ある男の運命4
しかし、タウィーザには正確にそれが理解できた。
――血に飢えているというのは本当だろう。
ヴィヴィアンは、おそらく人の血を拒んでいるのだ。タハシュの力がもたらす激しい飢えと苦痛に耐えている。
不思議と、タウィーザにはそれが理解でき、また一層焦がれる思いが募った。
(馬鹿な女だ)
愚かな王太子たちになど反発して自由になればいい。その軛を解き放てばいい。それだけの力があるというのに。
だが――戦場でのあの姿と、愚かな味方のために己を抑える不均衡な女に、耐えがたいほど焦がれるのも事実だった。
かつて感じたことのない欲望が募り、一刻も早くヴィヴィアンを手に入れなければ気が狂う。
早く。一刻も早く。
些細なことから《タハシュの民》の残党だということが露見し、捕まったのはその直後だった。五年前の叛乱を引き起こした蛮族の生き残りという理由で、タウィーザは王子ジュリアスの前に引き立てられた。思ってもみない面会だった。
(……こんな男か)
この国の王子。いや、いまは王太子か。そしてタウィーザが執着する女の、婚約者だった男。
間近で見て、ジュリアスが自分より男として優れているとはまったく思わなかった。
それどころか、こうして間近にすると、見目には恵まれているが、性根はさほどではないとわかる。己も覚悟もない男の目だった。
《タハシュの民》の残党がまだ他に潜んでいるのか、また叛乱でも企んでいるのか、と尋問された。それはない、自分は仲間とはぐれた、と正直に答えた。
ジュリアスという男は再びの叛乱を警戒している。――なるほど、王位継承に関して内乱の気配があるという噂は本当であったらしい。
くっ、とタウィーザは思わず喉の奥で嗤った。
「何がおかしい」
ジュリアスが不快げな顔をし、タウィーザは側にいた監視役の男に殴られた。
「お前がどう弁明をしようと、かの蛮族の生き残りであるからには首を刎ねる。有益な情報を提供すれば命だけは助けてやらぬこともないが」
王太子は冷ややかに言った。
――仲間を裏切って情報を渡すなどしたところで、この男は決して助けないだろう。
タウィーザにはそれがわかった。
おそれなど微塵もなかった。
予定と異なるとはいえ、これは好機だった。
神タハシュが、自分にあの女を与えようとしている。
「有益な情報? そうだな、あんたの目の前には一人の奴隷がいる。叛乱分子の生き残りで、剣の試し切りに使おうが、使い捨ての手足にしようが問題ない男だ。その体は若く健康で、頑丈だ」
タウィーザは軽い口調で言う。
一体何を言い出すのか、とジュリアスが眉をひそめる。監視役が再び殴って黙らせようとしたが、ジュリアスが止めた。
「何が言いたい」
「こういうことさ。――俺はタハシュの力をおそれておらず、一向に使い捨てても構わない命で、あんたらが飼い殺しにする《血塗れの聖女》の贄とするにもっとも都合がいい」
王太子は目を見開いた。驚きのあと、その目に疑念がよぎる。
自分の言葉の意味が深く浸透してゆくのを、タウィーザは静かに待った。
王太子はいま、厄介な政敵を抱えている。王位継承権を主張する他の王子だ。一筋縄ではいかない。争いが大きくなればやがて武力が必要になる。
タウィーザはそこまで読んで、《血塗れの聖女》という便利な駒を思い出させてやることにした。
その駒の真価を発揮させるには、贄が必要だということも。
――その贄はちょうど、目の前にいるのだということも。
ふいに、タウィーザは大声で笑いたくなった。
両親の最期がどうだったかを思い出した。神への贄にされ、それを嫌悪していたのではなかったか。
その息子である自分もいままた贄になろうとしている。
ただし捧げるのは神に対してではない。そして捧げるのではない。
「何が目的だ、奴隷」
「タハシュは尊き神。その血は聖にして誉れ。タハシュの血に選ばれた者に仕えたい。それが民としてのつとめ」
心には思ってもないもっともらしい言い訳を、流暢に並べ立てる。
ジュリアスは嗤った。
「なるほど。ならば望み通りにしてやろう――」
タウィーザもまた、胸の中で嗤った。愚かな男に、礼さえ言った。
(――ようやく会える)
王太子は気づかないだろう。たったいま、自分がヴィヴィアンという女を売り渡したことに。
タウィーザは自分が贄だなどとは思っていない。
――自分の血で、あの女を侵す。
二度と離れられないよう、味を覚えさせる。そうして自分のものに染めあげるのだ。
船に揺られ海上を進んでいく。
波の音は、耳の奥に聞こえる血流の音に似ている。ざあざあと、止まることなく流れて行く。
波は、彼を運命の女に向かって船を運んでいく。
やがて、孤独で小さな島が見える。タウィーザは不敵に笑う。
(ヴィヴィアン。あんたは、俺のものだ)
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追放された元聖女は贄の青年に執着される~婚約破棄され、軟禁された果てに~ 永野水貴 @blue-gold-blue
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