第3話 良い男しか要らない女

「むっ、船が動き出した。しかもコイツ速い!」


 ローダとルシアがフォルテザの港を出港した頃、海の中で人の声が響いた。


 とはいえ声の主の影は全く見えない。岩陰に隠れてはおらず、頭を海上に出している訳でもなかった。


 しかし声だけは明らかに発しているのだ。もっとも海中なので、船上にいるローダ等には全く届かない。


「とにかく早く取り付いてしまわねば……」


 その後、この声は海中にも聞こえなくなった。声の主は後の話にてローダ等を苦しめる事になるのだが、この時には知る由もない。


 ◇


 ロッギオネの首都『アディスタラ』を墜とした張本人は、同地の神殿を自らの拠点としている訳ではない。


 何故なら神殿自体を使い物にならない程に破壊し尽くしてしまったからである。

 そもそも神という存在自体が目に見えるものではない。信仰する者達は聖書や教会、神像などに祈りを捧げるものだ。


 その最たるものが神殿である。よってロッギオネを墜とすという事はその神殿を完膚なきまでに破壊する行動なのだ。その結果がこの有り様である。


 この街の住人達は本当に不憫でならない。


 よって現在この地を統治している者は、その配下に砦を建造させて、そこに居を構えていた。


「ふぃ、フィスチノ様ーっ!」


 一人のゴブリンが慌てた様子で何かを伝えようとしに来たが、あっという間にただ一発の火炎にて焼失し、灰だけになってしまった。


 共にやって来たコボルトがそれを見て声を失う。砦の最上階、屋上での出来事である。


「テメエみてえな薄汚いのがアタシの名前を呼ぶんじゃねえっ! 気色の悪いったらないわ……。良いって言うまで声を掛けんなってあれ程言ってんのに」


 フィスチノと呼ばれた者はどうやら女性らしい。


 ただ人間にしては血色が悪くハーフエルフの様に耳が尖っている。


 後ろ髪は小豆色で前髪だけ苔の様な色をしており、両目をほぼ覆っているので表情が分かりづらい所が、気味の悪さに拍車をかけていた。


 ゴブリンに向かって火炎を飛ばした訳だが、魔導士の様な杖は持っておらず、詠唱すら一切なかった。


「アタシの名前を呼んでいいのは良い男だけなんだよ。あの黒い男(マーダ)め。男どころかゴブリンだのコボルトだの、人間ですらない奴ばかり寄越して来やがる」


 フィスチノは未だに震えて声が出ないコボルトを睨みつけた。コボルトは震えを止めたが、やがて動かなくなりその場で絶命した。


「ほぅ、鋼の戦艦がこちらに? どおりで不細工な男共の匂いがする訳だ。反吐が出る」


 フィスチノは厳密に匂いなのか或いは気配の事を指しているのかは不明だが、どうやらコボルトの言いたかった事を勝手に読心し、自分でもそれを捕捉したらしい。

 目をつぶりさらに探りを入れている。

 そして不意に不気味な笑いを浮かべた。


「なんだ、中々に可愛い男もいるらしい。成程アレを殺れって事かい。良いだろう、アタシはね、正義だ悪だのどうでもいいさね。良い男の生き血がすすれりゃ、満足なのさ」


 そう言ってクククっと笑うと砦の中へ消えていった。


 ◇


「あ、貴方は誰?」


 スオーラは不意に姿を現した男に対して不審な態度を露わにした。剣術や武術の類は明るくないが、エディウス神の力を行使する為の修行を怠った事はない。


 そんな自分がこの男の気配を感じ取れなかった事を悔やむ。


「お、お待ちください。決して怪しい者では……」


 と、言った所で男は、口を噤んでしまう。これでは怪しくない訳がない。


 とにかく敵ではない意志を先ずは示そうと決めて、それ以上の距離を詰めずにその場で座り込むと、武器らしい物を放り投げた。


 それは一見ただの長い棒に見えた。さらにひたいすら床に付けて土下座をする。


