『FLOUT』オーパーツ監理局事件記録 ~Side G:ファンタスマゴリア~
森陰五十鈴
第1話 双子の苦悩
「終わったの?」
声を掛けられ振り向けば、アーシュラと同じ顔をしたキアーラが、感情をすべて削ぎ落とした表情で立っていた。
「……ええ。終わったわ」
名残惜しげに置かれていた手を機械から離し、床に置いた工具箱にドライバーを戻す。ブリキの箱。剥がれた塗装の表面に、これまでの絶望の年月を見た。表面の傷から水でも入り込んだのだろう、錆が浮いている。
アーシュラがいるのは、暗く閉鎖した古い部屋だ。人が五人も入れば身動きが取れなくなるだろう、狭い部屋。床にはたくさんの配線が張り巡らしてあり、足の踏み場はほとんどない。天井には、傘を被った白熱電球が一つ。防音処理された壁には、人の頭が入るか入らないかくらいの大きさの、ガラスの填まっていない小窓と、その隣にある目元の部分だけ空いた覗き窓。
そして、その小窓から外を覗くように、古びた幻燈機が一つ置かれていた。スタンドも合わせると、現代の映写機くらいはある大きなものだ。筐体とレンズで構成されている点はほぼ一緒。ただ、一般的なそれとは違って、アルミニウムのような薄い金属の筐体の一面には、投影用のレンズの他にもう一つレンズが設けられていた。
今は線の伸びた黒い蓋に覆われているが、それが撮影用のレンズだと、アーシュラは知っている。この幻灯機は、フィルムの画像と一緒に撮影した光景も映せるようになっていた。
《ファンタスマゴリア》とアーシュラたちは呼んでいる。もとは、幻灯機を使って幽霊や悪魔などを壁や煙に映し出したショーの呼び名だ。ときに画像を重ね合わせ、この世にあり得ない生き物などを作り出して投影することもあったという。
この《ファンタスマゴリア》も 、撮影した画像とフィルムの画像を重ね合わせて映し出す。
ただ――
「終わったのか?」
小窓の向かいにある分厚い扉を開けて、父が部屋に入ってくる。久しく櫛入れされていない赤茶の短髪にやせぎすの長身、窪んだ褐色の瞳のその姿は、まるで幽鬼のようで、姿を見た瞬間、自分の父であるのにも関わらず、アーシュラの身体は硬直した。
「終わったのかと訊いている」
「見れば分かるでしょ」
吐き捨てるようにキアーラ。反抗的な態度に、父の血走った眼が、妹に向けられる。普段はそれだけで終わるのだが、今日は気が昂っていたのだろうか、父は大きく手を振りかぶった。
――ピシャン!
乾いた音に思わず目を
キアーラ、と呼びかけたのを、無理矢理飲み込んだ。キアーラも睨み付けこそすれ、何も言わなかった。父を刺激すれば、事態は悪化すると分かっているのだ。
立ち
「準備ができ次第はじめる。オープライトを入れておけ」
そう言い残して出ていった。映写室の扉が閉ざされる。
さ、とアーシュラはキアーラに駆け寄った。叩かれた右の頬を見る。男の力だけで叩かれただけのことはあって、痛々しく腫れていた。
「…………ごめんなさい」
「なんで謝るの」
何もできなかった自分を恥じて謝れば、妹はぶっきらぼうに返した。
「ただ近くに私がいただけでしょ」
本当にそうなのだろうか、と一瞬頭を過ぎる。母が死んでからというもの、父はキアーラを全く見てこなかった。《ファンタスマゴリア》の手伝いをさせることはあったが、それ以外は、余計なことはするな、と釘を刺してキアーラを否定してきた。
一方で、アーシュラにはいろいろ世話をさせていた。いろいろと言っても、料理に掃除といった、家事全般だ。褒めたりお礼を言ってくるようなことは一切なかった。
ただ、どんな理由でも、役割を与えられたことが、少しだけアーシュラを救ったのも事実。
――同じ顔なのに。
