ある男の運命1
血煙と炎と剣戟の中で――タウィーザは、運命の女に出会った。
武具の一つもつけず、見るからに日頃剣など握ったことのない細腕が、けれど屈強な男を殴り倒す。冗談のような、ひどく悪趣味な喜劇じみた光景。
タハシュの血をのんだのだと、すぐにわかった。
血に汚れた横顔は張り詰めて、炎の光で金色に光る目が険しく前を向いている。
だが――それだというのに。
(泣いている)
その瞬間、タウィーザは雷にうたれたような衝撃を受けた。爪先から脳天までを、抗いがたい何かが駆け抜ける。
女に涙のあとなどどこにも見えない。それでも、泣いているのだとタウィーザは確信した。
女は張り詰めた横顔は痛々しいほどで、タハシュの血に選ばれたものとは思えぬほど脆く見える。だがその脆さは、研ぎ澄まされた刃のもっとも先端の部分でもあったのだ。
女は心で泣きながら、ひたすらに生死の境を突き進んでいく。炎と喊声の中、倒した敵の血を啜り、顔を歪めながらも乱暴に口元を拭い、次の敵に対峙する。
――なぜ。
何が、あの女をそこまでそうさせるのか。なぜ、あの女はこんな戦いに身を投じたのか。
タウィーザは気づけばその女の後を追った。もはや女から目を離せなくなっていた。頭が痺れ、周りの炎にも感じなかった熱さが全身に駆け巡っている。
気づけば舌なめずりをしていた。
ここが戦場であり、自分の同胞が敗北しつつあることさえもどうでもよくなった。
その女の名がヴィヴィアンであると知ったのは、王都を奪い返された後のことだ。
滅ぶなら滅べばいい。
集合した戦士たちに熱弁をふるう族長を見ても、タウィーザのその思いは変わらなかった。
団結、決起、聖戦――それらは身の回りでうるさく羽虫のように飛び、周りの熱狂は顔のまわりにたかる蠅のように感じられた。
数年前、《外》の民との接触があった。《タハシュ》を神と知らぬ哀れで野蛮な者たちを、タハシュの民は寛大をもって接した。
まさかその《外》の民のほうも、同じようなことを思ってこちらに接しているとは考えもしなかったのだ。
その意識の違いからどんどんこじれて、ついに武力衝突するに至ったのだ。
馬鹿な話だ、とタウィーザは思った。
神タハシュを奉じ、選ばれし勇敢な民である我々は、誰よりも優っている――その根拠のない自信が、現状を見誤らせた。
《外》の連中もたいがい偏狭で愚かだが、数が違う。国土も、山の民などとは比べものにならない。
少しまともに考えれば、山の民が力でやりあおうとするなどどれほど馬鹿げているかわかるはずだ。
だが、《タハシュの民》には救いがたい傲慢さがあった。
父を失ったときから、タウィーザははっきりそう感じていた。
唯一なるタハシュは生命と戦の神だ。一方で、戦のないときは暴虐の神にもなりうる。
敵があり、戦があるときはいい。敵を贄とすればいいのだから。
だがそうでないときはどうするか。
自分たちの血を捧げるしかない。自分たちを庇護してくれる神に、動物の血など与えられない。そういう理由で。
《タハシュの民》の中で、贄を選ぶのだ。
守ってくれるはずの神が、守護を約束したはずの民に供物を要求する。
――馬鹿な話だ、とタウィーザは内心で吐き捨てる。
タウィーザの両親は贄だった。
全知全能なるタハシュに捧げられし尊い贄などということになっている。
だが神の介在などどこにもない。あるのは狭い輪の中でうごめく醜い嫉妬とやっかみだけだ。
父は疎まれただけだ。
タウィーザの父は一族の中では珍しい現実主義者で、タハシュへの贄のために優秀な者が何人か殺されていることに疑問を持っていた。
タハシュに
『……お前は決して贄になどなってはならない。もし強いられそうになったときは、この山を下りろ。己のために生き、己で何事かを成せ。神ではなく、己を信ずるのだ』
父はいつも、息子にそう言い聞かせた。それは、息子を愛する父親としての言葉だけではなかったように思える。
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