第12話 烏の男の正体は?

 フィエロは勢いそのままにフィスチノの方に向かって駆け出す。


「覚悟っ!」

 彼の握る棒は未だに青い輝きを帯びていた。


「だ、駄目! フィエロ、行ってはいけないっ!」

「そうだっ! そいつの目を見てはいかんっ!」


 スオーラはおろか、普段勝気なルッソですら彼を止めようと追う。

 二人はその目の力を嫌という程、理解しているのだ。


「邪魔をするなっ!」

 フィスチノが軽く左手を振ると砂交じりの途方もない温度の熱風が、二人へ向けて吹き荒れた。


「きゃあぁぁ!」

「う、うおぉ!」


 喉が焼かれるのではないか感じる程の高熱。しかし二人に届く直前で逆風が吹いた。


(あ、危なかった…)

 ローダは思わず息を飲む。会話用に散らしていた風の精霊達に自由を与えたのだ。


 お陰でスオーラとルッソは難を逃れる事が出来た。


 しかし完全に術中に入った者がいる。精気に溢れていた目は完全に失われ、よろめきながらフィスチノの元へと堕ちる。


「ふぃ、フィエローッ!!」


 喉を震わし、右手を目一杯伸ばすスオーラの声も届かない。

 成す術なくフィスチノに捕まるとその首筋に八重歯が喰らいつく。


 フィスチノが血を咀嚼する音のみが、耳に入る様な錯覚をすら感じる。それ程に衝撃的な絵面であった。


「嗚呼…中々に美味であったわ」

 フィスチノがフィエロを離す。彼女は口から滴る血を手の甲で拭い、それすらも全て舐めつくした。


「あ、あ、あっ……」

 スオーラがガクガクッと膝を揺らしながら崩れ落ちる。涙が止まらない。


「さあてこの坊や、フィエロっていったかしら? 後は欲望の赴くまま、あのエサは好きになさい」


 フィスチノに言われるまでもなく、傀儡と成り果てたフィエロがスオーラを覗き込む。


「スオーラ様、ここはお下がり下さいっ!」

「そうですっ! 我等に御任せを!」


 ルッソと数名の僧兵達が彼女の前に出て、それぞれに武器を構える。フィエロだった者を睨みつけた。


(全く、だから嫌だったのだ。品性の欠片も感じぬ……)


 ラウムはそんな主の行動を一瞥したのだが、心の中の思いなので誰も気づく事はなかった。

 そして自らの仕事だけをこなそうと動き出す。


「フンッ!」

 まずは地面に両手をついた。そこから円形上に黒い文字が浮かぶ。元来存在していた砦の大きさ程に広がった。


(魔法陣!?)


 そして陣の中から砦の成れの果てである石達が固まって人の姿を成し、立ち上がり始める。

 その数、80体といったところか。


「全く…砦さえ壊されなければ、1体の巨大な石塊ゴーレムが生成出来たものを…」


(なっ、砦の高さがあったのは巨大なを収める為ではなく…)

(ゴーレムの依り代だったって事!?)


 石のゴーレム達は生成者の思惑とローダとルシアの驚きを他所に、ノソリッと身近にいる兵士に向かい始めた。


 次にラウムは左手を水平にかざす。瞳の赤い烏の群れが寸断無く出現する。

 闇の中に紛れたカラスの群れ。赤い瞳が星よりも夜空を埋め尽くした。


(ゆけっ!)


 ラウムが心の中で合図を送る。彼等は一斉に兵士達に向かって飛ぶ。その妖しさだけで恐怖を煽るのには十分だ。


「さらにコレだっ!」


 今度はラウム本人の両腕が伸びた…かに見えたが、少し異なるかも知れない。

 正確には影を集めて創造したその身体。その腕が急激にしかも途轍もなく大きく伸びた。

 砦の跡地を囲っていた修道兵達全てに届き、次々と薙ぎ払っていく。


 彼の身体が伸びたのか、その影なのかが不明なのだ。


(おかしい……)

 ローダはラウムのこれまでの攻撃を上空から観察して不審を抱く。


(ラウム、アレが俺の知っている存在と同義ならば、この攻撃はあまりに手緩い。予定した砦のゴーレムが作れなかったのを差っ引いてでもだ)