何がそんなに違うのか、とアーシュラはいつも思う。他人が受ける印象は異なるらしいが、性格だって実はそれほど変わらない。自分の半身とまではいかないが、やはり姉妹なのだ、と実感することの方が多いというのに。
もっとも、キアーラのほうこそ、強くそれを感じているだろうが。
罪悪感が奥底からまた沸き上がってきて、もう一度謝罪の言葉を口にしそうになった。なんとか力付くで――それこそ先ほど父を刺激しないようにしていたとき以上の意志をもって――
「
端的に言って、キアーラは立ち上がる。部屋の隅にあった大きな包みを持ってくると、その中身を開けた。眼球ほどの大きさの丸い石が姿を現す。少しスモークがかかったように白っぽくはあるが、大きさを考えれば、純度としては申し分のない。中心部に黒い
《ファンタスマゴリア》の動力源。十年ほど前に突如として発見された、未知の技術で作られて未知の力を持つオーパーツの中心核。オープライトと呼ばれている小さな石ころ。
実はほんのりと、人肌程度に温かいそれは、キアーラによって《ファンタスマゴリア》の筐体内に納められた。
あとはスイッチを入れるだけ。それだけで、悪夢はいつでも始められる。昔はガラス板の中で見たあの悪夢が、今度は現実に現れてしまう。
それは、四年前。まだアーシュラたちが、初等学校に通う十三歳だった頃。進路の決断を一年後に控え、互いの将来に思い悩む日々をがらりと変えてしまったのが、ある日父が露店で買ったという古い幻灯機だった。
技術者の父は、古い機械を修理して使うのが好きだった。母は修理した機械を溜め込まないのを条件に許していたのでガラクタが家の中を占めることはなかったが、こういうことは度々あった。
またか、と家族で笑い合いながら、父がその幻灯機を直すのを待っていたのは、遠い昔のこと。
撮影機能を有しているというそれを、母で試して見ようと思ったのが、全てのはじまりだった。
スクリーン代わりに用いられた白い家の壁。投影されたキメラと呼ばれる幻獣の隣に立つ母。パチリ、と微かなシャッター音。
撮れたかな、とフィルム代わりのガラス板を三人で確認すると、小さなスライドの世界の中で小さな獣に襲われ逃げ惑う母がいて。
現実に目を戻すと、母の姿が煙のように消えていて。
何処に行ったのか、とアーシュラたちがきょろきょろと周囲を見回しているの間に、フィルムの世界の中で、母は獣に食い殺された。
破れた母の服だけが、満足そうに口の周りを舐める獣と一緒に血濡れた草原に遺されていたのだ。
ぼうっとした頭で、着々と《ファンタスマゴリア》の最終調整を進める。手慣れてしまった作業は、意識を別のところに飛ばしていても、身体が勝手に動いて進めてくれる。
それが良いことなのか、悪いことなのか。
そんなことをぼんやりと思いながら、手に取ったガラス板をぼんやりと見つめた。大鎌を持った骸骨が描かれた《ファンタスマゴリア》のスライド。モノクロームの静止画の向こうで、化け物が獲物を今か今かと待っている――。
「……人が」
映写用とは異なる、その横の小さな覗き窓を除いたキアーラが小さく声を上げた。
「子どもがいるわ……家族連れ」
硬い声には動揺が滲み、身体が小さく震えている。アーシュラの耳にも届いた。遠くから聴こえる歓声。おそらく父が招いたのだろう。面白い見世物があるよ、とかなんとか言って。
「……何も知らないくせに」
恨めしそうとすら思えるほどの低い声。自分がこれからしでかすことを恐れ、声を抑え過ぎたのだ。
「ねえ、アーシュラ。本当に、やるの?」
不安そうな目で、キアーラがこちらを見つめてくる。
