2   触らぬ神に祟りなし

 静まり返ったリノリウムの廊下を粗雑な足音が荒立てる。


 傾いた陽光に影が伸び始めて、充満する空気の冷却。別棟特有の閑散とした雰囲気に踏み込む三名のシルエット。時折窓ガラスに映る自分が視線を追うかのような、背筋が凍る不気味な感覚に襲われる。


 オカルトは信じない。


 というよりも体験したことがない。幽霊とか学校の七不思議といった恐怖の概念は怖さを楽しむ娯楽として怪談が日本中に知れ渡り、現代に至るまで浸透した感情の文化でもある。最後に含みを持たせることで真相は自分次第に委ねる。


 真偽は別として、特別に逢魔時の神社参拝には興味があった。


 夕方の神社は魔物が出ると呼ばれており、神様が横切るとか陰キャの時間だとか諸説はあるものの、スマホに何か映るかもしれない。


 どんとこい、超常現象。


 恐怖を自分のモノに。常に心の余裕を。経験の糧は過去を無駄にはしない。

 だがしかし、現実は小説よりも奇妙が溢れていた。


 それも身近に潜む恐ろしい存在が。


「あのー……、もしもし? 天坂さん?」

「気安く話しかけて来ないで」


 天坂京華は絶賛ご立腹中だった。並んで歩きたくないのか先陣を切る慈島先生を追い掛ける形で同行。その背中姿には黒のロングヘアが滑らかに揺れていて、美少女らしい儚げな瞬間を見惚れていると、次第に距離は遠くなっていた。


「話しかけて来るな、か」


 無関係な彼女を振り回し、顰蹙を買った張本人、神代阿頼耶は肩を竦める。


 触らぬ神に祟りなし、という言葉がある。

 無理に宥めても逆鱗に触れてしまえば無意味であることを。

 成り行きとはいえ、彼女に迷惑をかけたことは自責している。身勝手な都合で振り回される天坂の苦労を考えると億劫になるが、出来るだけ貢献を果たす。


(十日間くらい存在感を消せばいけるか……?)


 学芸会や文祭で見る木の役のような、影の薄い脇役未満の存在。

 徹底して天坂の目を欺けば、やがて彼女の記憶に薄れていくことだろう。自身は喧騒な時間を取り戻し、自由の身になれる。


 計画通り。


 非常に効率的でリスクも少ない。オマケには内申点も貰えて更にヨシ!

 上出来な得策じゃないか。


「……何の企みがあるか私は知らないけど、存在感を消しても誤魔化せないから」


 なにこの人怖い。エスパーの何かかよ。

 胸の内を見透かそうとする清廉潔白の瞳に神代阿頼耶は驚いた、というよりも脱帽した様子で目を見開き、そして冷ややかな瞳を据える。


 足並みは揃えず、歩み寄ることがないように。


「なんで優等生の天坂が奉仕活動に勧誘される理由が分かった気がするぞ」


「優等生なんて大袈裟でしょ。クラスのみんなが持て囃すように騒いでいるだけ。それ以前に私は優等生なんかじゃない。そもそも今回の中間試験の結果、掲示板に貼り出されていたの、神代君は知っている?」


 突然何を思ったのか天坂は立ち止まり、こちらに振り向いた。

 黒髪はふわっと靡いて、清涼感のあるシトラス系の香水が空気中に広がる。彼女の透き通る瞳のような、雲一つない透明な晴天の香り。


 知り合いと似た懐かしい香水だった。


「どうしたの? 急に黙り込んで」

「いや、……悪い。中間試験の結果初耳だったんですけど」


「神代君の神出鬼没さは伊達じゃないんだ……」


 昼休み何処にいるの? と懐疑的な視線を寄越す天坂は大層呆れていて、あまりにも面目なさげな姿に見えるのか彼女は深いため息を吐いてしまうが、横髪を耳に掛ける仕草をやめると、調子を整える為にこほんと咳払いをした。


