳を取る必要はないと思ったんだけど、そうじゃなくて、通りがかった人間が死んでいるゴブリンの右耳を見つけて自分が退治をしたと偽ってしまわないように、右耳を取っているらしい。

 別にラナ姉さんが報奨金を貰うわけではないそうだ

 ちょっとだけ見直した。


「さて、じゃあ帰ろうか」

「何言ってるのよ。まだまだこれから――え?」


 ラナ姉さんが何かに気付く。

 どうしたんだろう?

 と思うと、ゴブリンが十匹程いた。

 まぁ、僕にとっては見慣れた光景だ。アウラがいないので一人だと苦労するけれど、ラナ姉さんと一緒なら問題ないだろう。


「セージ、これは緊急事態よ」

「どうしたの? ラナ姉さんなら余裕で倒せるでしょ?」

「もちろん倒せるけど……ゴブリンが十匹以上森から出てくるなんて異常よ。もしかして、スタンピードが起きてるかもしれない」


 僕はその言葉に少し恐怖を感じた。

 スタンピードの言葉の意味にではない。

 それを言っているラナ姉さんの顔が笑っていたことに――だ。

 嬉しそうにしないでほしい。

 全然緊張感が出てこないから。

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