父は、このスライドの中の化物を現実に顕現させる方法をずっと模索してきた。そのためにあらゆるオーパーツを掻き集め、使って、改造して、いろんな実験をしてきた。アーシュラもキアーラも手伝った。――一般人によるオーパーツの使用は禁止されている。アーシュラたちは罪に手を染めてきたのだ。
そして最近、父がなにかを掴んだらしい。
――この実験が成功すれば、母さんが戻ってくるぞ。
澱んだ瞳で熱に浮かされたように話す父の姿が脳裏に蘇る。酒が入ってた所為かいつになく上機嫌で、声は高く張りがあって、笑いさえした。一週間前のことだ。あのときはとうとう壊れたのだと思って、身震いしたものだ。
――でも。
アーシュラは思う。本当はずっと前に壊れていた。母が、このガラス板の中に取り込まれたときに。
「ねえ、キアーラ。お母さんは戻ってくると思う?」
スライドガラスに焼かれた絵を白熱電球に透かして見ていたアーシュラに、キアーラは暗く嗤った。
「……馬鹿じゃないの?」
アーシュラもキアーラも知っている。スライドの中で母が喰われたのは、幻想でもなんでもない。理屈などまるで解らないがあれは現実に起こった出来事で、このスライドに取り込まれた人を救えても母が帰ってくることはあり得ないのだ。
「そうね。馬鹿みたい」
親指と人差し指の間を開く。縁を挟まれていたスライドが、小さな音を立てて床に落ちた。そこに靴の踵を落として踏み割る。
ピキ、とした感触に満足すると、次はさっきまで座っていた丸椅子を拾い上げた。脚を持って振りかぶる。
はっ、とキアーラが息を呑んだ。
――ガタン!
丸椅子の座面と衝突し、筐体が大きな音を立てて横倒しになる。それを醒めた目で見下ろしたアーシュラは、もう一度椅子を振り上げると、何度も何度も筐体に向けて振り下ろした。
はじめはそれを呆然と見ていたキアーラだったが、アーシュラが必死でオーパーツを壊そうとしているのを見てようやく決心したのか、側にあった畳まれた三脚を手に取ると、アーシュラを手伝った。
二人で破壊行為を続けて、しばし。
自分たちが父親に
肩で息をしていたアーシュラは、ぺたんと床に座り込んだ。自分で壊した筐体にそっと手を伸ばす。自分たちがしたこととはいえ、なんだか申し訳ない気持ちになった。物に罪はない。悪さに使う自分たちが本当は悪いというのに――。
アーシュラの肩に、そっとキアーラの手が触れた。顔を上げると、同じ水色の眼差しを《ファンタスマゴリア》の上に落としているのが見えた。おそらく、キアーラも同じ気持ちなのだろう。
でも、これしか父を止める方法がなかったのだ、自分たちは。
不意に涙がこみ上げてきた。四年間ずっと、《ファンタスマゴリア》を含むオーパーツを弄り続けた日々。母が消えたのを境に狂っていった父の姿。虐げられるキアーラと、それを止めることができない不甲斐ない自分の姿。その前に穏やかで幸せな日々。いろいろなものがいっぺんに胸のうちに去来する。
――どうしてこんなことに。
自らの運命を呪ったそのとき。
視界の端に、人影を見た。
さっとアーシュラの血の気が引く。父にバレてしまったか。いずれそうなることとはいえ、こんなにすぐとは思わず身を強張らせる。
しかし、そこに居たのは、父とは違う、銃を構えた男だった。カーキ色の髪を後頭部で結わえ、モスグリーンの目を見開いた男。
アーシュラと彼の目が合う。
「――誰」
闖入者の衝撃からひと足早く立ち直ったキアーラが、鋭く問い詰めた。
「……俺は」
彼は少し言い淀み、唾を飲みこんでから再び口を開いた。
「……警察だ」
ふ、とアーシュラの身体から力が抜けた。
とうとうこの悪夢から開放されるときが来たのだ、と悟った。
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