 さらに彼の思案が続く中、僧兵達と修道兵達が徐々に落ち着きを取り戻し、ラウムの対応を開始する。


 烏の大群に対しては盗賊達がスリングショットで対応を始める。石や鉄球などで撃ち落とそうするが、避けられる事もあり効率が悪い。

 そこで散弾用の細かい石に取り換えたり、或いは地面の砂をかき集め、烏の視界を奪おうという企てをする。


 ゴーレムと相対したのは、剣を持った修道兵や棒術使いの僧兵達である。

 相手は石で出来ているので何れにせよ、彼等だけでは勝たせて貰えない。


 ルッソは完全に自我を失ったフィエロの相手をしつつ、戦槌ウォーハンマーの戦士達に指示を飛ばす。

 戦士達は他の兵等数人で抑えているゴーレムを背中から叩き砕いた。


 最後にラウムの伸びて来る手。これは確かに脅威であるが、戦い慣れた者であれば回避も可能の様だ。


 要は烏にせよ、ゴーレムにせよ、数や規模の劣勢こそあるものの、人の力で対応出来るのだ。


(だが、悪魔デーモンだ。増してや天使だった頃の彼の位は座天使ソロネだと聞く。三番目の位だぞ。その様な者が真の力を振るおうものなら、天地が返る事すら出来る筈?)


 これがローダの考えるの根拠である。

 しかしいくら考えても正答が出るアテもない。相手は神話の住人かも知れないのだ。


(何か訳があるのかも知れない…)


 ローダは一旦、ラウムを推し量る事を棚上げにした。悪魔ラウムが本気を出さないのであれば、血を吸われたフィエロの対応こそ、優先順位が上になるのだ。


 その渦中のフィエロだが、ルッソが最初一振りを相手にした。


「くっ!?」

(こ、これが棒術!? いくら此奴フィエロと言えど、一撃が重すぎるのではないか?)


 これがルッソの正直な感想である。フィエロは完全に自失し、ゾンビの様に緩慢な動きで襲って来るのかと思いきや、通常の棒術使いとして振るって来たのだ。


 ただ、その目に生気はなく、瞳孔が開き切っていた。


 後は棒術使いの僧兵が4人、彼等はスオーラの壁となりつつ、ルッソとフィエロに割って入る隙を伺っているのだが、中々思う様にいかないでれていた。


(フィエロ……)

(フィエロ、どうすれば…既に手はないのか?)


 ルシアとローダが夜空に浮かぶ新月の如く、その目に光を失っている。

 もしフィスチノがローダの考えている者と同義であるのならば、最早フィエロは完全な眷属なのだ。


 既に救える心を失ったフィスチノの操り人形……。


(おおっ……ふぃ、フィエロや……)

 母エリナは息子を喪失した哀しみに、声を失い涙を流すだけである。


 そんな最中、スオーラを守っていた僧兵の内の二人が突如焼失する。

 先の大戦に続き、またも尊い命があの女術師によって奪われた。


 スオーラの肩が悲しみではなく怒りで震え、遂に自分の中の何かが振り切れた音が聞こえた。


「も、もぅ……」

「スオーラ…様?」

「もう……貴女にかける…女神の慈悲は、あ、ありません。これより私が戦之女神エディウスに成り代わり貴様を成敗するっ!」


 スオーラの美しい紫の瞳が血の色を帯びて、燃え上がっているかの様だ。

 身を包んでいたコートを脱ぎ捨てて、賢士の姿を堂々と晒した。


「デエオ・ラーマ、戦之女神エディウスに我が言の葉を捧ぐっ! 斬り裂け『言之刃フォグラマ』!」


 先程、烏の姿であったラウムにも使った言の刃の術だ。今度はフィスチノ一人を斬り刻もうと襲いかかった。


 しかし結果はそれこそただの葉が触れただけといったてい。フィスチノにはまるで効かなかった。


「アタシはね、魔法防御力がの奴とはダンチなんだよっ」


 フィスチノは其処等と告げた一瞬だけ、ラウムに冷たい視線を浴びせる。それから相手スオーラを覗き込んで、実にイヤらしい顔で笑った。


「あ、そう…。それはそれは御丁寧にありがとうございます………」

「あぁ?」

「この醜くて汚らしいクズ女っ! 今のはお試しってヤツよ……次は容赦しない」


 今度はスオーラが冷たく笑う。とても彼女のそれとは思えない顔だ。裏腹には、フィエロの無事を未だに信じる気持ちを抱いていた。

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