「本当に貴方は曰く付きだよね」

「事故物件みたいに言うな。仕方ないだろ。知らない内に椅子取られるし」

「もしかして神代君は呪われているんじゃない?」

「そうかな……。そうかも……。そうなのかもしれない……」


 不運体質ではないけれど、神代阿頼耶には思い当たる節があり、役半年間だけで数え切れないほどの不幸に苛まれたのは紛れもない。


 身から出た錆、というよりもトラブルに巻き込まれたと言うべきか。

 過去の行儀に自問自答を繰り返していると、


「神代君、これを見て」


 天坂の声に気付き、俯き気味の視線を細い指先に変える。

 彼女が示すその方向には年季の入った掲示板があった。主に校内関連の掲示物や連絡等、無駄に絢爛としたポスターが廊下にズラリと並べられている。


 その中で異彩を放つ個人成績表の存在。


 10名の模範的成績優秀者の名前と総合得点が発表されていて、特に全科目満点の野郎もいたり、錚々たる集団が悪影響を及ぼすかのように跳梁跋扈していた。


(あぶねー、ギリギリ圏外だったか……)


 当然、神代阿頼耶の名前はない。

 むしろ3位の天坂京華の名前に安堵が冷めた顔に豹変していく。


「優等生たる自慢?」

「違う。本当の優等生はね、一人しかいないの」


 他人事のように話す天坂。

 整った横顔には淡々とした感情の様子が伺えて、重圧を背負うこともなければ、今日の天気予報を調べる程度の興味の無さが垣間見れた。


 代わりに、誰かと話す彼女は対照的に心の余裕さが色濃く映るような。


 そんな気がした。


「つまりどういうことだってばよ?」

「五科目満点を取る彼が優等生なのは紛れもない事実でしょ? 途方もない偉業にみんなは口を揃えて称賛するけれど、彼は優等生しかなれないってこと」


 学年代表に相応しい人材にして、学生達が目指すべき人物像。

 けれど現実は過酷で、綺麗事を並べることも弱音を吐くことさえ許されない。


 優等生であるべき確執の肩書きに囚われてしまう。


 期待に応えられなければ地獄。踏み外してしまえば地獄。墓穴を掘る瞬間、栄光と共に頂上の景色は崩れ去り、茫洋たる失望の視線と非難が訪れる。


 学問にゴールはないように。


 人生は安泰だが、自分らしさを誤魔化して黄色い脚光を浴びるのだろう。


 ―――それは、欺瞞するほどの賞賛なのか。

 ―――ただの見世物というのに。


(何が楽しいんだ……)


 黄色い脚光の中に紛れ込む嫉妬の集中砲火。殊勲賞もビックリ。

 学校社会のマスコット。優等生故に傀儡と化したのか、優等生になる為に生贄と化したのか、あるいは世間も知らないバカ真面目な優等生なだけなのか。


 真実は優等生のエモートが全て。どうせシスの暗黒卿みたいな外面してそう。


「あ、なんだ、神代君は羨ましいとは思わないんだ」


 個人的な解釈を巡り、不快感を催す人間舞台の醜悪さに嫌気が差していると、その様子を目に留める天坂は特別でもなければ当然みたいな反応をしている。


「思わないな。何も自由じゃないだろ。まるで金集めの客寄せパンダだ」


「客寄せパンダ……。ふふ、そうなんだ」


 聞き慣れない言葉の語彙力に彼女は面白可笑しく微笑む。


「私も同じことを考えてたよ」


「なんか嘘っぽい……」


「本当だって」


 正直、天坂京華は優等生じゃない。


 意地悪な一面も見せたり、年相応に明るい普通の女子高生だ。


 クラスのみんなに好かれる性格の良さと伝えたいことが言える心の強さ。特別に洞察力が鋭くて水鏡のように透き通る瞳をした、そんな彼女の浮かべる眩しい笑顔には、みんなを元気にする力があるのかもしれない。


 流石に買い被り過ぎるか。


「神代君早く行こうよ。慈島先生が泣いちゃう」


「それもそうだな。文句言われる前に都合良さげな後講釈でも探そうぜ」


「例えば?」


「教室にある荷物。忘れ物を口実にすればお咎めなしだ」


「神代君、それ採用」


 指をパチンと鳴らす天坂。

 被虐を掻い潜る得策に好奇心の瞳は心なしか上機嫌に見える。

 彼女は退屈という言葉が似合わない。喧騒な時間を贅沢に楽しむ彼女の周りには光に満ちた明るい未来が約束されている。


 そんな贅沢な空間を神代阿頼耶は眺めるだけでいい。


 きっと光にもなれない陰の住人は、何者になる必要はないということを。


 誰よりも理解していた。

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