第19話 文字の型
父さんと狩りに行かない日は、毎日、勉強をする。僕たちに与えられたのは、文字の読み書きであり、姉さんと並んで本の書き写しを行う。やっていることは同じだが、僕と姉さんが決定的に違うのは、姉さんがやっているのは文字の練習だが、僕がやっているのは本を書き写す、言うなれば本の複製品の作成だ。
この世界では、著作権なんてものは存在しない。
この世界の文学は、宗教文学と世俗文学に分かれる。
宗教文学は、文字通り宗教に関する言い伝えや伝承、神の教えを記した本である。うちには聖典が一冊だけあり、神について書かれていたが、創世神話だ。最初に大地を作ったとか、神の涙が海になったとか書いている。
僕が知っている「世界が完成したよ」の一言で世界が出来上がったなんてどこにも書かれていなかった。
まぁ、当然といえば当然の話だ。
聖典には「神は素晴らしい!」「神は偉大だ!」という言葉は書かれていても、「神が恐ろしい」という言葉は一文も記されていなかった。
僕は知っている。
あの神の恐ろしさを。
あれは人という尺度で推しはかれる存在ではない。
本物の神を知らない人間が書いているのだから、内容も本物であるわけがない。
仮に内容のほとんどが本物だとしたら、聖典に書かれているあの神が用意した偽りの神――おそらく天使あたりだろう。
そして、その聖典を含めた宗教本の写本は認められている。
信者が神の教えを広めようというのだから、教会からしてみれば大助かりだ。
逆に世俗文学と呼ばれる旅行記や詩集などに関しては、本を写されたところで得することはない。
名前を広めてもらえればいいが、本を写した者が忠実に元の作者名を入れてくれるとは限らない。
しかし、何故著作権が存在しないのかというと、法律どうのこうのよりも、とにかく写本を作るのが面倒なのだ。
印刷技術もなければコピー機なんてあるはずもない。
それこそ、元の作者が一冊の本を作るのと手間は変わらないくらい。
それだけ苦労して写本したところで、その本が売れるとは限らない。
そりゃ、本を買う人間からしたら、写本より原書の方が欲しいに決まってる。
なら、何故僕がこうして写本をしているのかと言われると、僕はとっくに文字の練習を終えていた。
全ての文字を書くことも読むこともできる。それは母さんも知っている。
だけど、姉さんが一人で文字の書き写しの練習をさせられていると、「セージだけずるい! 私も勉強したくない!」と駄々をこねるので、こうして机を並べて勉強するフリをしなければいけない。
そして、どうせだったら、こうして本を書き写せば、僕の小遣いになる。という寸法だ。
ちなみに、姉さんは村の外でスライム狩りをしているときにウサギなどを捕まえて持って帰ってきて、母さんに渡す代わりに小遣い――村人から買うときの半値くらい――をもらっている。
それに関しては食卓が豪華になるので僕としては万々歳だ。
「セージ、私、別に文字なんて書けなくてもいいと思うのよ」
姉さんが突然、そんなことを言い出した。
学校の宿題をしていたとき、子供がふと「この勉強、どれだけ頑張っても将来の仕事に影響ないよね」と言い出すのと同じだ。
「よくないよ。貴族の仕事ってだいたい文字を書く仕事が多いんだから。父さんだって普段は執務室で書類とにらめっこしてるでしょ?」
「母さんは書いてないわよ」
「母さんも本当に忙しいときは手伝う……はずだよ」
僕は書く手を止める。
書類仕事をするエイラ母さんを想像する。普通の光景のはずなのに、シュールに思えた。
身内にしかわからない違和感だ。
それでも、母さんは頭はいい。
僕が苦労して覚えた構築魔術の術式をいくつも修得している。
きっと能力は高いはずだ。
父さんの仕事の手伝いをするかどうかは別にして。
「貴族って、強くあればいいと思うのよね。だって、魔物や他国から人々を守るのが貴族の役目なんだもの」
「魔物から守るっていうなら、修行は必要だけど、他国から守りたいのなら、猶更文字を覚えないとダメだよ」
「なんでよ!」
「戦争ってね、一度起こると一人の力で解決できるものじゃないんだ。大勢の人と人が戦う。もちろん、父さんだって戦うことになるし、村の人も武器を手にして戦う。そして、絶対に犠牲者が出る。全員を守り切ることができる戦争なんて存在しない。だから、本当に姉さんが領民を守りたいのなら、まずは外交で解決する努力が必要なんだ。そのためには王都や友好関係のある貴族、時には繋がりのある敵国になりうる相手とも手紙でやり取りする必要が出てくる。そんなとき、手紙を書けません! なんて言い訳できないでしょ?」
綺麗ごとだけどね。
外交努力をいくらしようと、攻めてくる敵は攻めてくる。
でも、姉さんは僕が言おうとしていることの一割は理解してくれらしい。
「でも、文字って覚えられないのよ。なんでこんな形してるのかしら」
結局文字が覚えられないからイライラしてただけなのか。
姉さんが書き写した文字を見ると、確かにいくつか間違えているところがある。
ペンの擦れ具合を見ると、書き順も滅茶苦茶だ。
「でも、姉さん。植物の形とか全部覚えてるでしょ? それに、剣の型だって父さんに言われた通りできてるじゃない」
「そんなの修行したらどうとでもなるじゃない」
なるほど。
つまり、姉さんは興味のあるものや好きなことには記憶力が増すけれど、嫌いなことや意味がわからないことは覚えられないということか。
僕は姉さんが覚えられない文字を見て、身体を動かす。
「こうして、こうかな……うん、こんな感じ」
「セージ、なに? その動き」
「僕なりに剣術の型を表現してみたんだ」
「そんなの型じゃないわよ。型っていうのはね!」
と姉さんも立ち上がり、僕の動きをより洗練した動きで表した。
凄い、一度見ただけ、しかも僕が即興で作った型なのに、僕以上に完璧に仕上げている。
「どうよ!」
「姉さん、今の動き! 今の動きがこの文字なんだよ」
「え? ……あ、そう言われてみればそうね! なんだ、こんな簡単な文字だったのね」
そう言って、姉さんはさっきまで書けなかった文字をスラスラと書いた。
覚えられない文字や書き順を間違えている文字は、全て型にして、一度体を動かし、文字を書く。
そうすることで、これまで覚えられなかった文字を、比喩ではなく体で覚えていったのだ。
これで姉さんも文字で悩むことはなくなるだろう
母さんが勉強の様子を見に来た。
「セージ。ラナは何をしているの?」
「文字を書く前に体を動かさないと間違えるんだって」
姉さんが一字書くたびに剣術の型をする。わざわざ立ち上がって。
その光景を見て母さんはため息を吐いて言った。
「……一応成長しているのかしらね」
「うん、成長していると思うよ」
スローペースだけどね。
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