第2話 協力要請

「エーリッヒ劇場、ですか……」


 刑事課長の言葉を繰り返し、隣をちらっと見上げる。そこにいるのは、身長百九十はあろうかというガタイの良いおっさん。胸板が厚く、肩も大きく、野球選手に居そうな人である――と思ったら、本当に学生時代に野球をやっていたらしい。名前はベン・パーキス。当時二十三だった俺の、相棒にしてお目付け役の先輩である。

 パーキス先輩は、ゴツゴツとした顔にすっかり埋もれてしまいそうな小さな灰色の目で俺を見返した。ちょっとしたアイコンタクト。目と目で通じ合うほどの仲ではないが、たぶん同じことを思っている。


 エーリッヒ劇場。レッヘン――バルト区の二つあるスラム街のうちの一つにある、小さな廃劇場。ホールは一つだけで、扇型の席があり、その付け根の辺りに、同じく扇型の舞台がある。ちょっとしたオペラや劇を、さらに潰れるまでの数年間は映画も上映していたらしい。が、客足は奮わず閉鎖。建物は不良たちの溜まり場と化している。鎖で観音開きの入口を封鎖していたらしいが、割れた窓だったり、鍵の壊れた非常口だったり、とにかく入口を見つけて入っているらしい。まあ、ああいうところにある建物は、そうなる運命だ。嫌だったら壊すしかない。

 壊せれば、だけど。

 金の問題もあるが、あの辺りは建物が密集しすぎて重機が入らなかったりなどの理由で壊せないらしい。ただ朽ちるのを待つばかりの場所。


 そんな場所に、最近不審な人物が無断で住んでいるようだからちょっと様子を見てこい、と課長に言われた。ここで俺たちの中に疑問が湧き上がったわけである。それは普通、交番に詰めているお巡りさんの仕事で、俺たち刑事の仕事ではないのでは、と。

 それに、あのようなワルどもの溜まり場のような建物に不審者がいたからと言って騒ぎにしているのも腑に落ちない。人物が特定されていて、しかもそれがよほどの人間でない限りは『関せず』がバルト署の基本。いちいち構っていたら、こちらの身が持たない。

 で、ここでようやく一つのことに気付くわけだ。そんな状態なのにわざわざ言ってくる、ということは、その不審者が誰なのか、特定できているということ。そしてそれは事件を起こしたか、あるいはこれから事件を起こしそうな人物である、ということを。


 にぶちんの俺たちが状況を飲み込んだタイミングで、課長は一枚の写真を差し出した。


「不審者は、ジョナサン・イーネスと見られている。メルティーン工業に整備士として勤務。居住地はバルト区フリック。家族は妻と娘が二人。両親は健在で、現在はディタ区に住んでいるとのことだ」


 俺たちは写真を覗き込む。赤い髪と水色の瞳に、丸い眼鏡を掛けた男が写っている。印象は、至って普通の人。太ってもなく、痩せぎすでもない。強いて言うなら、清潔感はあって、真面目そう……くらいか。


「彼は――いや、彼らは、か。四年前に一家全員行方不明となっている。それまでトラブルの類いは一切なかったそうだ。借金はなし。交友関係にも問題はなし。ご近所付き合いも良好で、ジョナサンの職場でも揉め事なし」

「なのに、突然居なくなった、と?」


 課長は神妙な面持ちで頷いた。


「だが、気になる点が一つある。イーネスと娘二人より先に、妻のクローイの姿が目撃されなくなったそうだ。しかもその頃から家族の様子がおかしい。特にジョナサンを不審に思ったクローイの両親は、ジョナサンがクローイを殺害したんじゃないかとまで疑ったんだそうだ。そこで警察に相談しようとした矢先――」


 ジョナサンと双子の娘たち――アーシュラとキアーラが失踪した、ということだった。

 ジョナサンや娘たちの職場・学校に連絡はなし。住んでいた一軒家に家具は残されていたが、一部荷物が持ち去られた形跡はあった。借金があれば夜逃げと言えただろうが、先に課長が言っていたように、その事実はなかったらしい。


