3 独りの時間
「……そういえば」
無人の学習机が並ぶ1年D組の教室。
窓ガラス越しに差し込む黄昏色の光を背後に、置いてきたリュックを背負う神代阿頼耶は視線を天井に向けて、思い出したかのようにふと呟いた。
「先生が言っていた特別課外革命部ってなんなんだろうな」
「知らない」
高校生の戯言に対してクラスメイトの天坂京華はぞんざいに返答をする。
相変わらずの冷静沈着な様子で橫髪を耳にかける彼女は礼儀正しい身のこなしで黒バックを持参。その飾り気のない姿勢には気品さが溢れている。
慕われる理由、容姿もそうだが性格も含め評判の良さが学生達の励みに繋がり、上部のない安定した距離感が彼女の存在を支える。
運動神経も抜群と見た。
碩學で多才な美少女に人々は無意識に憧れに焦がれているに違いない。
だがしかし。
(多分、天坂京華はそんな感じ)
あまりにも残念過ぎる神代阿頼耶の推測の域。
欲張りな妄想。そもそも彼女が同じクラスメイトだと知らなかった時点で相当の的外れな高校生だが、昼休みの大概は離席していて、観測の届いてない教室の有り様はまるでシュレディンガーの猫。学生達が送る群青色の青春讃歌の境遇についてイヤホンを耳に当てて寝た振りをする不釣り合いな身分だ。
クラスの輪に溶け込めず孤立したとか、ネガティブに影が薄いとかじゃない。
―――独りだけの時間が好きなのだ。
恵まれた環境の中で他者と触れあい、自律心を育むのか。
けれど、小さな空間では百点しか課せられず、特定の人物でしかコミュニティーは築けない。デジタルを媒介にして見知らぬ誰かと交流を深める便利な時代だが、社会と折り合いを付けるのが難しくなるばかり。人間関係の複雑な柵が個人の成長を邪魔してしまい、自問自答を繰り返す人々は今も飛躍出来ないでいる。
口減らず、見苦しいだけの、机上の空論が激化する現代青春に一石を投じる術。
それは、比類なき判断力。
空気を読むことで険悪な雰囲気を回避し、沈黙を貫き、あえて関与しないことで火のない所に煙が立たなければ白羽の矢が立つこともない。
場合として恒常的に。求めれば臨機応変に対応する。
台風の目は狭い。雑音をもたらす周辺はライブ感に酔い痺れ、外周の鉛色をした面様を気に配ることはない。
多少の瞞着が許されるように。
外周の片隅で独り喧騒な時間を過ごす神代阿頼耶は、燦々とした憧憬真っ只中のカースト上位よりも修復が利く下位の絶景を独り占めにすることにした。
影の薄い脇役未満の存在がいなければ。
光は褪せてしまう。
「流石に知らないか。有益な情報を持っていないとすると……」
「そもそも初耳の段階。奉仕活動部の一環なのは確かだけど、部活の実態が掴めていない以上、目的地に辿り着かない限りは思索の無駄でしょうね」
言葉の裏に滲ます無頓着な声音。
そこで痛感した。愚直だった。真実を探るよりも実物を見た方が賢明であると、彼女はそう遠回しに告げているに違いない。
「……神代君が入部を願い下げていれば、無駄骨を折ることはなかったのに」
「う、それは、深く反省しております……」
全然違うじゃないか。
盲信的な慢心が。内申点欲しさに入部を希望した高校生の鑑。
不機嫌になるのも当たり前だ。天坂の異議を無下にしてしまい、独り善がりに行動をとる姿は甚だしく滑稽に見えていることだろう。
初対面である相手を悪印象を与え、真逆の結果をもたらす荒唐無稽な判断力。
こんなカッコ悪い性格じゃ高校生活も馴染めない。性根が腐っていると女子達にモテる以前に青春を謳歌することも叶わない。
やはり神代阿頼耶は孤立が似合う。
「いや、待てよ。まさか土下座をしろってことなのか?」
天坂は微笑む。
「どうして神代君に土下座を強要するのか、その意図がよく分からないけど」
「意図も何も私怨が全てじゃないか。貴重な放課後の時間をこんな不躾な能無しに邪魔されて納得できないだろ。フェアじゃない。罰を受けた方が……」
「罰を受ける方こそフェアじゃないよ」
御託を遮る彼女の背中姿。
振り払うように靡いた黒髪は殺風景な空間を支配する。
「気休めな言葉だけど、神代君、貴方は幸せになってほしいの」
「同情のつもりか? 杞憂はそこまでだ。オレは独りの時間が好きなだけさ」
「ふーん、独りの時間、ね……」
教室の掛け時計に視線を移す天坂の横顔は少しだけ寂しそうに見えて。それでも表情を緩める彼女は懐かしい追憶に浸る。
そして、光の住人は神代阿頼耶の方へ微かに振り向いた。
「ダウト」
「完全否定かよ」
「だって、必然的に私と過ごしていれば、独りの時間は破綻して当然でしょ?」
「ロジカルキャラのくせになんか屁理屈に聞こえる……」
「そう。嫌味が言えるのは今の内かもね」
先に仕度が整えた天坂は含みのある言葉を残し、単独行動を取る。
湛える微笑を隠して、淑やかに離れていく背中姿。改めて彼女は別の住人なんだなと他人事の神代阿頼耶は欠伸が出てしまう。
癖みたいに口元を手で隠す。
寝不足というか。
ようやく独りの時間になれた気がして。
堕落した心の退屈を吐き出して。ぼやける視界に目を擦ると、その間抜けな一面を前方の引き戸から覗くように首を傾げていた天坂京華に見られてしまい、
「教室の戸締まり。頑張って。クラスメイトの日直当番さん」
「……」
言葉は出ない。手を小さく振る彼女を見送るしかなく、桁外れな洞察力に脱帽。
何かが変わったワケでもないのに。初めて見る彼女の微笑み。
独りの時間なのに楽しくない。
虫酸が走る。
焦りと笑みを混じり、道化の仮面が溶けそうになる。
「幸せになれ、か……」
狸寝入りの自分自身に冷笑。消えた喜びに振り返る暇はない。有り触れた喧騒の時間を眺めるだけでいい。宝の持ち腐れだ。彼女の方こそ相応しい。
「―――悪いけど、俺には無理だ」
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