5-2

 やがて王都は、異民族の連合軍に占領された。

 次々と火の手があがった。

 逃げた王族が諸侯から兵を募って攻めたが、統率を欠き、失敗に終わった。


 王族の側から、神の柩を返還することを条件に、講和が提案された。

 だが怒り狂った《タハシュの民》側は、王族の首をも要求した。

 そして、王とその係累の首をとった者には財宝を与える――王都の民衆に、そう告知した。民衆のみならず、王族に兵を貸していた諸侯にすらも。


 王族のほとんどは猛反発した。

 だが民衆の、あるいは諸侯からの目は刻一刻と暗くなってゆき、じりじりと押し迫っていた。

 ――ただ王子ジュリアスだけが悲痛な顔をして、自らの命を差し出してでもという覚悟を固めつつあったのを、ヴィヴィアンは見ていた。


 王国の騎士の屍ばかりが増え、それだけ絶望を増していく。癒やしの力を持つ聖女たちは騎士たちの延命が精一杯で、ただ天に救済を祈りすすり泣く。


 ヴィヴィアンも無力だった。

 癒やしの力など、この絶望を振り払うには何の役にも立たない。

 祈りなど神に届かない。神などそこにいないのだから。


 ――だから。


 だから、自分の身を引き換えにしても、力を欲した。

 ジュリアスの制止を振り切り、タハシュの血を飲んだ。


 もう戻れないという絶望は、すぐに、かつて感じたことのない万能感へと変わった。

 ヴィヴィアンは先陣を切った。武器を握ったことなどなくても、防具など身につけなくても、タハシュの血がもたらした力はすべてを補ってあまりあった。


 恐怖も怯えも罪悪感もすべてが鈍く、厚い幕の向こうに追いやられる。敵を屠りその血を啜り、更に力を増してゆく《血塗れの聖女》がそこにあった。


 騎士達はヴィヴィアンの後に続いた。

 激戦の果てに、王都から異民族の連合を追い払った。

 連合の核であった《タハシュの民》は倒れ、協力していた他の部族は散り散りに逃げていった。


 勝利の喜びと興奮が冷めてゆくと、ヴィヴィアンは一人になった。

 血に濡れた手。口を汚す赤いもの。周りに倒れる、人間の屍。

 雄叫びをあげてついてきた騎士たち、鼓舞してくれた王族たちがみな遠く、化け物でも見るような目で自分を見ていた――。


「それでもあんたはまだ、あいつらを信じるのか? あいつらに隷属するのか?」


 タウィーザの声が、ヴィヴィアンの胸を貫く。

 ヴィヴィアンはかすかに唇を震わせる。体が芯まで凍りつき、タウィーザの声は、《タハシュの民》の怨嗟、冷笑そのもののように響いた。


 ヴィヴィアンは目を背け、胸の下で両手を強く重ねた。


「……本土で、《タハシュの民》との戦いが再び起こっているとでもいうの? そんな話は聞いていないわ。あなたの言うことは、推測にすぎないでしょう」

「へえ? 本土の現状や情報がここにも逐一入ってくるのか?」


 皮肉のこもった声色に、ヴィヴィアンは一度唇を引き結んだ。

 ――ここに、情報が入ってくるはずはない。

 ジュリアスだけは、たまに手紙をくれる。だがそれはごく私的な近況報告のようなもので、心の支えになっても、情報ではなかった。


 何も知らない。

 何も知らされていない。

 だが、それならば本当に――タウィーザの言うように、再び戦いがあってこの力が必要とされているのか。


(……いや)


 ヴィヴィアンはかすかに震えた。いやだ、と心が怖じ気づいた。人に戻ると決めたのだ。もう二度と力を使わないと決めた。

 もうあんな狂乱に身を置きたくない。


「あんたこそ奴隷だな。利用するときだけ引っ張り出されて、用済みになればこんなところに押し込められてまともに餌も与えられない。餌を与えられるときは、再び利用されるときってわけだ」

「――っやめて!」

「はは、目を背けてどうする。利用されるのがいやなら、輸送船の連中を襲うか脅すかして逃げればよかったんだ。あんたは首輪も足枷もないのに、自分で檻の中に閉じこもってる」


 やめて、とヴィヴィアンはほとんど悲鳴のように叫んだ。

 ――逃げる。そんなこと、できるわけがない。

 自分の体はもはや変質してしまっている。そしてあまりに多くの敵を殺した。この手も魂も血に汚れすぎている。

 自分をおそれ、遠ざけようとする王国側の意図はもっともなのだ。


(仕方のない、ことなのよ!)


 ヴィヴィアンは内心で叫んだ。人間としてまともに考えがはたらくのなら、この現状も甘んじて受け入れなくてはならない。

 自分が守ったものたちのために。自分が葬ったもののために。

 そうでなければ、汚れた力に手を出してまで守った意味がなくなってしまう。


 だが――逃げない理由は、それだけではなく。


「迎えに来るとでも思ってるのか? あんたを捨てた王子様が」

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