「クローイの両親の証言もあって妻殺しの上での逃亡かとも思われるが、こちらもクローイの死体が見つからない以上、証拠がない。理由はわからないまま失踪扱いになった」

「そんな人物が、今回エーリッヒ劇場で見つかったってことですか」


 なんでまた、そんなところに。

 不思議に思っていると、


「……それだけですか?」


 先輩が硬い声で尋ねた。


刑事われわれを指名するからには、その男は何かしたわけでしょう?」


 うん、と課長が頷いた。なんとなく浮かない様子だ。


「もう一つあるんだ」


 はあ、と憂鬱そうに息を吐く。それから重々しく口を開いた。


「イーネスが失踪した頃、サロマで通り魔殺人があった」


 課長はまた新しい写真を一枚出す。目に隈がある痩せぎすの男だ。こちらはクスリでもやっていそうな、不健康そうな顔。


「殺されたのは、ランドン・ユンガー。オーパーツを売り捌いていた男だ」

「オーパーツ!?」


 予想外の言葉に、思わず声が裏返る。

 Out of place Artifacts――オーパーツOOPARTS。〝場違いな工芸品〟の意味を持つそれは、九年ほど前に、この都市シャルトルトの東側――シャル島東部の遺跡から出てきた、魔法のような現象を引き起こす発掘品だ。

 危険なものだからと現在は政府が管理している。〈未知技術取扱基本法〉――通称〈FLOUTフラウト〉という法律まで制定して、だ。そこからあぶれて密かに出回っている、いわゆる違法の品々があることは知っていた。けれど、それは警察とは別の機関が取り締まっていて――


「え、まさか……」


 さぁ、と血の気が引く。この仕事についている以上、そういうことがあることは知っていたけれど。


「この件、オーパーツ監理局からの依頼だ」


 でもまさか、今日だとは思っていなかった。

 課長はもう一度溜め息を吐いた。

 オーパーツ監理局。通称〝O監〟。〈未知技術取扱基本法FLOUT〉に則ってオーパーツを取り締まる彼らは、ときに特権を行使して警察組織に介入してくることがある。例えば、有無を言わさぬ協力要請とか。


「オーパーツ監理局は、彼ランドン・ユンガーを殺害した犯人をイーネスと睨んでいるらしい」


 まさしくその〝協力要請〟が来ているのだ、と課長はおっしゃるのでした。




 バルト区レッヘン街、その西側の入口となる通り。俺たちを待ち受けていたのは、スーツ姿の男が一人。前髪をきっちりまっすぐ切り揃えて、如何にもエリートって感じのスラリとした人物だ。


「オーパーツ監理局監理部捜査課のザール・シェパードです。よろしく」


 丁寧な台詞の中に、ほんの少し威圧のようなものを感じて、表面上にこやかにしていた表情が崩れそうになる。〝シェパード〟ときた。警察犬で有名な犬種と同じ名前なんて、偶然だろうとはいえ、らしい感じでどん引くわ。

 こちらも自己紹介して、礼儀的な挨拶をしてすぐさま本題に入る。


「すでにお聞き及びだとは思いますが、あそこ、エーリッヒ劇場にジョナサン・イーネスが潜伏しています。彼は四年前、ランドン・ユンガーを殺害し、オーパーツを所持しているものと推測されます。我々の目的は、イーネスの確保、それからイーネスが所持していると思われるオーパーツの回収です」

「そのオーパーツってどんなもんなんですかね? 危険なものなんですか?」

「その答えは、国家機関のみがその所有を許可されていることからも明白だと思われますが」


 ずいぶんと嫌みな台詞だ。ただ希少だから国が扱っているって可能性だって考えられると思うんだけどな。なにせ〈未知技術取扱基本法FLOUT〉、技術者を〝馬鹿にしたflout〟法案だと話題だし。

 ……しかし、わざわざこう言うってことは、ジョナサン・イーネスが持つものに限らず、オーパーツそのものが危険なものなんだろう。歯向かうのはやめておく。


「……ですが、どういう機能を発揮するものかについては、全くの不明です。知っていると思われるランドン・ユンガーはすでに死亡していますし、ユンガーの仕入れ元も未だ把握できおりませんから」

「そもそも、オーパーツがある確証もない」


 そうだろう、と先輩。シェパードさんは苦々しく顔を歪める。


「ええ……その通りです。空振りに終わる可能性も高い。だから、私のような若輩者が一人で派遣されているというわけです」

「こちらとしては迷惑な話だ」

「承知しています。が、どうかご堪忍いただきたい」


 ムスッとしたパーキス先輩。強面だからその不機嫌さが半端なく見えるんだが、シェパードさんは気にした様子がなかった。たぶん慣れているんだろう。オーパーツ監理局は、俺たち警察の鼻つまみものだから、きっと行く先々で嫌な反応をされているに違いない。


「さて。立ち話ばかりしているわけにもいきますまい。すぐに行動に移りましょう」

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