代理でも推してくれますか?②

 間一髪、扉が閉まる寸前の電車に飛び乗った私は空いていた席に座って一息ついた。

 ふう、なんとか間に合いそう。できたら先にお風呂入りたかったんだけど、それだとお風呂配信になってしまうからノーだ。

 まさかこんな分刻みのスケジュールになってしまうなんて……お人好しの自分が憎い。

 ただ、そのおかげで職場はなんとか回ったし感謝もされたので結果オーライということにしておこうね。


 安心したら、急に眠気が……昨日ほとんど寝れてない中での出勤だったしなあ。

 私ははっとして目を開ける。

 こんなところで寝たらだめだ。寝過ごしたら配信に遅刻してしまう。

 でも、少しくらいなら……いやだめだめ! 何を考えてるの!

 私は下がろうとする瞼を必死にこじ開けた。

 電車の揺れがまるで揺りかごかのように心地いい。

 暖房の温度がちょうどよかったのもあり、私は配信のことを考えながら――眠りに落ちた。


 目を覚ますと、そこにはさっきまでと変わらない光景が広がっていた。

 私はそれに多少の違和感を受けつつ、ぎょっとする。

 しまった、寝ちゃってた!

 慌ててスマホで時間を確認。

 ……よかった、大して時間経ってなかった。

 ほっと胸を撫で下ろして顔を上げると、そこにはさっきまでいたはずの乗客が誰一人いなかった。


「え?」


 狐につままれたようだった。

 疲れているのだろうか。

 もう一度手元に視線を戻すと、私はスマホではなく配信用マイクを握っていた。

 あれ? と思った瞬間、車内アナウンスが鳴る。


『次は、證誠寺しょうじょうじ、證誠寺でございます。お降りの際はお忘れ物のないようお気をつけください』


 ……は? どこだって?

 證誠寺って言った!?

 いや、そんなはずはない。だって、ここは近畿地方だ。

 急にそんな場所に出るなんておかしい。きっと似た名前を聞き間違えたのだろう。

 疲れてるせいで、幻聴まで聴こえたらしい。

 もっと自分を労らないとな……。

 電車が止まり、扉が開く。

 入り込んできた乗客に何気なく視線をやった私は、三度見くらいした。

 なぜなら、それらは全て狸だったからだ。

 よく見る、編笠を被って、杖をついているあの狸の置物。

 それがわらわらと電車に乗り込んできているではないか!

 ついに頭がおかしくなったのかもしれない。明日にでも病院で看てもらった方がいいだろうか。

 と思っていたら、スピーカーから「証城寺の狸囃子」が聴こえてきた。

 それに合わせて、狸の置物達が楽しげに踊り始める。

 呆然とそれを眺めていると、狸達がこっちに押し寄せてきた。

 逃げたくても、数が多すぎて逃げられない。

 私は人混みならぬ狸混みにもみくちゃにされながら叫んだ。


「や、やめてーーー!!!!」


 ――――――――――

 ―――――――

 ―――……


 がくっと衝撃を感じて、私は目覚めた。


「ゆ、夢か……よかった。ていうかどんな夢だよ」


 多分、昨夜、緊張した気持ちを落ち着けるためにYouTubeで「証城寺の狸囃子」を聴いていたのが原因だろう。

 それがこんな形で顕現してくるなんて。人間の想像力は時に恐ろしい。


 と、その時、私はさーっと血の気が引くのを感じた。

 今何時!?

 祈る気持ちで時刻を確認する。

 神様なんて……いなかった。

 完全に寝過ごしてしまった。もう今から帰っても配信の時間には間に合わない。

 どうして。ちゃんと時間までに仕事を切り上げて。電車にも間に合って。

 気が緩んでしまったのだろうか。本当にありえない。

 奈央のために頑張るだなんて大見得切っておいて、このザマだ。

 やっぱり、私には奈央の代わりなんて無理なのか。

 いっそのこと、このまま逃げ出してしまおうか。

 そしたらまた明日からいつも通り……いつも通り?

 朝起きて、仕事行って、帰ってきて、ご飯食べて、お風呂入って、寝て、また朝起きて……それが私の人生なのか?

 生きていくためには働かないといけない。朝起きるのが憂鬱でも、人に会いたくない日でも、そんなの関係なく。

 そんな日々に疑問を感じる暇もなく、社会というピラミッドから転げ落ちないようにすることで必死だった私に突然降りかかったVtuberデビューの話。

 Vtuberなんて観たこともなかったけれど、自分なりに色々調べてみたりしてすごい人達なんだなと思ったし、その世界に興味が湧いた。

 自分の人生が変わる気がした。

 それなのに、こんなことで終わってしまうのか。

 自分は向かいの席で酔い潰れてるサラリーマンの男性や、死んだ目でスマホを弄っているOLとは違う。

 私の人生はつまらなくなんかない!


 電車の扉が開いた。

 私は地元ではないその駅に降りて、走った。


「はあ、はあ、はあ」


 目的もなく勢いで降りてしまった。

 私はスマホで周辺の店を探した。

 ここから三百メートル離れたところにデパートがある。

 私は人生でこんなに走ったことないぞってくらい走った。

 私服OKの業種で助かった。とはいえ、運動は得意ではない。

 何度も転びそうになったし、しんどくて止まりたくなった。

 でもここで止まったらだめだと言い聞かせて、ついにデパートに飛び込んだ。

 雑貨屋……違う。服屋……ここでもない。

 私は半分パニックになりながら、を求めて店中を探し回った。

 探し回ること数分、藁をも縋る気持ちで飛び込んだ百均で、ついにいい感じのものを見つけた。

 私はそれを購入し、退店するとスマホを起動した。

 そして、友ちゃんのTwitterアカウントにログインして文章を打ち込んだ。

 時刻は二十時四十分。蓮道寺かくりよさんが配信してる時間だ。


『大変申し上げにくいのですが電車で寝過ごしてしまったので配信間に合いません。なので現地配信したいと思います。二十一時からよろしくお願いします。』


 当然ながら、そのツイートには困惑のリプライや何事かと面白がるリプライが一挙に送られてきた。

 無理もない。何も知らない人からしたら、一体どういうことなんだってなるよね。

 それは先輩方も一緒だった。

 ツイートを送ってから数分後、数名の先輩からチャットが送られてきた。

 しかし、それを見ることはできなかった。今見るのはよくない。

 後で謝らないとな……。



 * * *



 時刻は二十時五十九分。

 本日はお日柄もよく、デビューするにはまずうってつけな日ですね。

 私は今、デパートから数十メートル離れた小体な公園にいる。

 幸いにも私以外の利用者はおらず、ほっと胸をなでおろす。

 YouTubeアプリを開き、百均で買ってきたスマホスタンドを駆使して(百均神!)ベンチにスマホを固定して、先程購入した、雅な趣のあるお面を被った。

 そして、深呼吸して――ライブ配信スタートのボタンに指を伸ばした。

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