告白

 昼を過ぎ、学校につく。

 教室に入ると同じ帰宅部の連中が集まっていた。

 俺も自分の席について待っていると、しばらくして先生がやってきてそれぞれの掃除場所を発表していった。


 俺の掃除場所は――ラッキー。この教室だ。倉庫やトイレ掃除なんかと比べるとずっといい。

 掃除は各場所に二人ずつになっているようで、俺と同じ教室掃除になったのは――染井そめい、だった。



「じゃあ、私はこの掲示板の張り替えするね」

「お、おう。じゃあ、俺は床でも掃いとくわ」


 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 箒を握り締めながら思案する。

 教室掃除になってラッキー、だなんて思った数分前の自分を殴りたい。なぜ、よりにもよって染井と同じになる⁉︎

 染井は同じクラスではあるものの、あまり会話をしたことはない。友人ではない、完全なるただのクラスメイト。

 と、向こうはきっとそう思っているはずだ。だが、俺は知っている。染井がさくらさんだということを。俺の、八重のファンであるということを!


 どうすればいいんだ、俺は。

 なんで俺のファン且つ、好きな女の子と二人きりで掃除をしなければならないんだ。

 ここは会話を試みるべきか。しかし、変に話をして八重が男であるとバレるのは困る。


 ちらりと染井の方を見遣ると、彼女はせっせと掲示板の張り替えを行なっていた。

 冬や夏のイベントとは違う、真面目な顔。

 普段友人たちと笑い合う顔と、八重の前で笑う顔。同じ笑顔なのに、全然違う。


 ――また、見たい。彼女のあの、輝くようなかわいい笑顔を。

 自身が掃除中なことを忘れ、彼女を見つめる。じっと、見惚れていた彼女がふいに、バランスを崩してロッカーから転がり落ちた。



「ッ、いってぇ」

「え……あっ、ごめん!」


 とっさに落ちてきた彼女を庇おうとしたのはいいものの、漫画に出てくる騎士のように抱きとめることはできず、ただ俺が彼女の下敷きになった。


「ごめんね! 画鋲踏みそうになっちゃって、それを避けようとしたらバランス崩しちゃって……」


 染井はそう言って、申し訳なさそうに何度も頭を下げる。


「ああ、大丈夫だから」


 たしかにクッションになったときの衝撃は痛みを感じたが、いまはそうでもない。いつまでもぺこぺこと頭を下げる彼女に悪いと思って立ち上がった。


「ほら、俺は大丈夫だからあんま気にすんなって……ん? これって」

「あっ!」


 自分の体は無事ですよーと染井にアピールしていると、床になにかが落ちていることに気がついた。それを反射的に拾うと、染井の顔色がみるみる悪くなった。

 落ちていたのは、俺が夏のイベントで出したアクキーだった。


「ちっ、違うの! 学校に行く前に眺めてたら弟が急に部屋に入ってきたから、慌ててスカートのポケットに入れちゃって、そのまま学校来ちゃったっていうか、違くて、えっと、べつにそれは私のじゃなくて! べつに私、そういうの好きじゃないから! 友達、友達のだから!」


