第12話

 食事も済ませ、いつの間にやら三時間半ほど過ぎた頃だろうか。

 そろそろ店を出ようということになり、樹と伊織は会計を済ませた。

 長谷川に丁寧にお礼を言い、樹はいつになくわくわくした気持ちで立っていた。

「どうだった?バー」

「はい、楽しかったです。あの、ハタチの誕生日、こんなふうに演出してもらってありがとうございます」

 照れ笑いをする樹に、伊織は心の奥がむず痒くて仕方ない。

「年に一度の大切な誕生日じゃないか。しかもハタチの。楽しい思い出になってくれたんなら良かったよ」

 そうですねと言いながら、樹はまだ笑っている。

「伊織さん、普段バイトでさっきみたいなカクテル作ってたりするんですか?」

「うん、まだまだ見習いだけど楽しいよ」

 樹は再びキラキラした瞳を向けた。

 最初に会った時の樹は、目に光が宿っていなかった。

 それが、今こんなにいきいきと伊織に話しかけてくるのだ。

「伊織さん、黒いベストに蝶ネクタイ付けてるんですか?」

 樹の脳内には、伊織がバーテンダーの格好をしている場面が思い描かれているのだろう。

「あはは、そうだよ。樹クンも似合いそうだけどな」

「オレ、似合いますかね」

「あれ、その気になってきた?」

 樹の頬が紅潮している。

 二十歳を迎え、初めて飲んだのが先ほどのカクテル。

 しっかりと舌に刻み込まれたに違いない。

「あの、えっと。伊織さんのバイトしてる店で求人が出てるとか何とか」

「うん、そう言ったよ。え、もしかして本気?」

 もそもそと樹が口ごもりながら尋ねてきたのだが、その内容に伊織はパッと顔を上気させた。

「バーテンダーって人を幸せに出来る仕事なんだなって思えて。あ、でもコンビニのバイトがダメってわけじゃなくて、オレには合ってないんだなってのは薄々感じてたんですよ」

「愛想悪かったもんね」

 伊織にズバリと言われて、言い返すことも出来ない。

 悔しそうな顔をしていたが、樹はそのまま続けた。

「バーテンダーのバイト、やってみたい――です」

 照れながら樹が言ったので、伊織は胸の奥に花が咲くような気持ちになった。

「酔った勢いで言ってて、明日になったらそんな発言覚えてないとか言わないでよ」

「オレは言ったことに責任を持ちます。オレもバーテンダーやりたいです」

 樹は伊織の目を見てきっぱりと言った。

 その様子に、伊織は真剣な瞳で「二言はないね」と念を押した。

 だがいきなり応募して、思っていたのと違ったという結果になってもいけないので、近々見学に来たらという伊織の提案に樹は乗ることにした。

 それまで、募集している枠はキープしておいてもらえるように店長に頼んでくれるそうだ。

 今やっているバイトも、今日言ってすぐに辞めるわけにはいかない。

 手順を踏んで進めていかないといけないのだ。

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