第2話 姫様は大変腹を立てている

 ロッギオネの首都『アディスタラ』にある修道兵を教育する学校の跡地。


 学校こそほぼ廃墟と化してしまったが、その地下には有事の際に逃げ込むシェルターの様な空間が用意されている。


 本来なら住人達を匿う為の施設なのだが、敗残兵達が奪われた神殿の代わりに好きに使っている状態だ。


 この自治区に限らずアドノス島の各地域に、この様な民衆を収容する施設が存在する。

 島国という弱さに屈せず周到な準備をしているのだ。


 なれどせっかくの用意を軍が牛耳っている。本来民衆軍とは民を守るべき存在。


 しかし彼等修道兵は神を守るべく存在する。


 全くもって不条理なのだが、民衆でさえ自分達は神によって生かされているという思想に沈んでいるのが、ロッギオネという所なのだ。


「ああっ? またエディンからの協力要請? 捨て置け、返すまでもないわ」


 ロッギオネ修道兵副長ルッソ・グエディエルは、部下の伝令に一瞥をくれた。


 褐色の肌に数多くの火傷や傷痕、腰には三日月の様に湾曲した剣、シミターを収めた柄を刺している。


 豪胆を描いた様な顔つきで神殿の騎士というより、砂漠の兵といった様相だ。

 廃墟から持ってこさせた大きな椅子でふんぞり返っている。


「し、しかしグエディエル。エディンのサイガン様と言えば、あの黒い剣士を打ち破り、およそ半月前にはエドル神殿を解放した方々と言うではありませんか。話だけでも…」


 命を落としたロッギオネ修道兵総長の娘。スオーラ・カルタネラが、高い声を必死に上げて訴える。


 切り揃えた緑の長髪、大きな紫の瞳。紺色の着衣と赤と白の縞模様のスカーフは、エディウス神の奇跡を扱う人物でも特に上位の者である事を示している。


 まだ18歳という年齢にあどけなさがあるが、その容姿に振り返る者は多い。


「お言葉ですが姫様、例え総長が破れても我々は鍛え抜かれた精鋭揃い。エディンの連中がどれ程のものか知りませぬが、ラオやフォルデノの連中と結託してようやく成したという話。その様な烏合の衆など足を引っ張るだけでございます」


 ルッソは肩肘を立てながら目上の人間に対する礼など微塵もみせずに答えた。敬語すら馬鹿にした響きがある。


 スオーラは姫などではない。しかし修道兵総長の娘という事でこの場にいる誰よりも身分だけなら1番上。


 本人の意志とは無関係にこの様な呼ばれ方をされている。

 が、早い話が敬いからの呼び名ではなく、むしろ若輩者としての馬鹿にしたものだ。


「し、しかし…」


「姫様はお疲れなのでしょう。聞けば被害を受けた民の為に日夜御活躍されているとか。そんな些事、生き残りの司祭にでも任せてゆるりとされるが良い」


 ルッソはもう聞きたくないと言わんばかりにスオーラの言葉を遮った。

 指を鳴らすと部下が二人、スオーラの手を取って退室を促した。


「良い、一人で行ける、無礼ぞ」


 スオーラは兵士達の手を乱暴に振り解くとあっという間に出て行った。


「フンッ、世間知らずの娘が。総長とて所詮は血筋だけのハリボテだ。俺が生きてるのが良い証拠だ」


 ルッソは冷笑しながら見送った。


「全く冗談じゃない。私のその御活躍とやらはお前達がすべき人道支援であるというのに」


 実に憤慨してる気分を隠す気もなく床を踏み抜く様な勢いで歩く。先程までの礼節を弁えた姫様が別人の様だ。


「こうなったら私一人でもエディンの方々に接触するしかないわ」


 スオーラの目は決意で燃えている。紫の瞳が赤に染まったかの様に。


 その様子を隠れて見ている影が一人。実は彼女の事をずっとつけている。別に護衛任務を帯びている訳ではない。


(スオーラ様、御一人で? それは危険だ、何とかしなければ)


 影の正体は唇を噛んでいた。彼もルッソと他の修道兵達のやり方に大層不満を抱いていたのだ。


「す、スオーラ様。ど、どうかまずは落ち着かれて下さい」


 影は自らの姿を晒さずにはいられなくなった。


 ◇


 場所は再びフォルテザ。この街の大きな港は貿易と軍港を兼ねている。

 大国エタリアの力も借りて2つの砲台を備えた戦艦を配備出来た。


 もっともドゥーウェンやサイガンがその気になれば、2092年辺りの時代から持ち込んだ技術でもって、こんな船なぞ骨董品になってしまうのだが、それはもう少し先の話である。


「随分と騒がしいのね。それになんか色々混ざって臭いわ」


 ローダと共に船に乗り込んだルシアは容赦がない。思わず鼻をつまむ。


 一方ローダは初めて見る鉄の船に舞い上がっている。周囲を見渡し、時には船を叩いたり触ったりとまるで初めて旅行に行く少年の様相である。


「ねぇローダ、聞いてる?」


 ルシアはちょっとむくれながらローダの左肩を揺すった。


「んん? あ、ごめん、何だっけ?」


 ルシアとは正反対の気分だった訳である。彼が話を聞いてる筈がない。


 とある船員の目にそんな二人の様子が映った。


「船って言うのは沈んじゃ役に立たねえんで自然、息苦しくなっちまうんだ。特に軍艦って奴はな。お二人さん、船は初めてかい?」


 船員が気さくに話しかけてくる。


「流石にこんなに大きいのはね。まあ遊びに行く訳じゃないから、豪華な船旅って事にはならないよね」


 ルシアはヤレヤレと肩をすくめた。


「俺はエタリアから小さな漁船で渡って来たんだ」


 ローダは聞かれた事にだけ答えた。


「だったら船酔いは心配なさそうだな。そこの梯子を上がってみな。すぐに出航だ。海に落ちるなよ。豪華客船とはいかねえが、それなりにいいもんだぜ」


 船員はそう言い残し、自分の仕事に戻っていった。


「何よ、随分勿体ぶるじゃない」

「まあ、言われた通りにしてみようか」


 不満気な顔でそれを見送るルシアをなだめる様にローダは促した。


 ルシア、ローダの順で梯子を上がってゆく。上を見ないでよとルシアが注意するので、ローダは仕方なく下を向いたままの姿勢で上がる羽目になった。


「うわあ……」


 と、いう声と共にルシアが突然登るを止めたので、ローダの頭が尻に当たってしまった。


「お、おぃ、何やってん……」

「上見るなって言ってんでしょ!」


 文句を言うローダに構わず、ルシアは蹴りを入れてきた。憐れローダは落とされてしまった。ルシアはサッサと梯子を上がってしまう。


(痛た、全く酷い事をする。そういやガロウも脇腹をやられていたな)


 ローダは今後ルシアに近寄る時は用心しようと心から誓った。

 そして改めて梯子を上がる。既に船は碇を上げて動き出していた。


「おぉ……」


 ルシアが思わず足を止めた理由を理解した。自分も急いで登り切る。


 ルシアは既に甲板に立ち、手摺を握りながらその状況に酔いしれていた。


 周囲を舞う数々の海鳥達、あれ程臭いと感じていた海と鉄の混ざった香りが、海風と交わっただけで大変心地良くなった。


 風と水の精霊の喜びが聞こえてくる様だ。船速が徐々に増し、海を割いて進行する。


 ローダは笑顔を取り戻しルシアの後ろに立った。そして自然にその肩を抱いた。


 その珍しく大胆な行動に彼女は少々戸惑ったが、逆らわずにその身を預けた。

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