 俺はべつになにも言っていないのに、急に染井は焦った顔で弁解し出した。

 必死になってこれは自分のものではないアピールを繰り返している。


「いや、べつにいいんじゃねぇの」

「……え?」

「だから、べつにこういうの好きでもいいんじゃねぇの。俺も好きだし」


 これは間違いなく彼女の物だ。それを必死になって隠そうとしている。べつに、そんなことしなくてもいいのに、と本音を漏らした。

 すると染井は顔をきょとんとさせ、首を傾げた。


「吉野くんはキモいって、思わないの? オタクだーって」

「べつに? てか俺もこういうの好きだって言ってんじゃん」


 アクキーをぶらぶらと、ぶら下げながら答える。


「ほんと? ……よかったぁ。吉野くんがこういうの好きってのはちょっと意外だったけど、本当によかった……」


 染井は肩の力を抜いて息を吐いた。


「私ね、中学生のときに周りからキモい、オタクだって馬鹿にされて。だからバレないようにしなきゃって、思ってたんだ」


 染井の告白になるほど、と納得する。その気持ちは俺も共感できる。


「俺も最初は親に気持ち悪いって言われたよ。今は理解してそんなこと言ってこなくなったけど、相変わらず友達には言えてねぇからな」


 困った顔で笑うと、染井はそうなんだと笑った。


「私たち、なんか似てるね」


 そう言ってぱっと笑った染井の笑顔は眩しくて。

 ああ、これだ。俺は、この笑顔が見たかったんだ。


「よ、吉野くん⁉︎」


 染井の慌てた声でハッと気がつく。

 いつの間にか俺は彼女を抱きしめていた。


「好きだ」


 ずっと、隠していた想いが溢れていく。


「え? え?」


 染井は突然の俺の告白に、腕の中で動揺の声をあげる。


「冬イベで会った、あのときから。ずっと、好きだった」


 染井は困惑している。なのに、一度溢れた想いはもう止まらない。


「えっ、なんで、私が冬イベ行ったの知って……」

「夏イベんとき、一番最初に俺のところに来てくれたの、すっげぇ嬉しかった」

「え? 私、夏イベは最初に八重さんのところに」

「ありがとう、さん」



 ――痛み。背中を打った。

 なぜか、それは考えるより明白だった。彼女に突き飛ばされた。

 足音が教室の外に向かう。俺を突き飛ばした染野は教室を飛び出して行った。


「まぁ、そうなるわな」


 俺があの八重だと知って、染井はどれだけショックを受けただろう。女だと思っていた人が、本当は女装した男だったなんて。

 しかもそんな男に告白されるなんて。

 さぞ、気持ち悪いと思ったに違いない。




 染井がいなくなった教室。彼女がやっていた掲示板の張り替えを終わらせて、教室の床を掃く。

 教室は、俺の心中と反比例するように綺麗になった。

 使った掃除用具を掃除ロッカーに仕舞っていると、視線を感じた。


「……染井?」


 染井が廊下からちらりとこちらを覗き見していた。


「あ、あの、ごめんなさい……アクキー、返していただけると恐縮です」


 声をかけられた染井は随分と下から話しかけてきた。俺みたいな変態と仲良くする気にはなれないのだろう。

 ただでさえ近くなかった心の距離が、もっと遠くなっていくのを感じた。


「はい」


 アクキーを手渡す。

 染井は礼を言うと深々と頭を下げた。


「ごめんな」


 染井の姿を見て、謝罪の言葉を放つ。謝ったところで染井に不快な思いをさせたことに変わりはない。けれど、どうしても一言謝っておきたかった。


「そ、そんな! こちらこそごめんなさい! 八重先生を突き飛ばすなんて、これで手を怪我して絵を描けなくなってしまったら、私は……」


 俺の謝罪の言葉に、染井はものすごく申し訳なさそうな顔をして深々と頭を下げた。


「いや、染井が謝る必要なんてないよ。俺は女装してイベントに参加する変態野郎だから。気持ち悪いだろ?」


 ははっと自嘲気味に笑えば染井は顔を上げ、ぶんぶんと首を横に振る。


「まさか! 八重先生は私の憧れで、大好きだから! たしかにびっくりしちゃったけど、吉野くんは優しい人だもん!」

「えっ」


 染井は八重に対する愛を語ってくれた。どれだけ好きで、憧れていて、尊敬しているか。



「どうして吉野くんは女装していたの?」


 八重への想いをひとしきり語り終えた染井がそう尋ねる。


「俺が描いてる本って女性向けだろ? だから作者が男だと読者はいやだと思うかなって」

「ぷっ、あはは。吉野くんってなんかズレてるね」

「そうか? でも、俺みたいな男があんな恋愛漫画描いてたらいやだろ?」

「それは偏見じゃないかなぁ? 少なくとも、私は男の人が作者でも気にしないよ」


 そう言って染井は笑った。かわいい。つい、見惚れてしまう。


「……吉野くん?」

「ん、ああ。悪い。掃除終わったし、帰るか」

「えっ、あ、あああ! 私のせいで八重先生の貴重な時間を……」

「ふはっ」


 突然唸り声をあげる染井の様子がおかしくて、つい吹き出す。


「てか、なんだよ、八重先生って。俺は先生じゃねぇっての」

「私にとっては先生なの! 私は先生に憧れてて……ファン、だから!」

「ふぅん、そっか。ありがとな。でも俺は染井にはファンっていうよりも彼女……になってほしい、です」


 自分で言い出したのに、なんだか恥ずかしくなって語尾が小さくなっていく。


「えっ、あ、私はファンであって、八重先生のことは好きだけど、そういう好きとは違うというか……えっと」


 俺が一度染井に告白した身なのを忘れていたのだろうか。染井は困惑してしどろもどろと言葉を続ける。


「そっか」



 ――ああ、俺はずるいやつだ。


「染井が付き合ってくんなきゃ新刊描かない」

「え⁉︎」


 染井の、への愛を利用して脅してしまうのだから。


「好きです。付き合ってください」


 せこい脅しの後で、もう一度告白する。


「あ、うぅ……あとで思ってたのと違ったとか言わないでね?」


 言うわけない。俺は八重経由でさくらさんを、染井のことを知っているのだから。

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