16-2

 ヴィヴィアンは言葉を失った。見開いた目いっぱいに、雷光の目をした青年の姿だけが映った。

 大きく頭を揺さぶられるような衝撃。その衝撃で目の奥が強く揺れ、感情が溢れそうになった。


 そうだ。

 ――タウィーザは、《タハシュの民》だ。少なくとも彼だけは、神であるタハシュの血を、忌むわけがない。


 だから、自分にも血を与えたのか。

 だが、自分は――彼の同胞を殺めたというのに。

 タウィーザの目の強い光は、研ぎ澄まされた輝きはどこから来るのだろう。


「俺はあんたの贄になっても、あの男のためにあんたを働かせる餌じゃない。俺はこの先、あんたにこの体にある限りの血をくれてやる。――代わりにあんたは何をくれる?」


 閃く雷のような目が見ている。

 ヴィヴィアンは答えられない。世界がまた揺れる。

 タウィーザが揺らす。


 こんな眼差しを、こんな言葉を向けてくる者はいままで誰一人としていなかった。ジュリアスでさえ、自らの血を与えるなどということはしなかった。

 ――ジュリアスがちらつかせた地位や名誉など、タウィーザがくれたものに比べればどれほどの意味があるのか。


 タウィーザはヴィヴィアンの拒否を力尽くではねのけ、血を与える。

 満月の苦痛によりそい、抱きしめて離れない。

 タウィーザの強さは、その熱は孤独の冷たさを溶かす。

 ――自分は何を返せるのか。


「なぜ……どうして、あなたはここまでしてくれるの。私は……タハシュの血を受けたということ以外、あなたに返せるものがないのに」


 絞り出した声は、かすかに震えていた。入り交じり、乱れた感情で胸が塞がれ、言葉がうまく出てこない。

 タウィーザは形の良い唇の端をつりあげている。


「馬鹿言うな。タハシュの血なんかに価値はない。俺はずっと、ただ一つの見返りを求めてる」


 ヴィヴィアンは息を飲む。タハシュの血は尊いといった口で、価値はないと言うタウィーザに困惑する。

 だが、この体に植えた神の血ではないのだとしたら。

 タウィーザがこれまで何かを求めたことなど一度もない。

 

 ――タウィーザが求めているのは何なのか。


 そう問おうとしたとき、タウィーザはつかんでいた腕をふいに放すと、その両手でヴィヴィアンの顔をつかんだ。

 青みがかった目が降る。


「あんたの身と魂だ」


 ヴィヴィアンは、大きく目を見開いた。全身にさざなみがはしったあと、動かなくなる。

 皮膚の下に、血肉の中に、もっともっと深いところにタウィーザが浸透してくる。

 薄青に光る目がヴィヴィアンを貫く。


「ヴィヴィアン。あんたのすべてを俺によこせ。――すべてだ」


 来い、とタウィーザが再び腕をつかみ、引いてゆく。

 ヴィヴィアンはその強引な誘いにされるがままになる。

 頭が半分痺れているようだった。


 だが言葉とは裏腹に、タウィーザの手は、まるで子供が大切なものを離すまいとするようにがむしゃらだった。

 そう気づいたとたん、ヴィヴィアンはかすかに笑った。そして、不思議なほど静けさに包まれ、自分の心の声が聞こえた。


(……他にないもの)


 タウィーザに与えられるものは他にない。

 そして自分を必要としてくれるなら――ジュリアスよりも、タウィーザのほうがずっといい。

 タウィーザの手を引き剥がす。


 タウィーザの眉が一瞬はねあがったが、ヴィヴィアンは答える代わりに、自分から青年の手を握った。

 鋭い目が少し見開かれる。その目に向け、ヴィヴィアンは言った。


「――行くわ。あなたと一緒に」


 その先がどこであろうとも。

 タウィーザが微笑する。征服者の、勝者の笑みを銀の月光が照らしていた。


 扉が開かれる。

 全身を戒めていた見えない鎖を引きちぎるように、ヴィヴィアンは足を踏み出した。

 重ねたタウィーザの手は熱かった。

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