12-2

 抑えた声は、だがどうしても詰る響きを持った。

 ――ジュリアスはこれまで自分の意思を尊重してくれた。

 なのに今回、それを踏みにじるようなことをした。

 人の血を口にしたくないという願いを知っているのに、贄となる青年を送り込んだのだ。


 今度はジュリアスが目を伏せた。


「……許せ。君がずっと、飢えを抱えていることは知っていた。誰も、君のその苦しみを真に理解することはできないだろう。せめてその飢えを和らげさせたいと思うのは……私の身勝手だ」


 ひゅ、とヴィヴィアンは喉の奥で言葉を詰まらせた。

 じわじわと体に広がっていた熾火のような怒りが、行き場に惑う。


 ジュリアスが優しい人であることは、よく知っている。

 罪悪感や憐れみを覚えているというのなら――せめても、と善意でやってくれたということは、あるのかもしれない。


 ヴィヴィアンもまた目を逸らした。両手を組み合わせ、強く力をこめる。


「……あなたの気持ちを蔑ないがしろにするつもりはないわ。でも、私は人でいたい。人の血を口にして生きる、そういう生き物になりたくないの。それが苦痛を伴うのなら、それを受け入れるわ」


 だからたとえジュリアスの慈悲であったとしても、贄というものを受け入れることはできない――ヴィヴィアンは静かに答えた。

 組んだ手が、白くなっている。かすかに震えていた。苦いものが口いっぱいに広がる。

 何を白々しい、と頭の隅で自分を嗤う声がする。

 ――お前はもう、タウィーザの血を口にしたじゃないか。

 ――人の血を口にしたじゃないか。


 それに本当は、人でいたいからなどという、そんな綺麗な理由だけではない。


 怖いのだ。


(……もう、戦場には立ちたくない)


 いまでも悪夢に見る。《タハシュの民》をはじめとする敵に、獣のようにおどりかかり、その血を糧に戦い続けた自分。そして全身に汗をかき、自分の悲鳴で目を覚ます。

 あれは《血塗れの聖女》などというなまやさしいものではなかった。

 命を奪う醜い獣で、忌避されていたはずの邪神タハシュの化身そのものだった。


 戦場の異常な熱こそ味方の目をくらましたが、熱がひいたあとに正気が戻ってくると、ヴィヴィアンの後についてきた者はみな恐怖と怯えの目を向けた。

 英雄に対する目ではなく、聖女に向ける目ではなく、敵に向ける目よりも露骨な――嫌悪とおそれの目。異質な化け物を見る目。


 なによりも、それは仕方の無いことだとわかってしまうのが苦しかった。

 結局、《タハシュの民》との戦いを制してその一族をほぼ滅亡させても、その血は、ほかならぬ敵対者のヴィヴィアンに受け継がれてしまっていることさえも、運命の悪意ある皮肉のようにしか思われなかった。


「ヴィヴィアン……。君の気高い意思を汚すつもりはなかった。すまない。だが、いまの君の扱いは、不当だと思う。君は、自分の身を犠牲にしてでも王都を取り戻した英雄だ」


 ジュリアスの言葉に、ヴィヴィアンははっとする。そして、胸にじんわりとした温かさを感じた。

 ――こういう人だ。ジュリアスだって、変わらない。自分を思いやってくれている。

 だから――彼のために、邪神の力に手を染めたことも、無駄ではなかったと思える。


 ジュリアスは、かすかに身を乗り出した。灰色の目が、静かな熱を宿してヴィヴィアンを見つめた。


「その上で、言うのだが。いま一度……君のその力を貸してくれないか。今度こそ報いてみせる」


 ヴィヴィアンは目を瞠った。

 ――力。邪神の。戦いの力。

 混乱する。


「どう、いうこと? まさか、また《タハシュの民》のような者たちが攻めてきたの?」

「いや……タハシュの眷族どもはほぼ絶えた。だがいま、もっと複雑な……忌まわしい敵が攻めてきている」


 ヴィヴィアンの困惑は更に深まる。

 ――タハシュを信仰し、その力を借りる《タハシュの民》以上の複雑な、忌まわしい敵。

 いったいそれは何者なのか。


 尋ねようとしたところで、冷たくよく通る声が貫いた。


「はっきり言えよ、自分の政敵を潰したいからだと」

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