「わ、わたくしはただの僧兵で、名をフィエロと申します。修道騎士でない私は、本来ならこの場所への侵入すら許されておりません」


 フィエロと名乗った男の声は震えていた。スオーラは見ていて何だか、憐れに思えてきた。


「フィエロとやら、せめて顔を見せて下さい。でなければロクに話も出来ません」


 スオーラの声が少し柔らかみを帯びる。フィエロは両手を地面に付けたまま顔だけを上げた。


(あら、顔に大きな傷痕こそあれど、なかなか凛々しい。歳は私と同じ位かしら?)


 彼女の第一印象は決して悪いものではなくなった。


「ではフィエロ。入る事を禁じられているのに何故ここにいて、私を追う賊の様な事をしたのですか?」


「はっ、いつもスオーラ様のたみに対する優しき御姿を拝見しておりました。特に母をその御力で救って頂いた御恩、これを返したい一心で……」

「待って!」

「はっ?」

「今、母と言いましたか。その方お名前は?」


 スオーラはこれまでの非礼よりも、自分が救ったという彼の母の事が気になって、質問の内容を変えた。


「あ、母はエリナと申しま…」

「エリナ!? えぇと……そうだ! ひょっとしてエリナ・ガエリオ司祭では?」

「はっ、仰せの通りにございます」


 その名を聞いた彼女の顔が光が差した様に明るくなった。


 どおりで他人の気がしない訳だと彼女は思った。自らフィエロに近づくと、目の前にしゃがんでその両手を取る。さらに視線の高さを相手と合わせた。


「す、スオーラ…様!?」


 相手の豹変ぶりにフィエロは気が動転してしまった。


「全く初めから姓まで名乗ってくれれば良かったのに。エリナ先生にはむしろ私が学校にて大変お世話になりました。私が命を救った? とんでもない!」

「そ、そうであらせられましたか…」

「先生は回復や守りの奇跡に特化された御方。私達は戦いに特化した奇跡を行使し、あの得体の知れぬ者と戦いの最中、その奇跡に幾度も救って貰いました…」


 ここまで早口で捲し立てたスオーラであったが突然、涙交じりの声に変わり果てた。


 共に戦い失ってしまった戦友達が、脳裏をよぎったからである。


「あ、あ、わ、私はたまたま敵に襲われた先生を、す、救ったに過ぎないの……」


 遂に彼女はその場に泣き崩れてしまった。フィエロにどうにかする器量はない。


「せ、先生は御母様は?」


「はい、息災でございます。ただ父と住む場所を失いまして…」

「それなら貴方も一緒に私の部屋を使って下さい!」


 スオーラは未だにフィエロの両手を握っている。フィエロは泣き腫らした顔を見つつ、告げられた言葉の意味を解するのに暫く時間を要した。


(ど、同居!? 憧れのスオーラ様とこの俺が!?)


 ようやく理解すると、その手を無理矢理離して後ろに飛んだ。


「なななな、何を!? 御自分が言ってる事、わ、分かっておられますか!? そそ、そんな事、御無理に決まっております!」


 そして両手と両脚、首、全身を振りながら完全に否定した。


「何故ですか? あ、私に対する気遣いは無用。部屋も無駄に広く父も母もいないので寂しい思いをしてるのです。御二人が来てくれれば正直私が嬉しい」


 逃げたフィエロに今度はスオーラが追いすがる。とても断れる雰囲気ではない。


(その御顔で迫られてはもう何も言えん。それにスオーラ様も御寂しい思いをされていたのか…)


「は、母に、そ、相談して……」

「これから一緒にエリナ先生の所へお迎えに参りましょう!」


 フィエロの発言はスオーラの耳に伝わってはいなかった。


(よ、よもやこの様な事になろうとは…。これもエディウスの御導きか?)


 フィエロは心の中で十字架を切って、見える筈のない神を仰ぐのであった。

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