ある男の運命3
一目で、ただの女だとわかった。だがその女が戦士に守られ鼓舞するのではなく、自分が先陣を切って、《タハシュの民》の戦士さながらに戦い、味方を導いていた。
火の色、あるいは血の色に乱れた険しい顔――それでも一瞬、泣き出しそうな顔に見える。
(なぜそんな顔をする)
タウィーザは、女に向かって手を伸ばしかけた自分に気づいた。
何が女をそこまで駆り立てるのか。血に酔っているように見えて、ただの狂乱にも思えない。目にはまだ理性の光がある。
濡れたような瞳の中に、強烈な――意思の光が反射している。
喉が渇く。
(知りたい)
あの女のことを。何を思っているのか。どんな女なのか。
(――捕まえたい)
女はこちらを見ない。見たとしても、タウィーザという男がそこにいて意識を向けていることを知らない。ただひたすらに敵を捉え、後続の騎士たちにだけ時折振り向く。
その女を――この手に捕らえ、あの目をこちらに向かせて問いたい。
強烈にそう思った時、タウィーザは既に動いていた。
惨めに崩れて行く山の民の連合を横目に、女の後を追った。
せめてその女が何者であるかを突き止めぬ限りは、決してこの場を離れられなかった。
女は、味方らしき兵に《聖女》ヴィヴィアンと呼ばれていた。
聖女。この国で、癒やしの力を持つという異能の存在。
獣のように敵を屠り、血を浴びながら味方を導く目の前の姿とは似ても似つかない。
邪神と蔑むタハシュの血を飲み、タハシュを奉る者たちを屠って血に染まる聖女。
――ぞくぞくとした何かが、タウィーザの背を駆け上った。
(ああ……あんたは最高に冒涜的な女だ)
焦がれ、このまま留まってあの女を攫さらいたい自分を引き剥がすように、タウィーザはいったん王都から逃れた。
いまはまだ無理だ。失敗する可能性が高い。
(どうしたらいい)
目的は明確になった。痛いほどに心が叫んでいる。体中で鳴っている。
(どうやったら、あの女を手に入れられる)
都が遠ざかっていく。かつて、同じ故郷で生まれ育った者たちも。
タウィーザはしばらく慎重に王都周辺から距離を置き、身を潜めた。その間に聖女ヴィヴィアンの情報を集めた。
ヴィヴィアンは平民出身の聖女の一人で、聖女としてはなかなか優秀な異能を持っていたという。
だが彼女が幸運なのは、王族の末席とはいえ、王子ジュリアスの婚約者になれたということ――という噂だった。
そう知ったとき、タウィーザははじめて、王国の人間に対してはっきりとした敵対心を覚えた。どんなに聖戦とうたわれ《タハシュの民》に鼓舞されても奮い立たなかった心が、煮えたぎっていた。
あの女は、ヴィヴィアンは自分のものだ。
あの女が身一つで王都へ突入してきたとき、その傍らにもいなかった男になど渡さない。
タウィーザは衝動のあまり飛び出したくなるのを耐え、機をうかがった。
王都の争乱が落ち着いてゆくと、王子とヴィヴィアンの婚約がなかったことにされた。
だが歓喜したのは一瞬で、ヴィヴィアンの姿そのものが表舞台から消えた。
遠い地で療養する、とだけ噂が流れてきたが、それがどこであるのか、果たして本当に療養なのかはわからなかった。
――救国の英雄と呼ぶべきはたらきをした女に対し、ろくに褒美を与えず療養させるなどというのはおかしい。
ヴィヴィアンが療養を必要とするほど重傷を負ったようには見えなかった。病というわけでもないだろう。
身を焼くような焦りで眠れぬ日々が続いた。
ヴィヴィアンの手がかりを求め、ジュリアスの周りを探りはじめる。すると、内情がわかってきた。
――タハシュの血を入れることでヴィヴィアンは勝利をもたらしたが、勝利後は邪神の血を入れた女としておそれられた。
敵の血にまみれて戦場で戦った姿が、あらゆる誇張をまじえて巷間に流布していた。
《血塗れの聖女》。それがヴィヴィアンに与えられた異名だった。
王太子になる男にはふさわしくないと判断され、婚約解消にいたったという。――その王太子の地位をもたらしたのは、勝利によって王族を守ったヴィヴィアンだというのは滑稽だった。
ジュリアスは名家の美女を娶った。
ヴィヴィアン自身もまた、それらのことを受け入れた――ゆえにすべては正しくおさまった、とされている。
(馬鹿な男だ)
タウィーザは声を出して嗤った。ジュリアスという男は何もわかっていない。ヴィヴィアンという女の価値をまるで知らないのだ。
だが、それで構わない。
あの女は自分ものなのだ。その価値を知るのは自分だけでいい。
やがて、療養の実体もうっすらと聞こえてきた。
――聖女は血に飢えている。
邪神の悪しき力に蝕まれ、血を求めて夜な夜な獣のようにうめく、と嘘か本当かわからぬ話があった。
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