特別課外革命部

藤村時雨

1   天使と狸寝入り

「……慈島先生。これは一体何の集まりなんですか」


 閑散とした空気を凛とした声音が破る。

 5月中旬。中間テストを終え、その試験結果が明けた放課後の教室にて。


 陽光が傾き、無人に等しい空間に奏で響いた彼女の質問。真実を問い詰める探求心の言葉に返す人物が教壇の奥に佇む。


 その人は1年でD組の担任にして家庭科の慈島恵だった。


「あの、折り入ってお願いがあります」


 常にマイペースで笑顔を絶やさない慈島先生が何時になく真剣な様子だ。

 叱るのが苦手そうなゆるふわ日和地蔵。懸命な眼差しは将来のある若者に向けて震えた口調で語りかけてくる。


 ちょっと待て。雰囲気で察した。嫌な予感がする。


 追試か?


 正直赤点を取るような健康優良不良少年に覚えはないし、成績が悪ければ即座に生徒指導室に連行だろう。指導という都合の良い捌け口を掲げ生徒に暴力を振るうネオ東京の欄熟したカオスな世界じゃなくて本当に良かった。そもそも今回の中間テストの難易度的にそこまでピーキーではなかったような。


 とはいえ。

 先生のお願いとは何なのか。


 赤い羽根募金? まさか緑の羽根募金? それは赤いキツネと緑のタヌキだ。


 なんて適当に欠伸を手で隠す。灰色の退屈加減を送る日頃。


 神代阿頼耶は絶賛狸寝入り中である。


 クラスメイトの往来が頻繁に起きる廊下側の最後列。

 左の座席で約一年高校生活を送る身分として、これだけは言わせて貰おう。


 これは罰ゲームだ。拷問だ。誇るような物がないのに埃は舞うし、勝手に溜まり場作るわで散々な目に遭う始末。悲しきかな。本人が居ない理由にカースト上位のギャルに占拠される昼休みの時間。


 顔色を伺い、空気を読み、他人に媚び、腰の低い身分を世間に晒す。

 味のしないガムのような空虚な高校生活。底辺らしく謙虚で杜撰な社交辞令。


 本性を仮面の裏に隠す。道化師以下の存在だ。


 そんなゴミみたいな人間性に。


 なぜ、呼ばれたのか。


「……お二人に奉仕活動、厳密には部活に参加して欲しいんです」


「はい?」

「部活に参加って……」


 奉仕活動? なんだそれ。


 要するにボランティアの一種で自発性を促す為の活動分野ということか。

 つまりタダ働き。当然意欲が湧かない。社会に貢献するのにも最低限の見返りがあれば有言実行に移るのに。そんな犠牲的な精神は要らない。


 愚痴を含んだ言葉数が増えるだけだ。

 廊下側の中央右の席を陣取る少女は淡々とした様子で、


「……公務員。いえ、教職員が生徒に入部を催促させるような行使力について校則には載っていない。判断に委ねるのは学生本人ではないでしょうか?」


 丁寧に言葉を選び、理屈を並べているつもりぽいが、部活に関して消極的で興味がないんじゃないかと先見する彼女の本音が漏れている。


「つまり、会話の間に拒否権が発生する、と」


 ちなみに彼女の意見に大賛成。面倒事に巻き込まれると長年の勘が働いた。

 この状況、敵を作るのは愚の骨頂。


 臨機応変。


 生涯において一番性分に馴染む四字熟語だと思う。


 機が熟したタイミングを障りのない中庸の立場で取り繕う。二番煎じほどのクズ野郎かもしれないが社会において必要な人材である。真面目な人間が損する世界で生き残る術、二者択一の選択は常に強者の味方になるまでだ。


 所詮は半裸豚座衛門の真似事に過ぎないが、欠陥構造が出来上がる時点で圧倒的に不利な立場に追い込まれるのは一目瞭然。


 プライドは捨てる。恥ずかしくないのかって? そんなの知るか!


「そうですよね。慈島先生」


 さて、帰宅の準備をしよう。

 教室に長居する義理はない。彼女が横槍を挟んだお陰で強行手段が使える。鞄を手に伸ばそうとしたところで言葉が遮る。


「ええ。だからこそ、こうして二人共にお願いしているんですよ?」


 あくまでも現実は千歳飴のように甘くはないらしい。


 産毛が生えたばかりの、雛と呼ぶには幼くて。

 愛しい愛弟子を信じるピュアな微笑みを浮かべる慈島先生。首を傾げる仕草には疑念を微塵も思ってなさそうだ。


 思わず目を合わせる。


 先生を悲しませると天罰が下るような……。


 期待を裏切る罪悪感。自責の念に駆られる矮小さ。心が痛む。

 消極的な挙措を見せていた彼女ではあったが、流石に屈託のない清廉を垣間見てしまうと視線を逸らしては口を噤み、そして沈黙を続ける。


「……」


「駄目、ですか?」


 縋る眼差し。子犬かよ。不安そうな表情と恐る恐ると尋ねる姿勢。反駁しにくい雰囲気を打開する手段は至って不透明のまま。


 そんな手持ち無沙汰の彼女はため息を吐いて、靡いた横髪を耳にかける。


 降参なのか。


 皮肉にもチェックメイトだったのは自分達のようだ。


「慈島先生。それは違います。奉仕活動に参加することが当然の権利であることを要求と言い、期待に沿って欲しいのが要望。仮に要求に従ったとしても、学生の要望が応えられない以上、期待に沿えないでしょう。ですので処置を施すのは非常に困難であり、生憎残念ですが辞退させていただきます」


「いや、その理屈はおかしい」


 なんだコイツ。


 てっきり猛省してると思えば、ニュアンスを変えて語勢を強める。賢そうに屁理屈を並べてはいるが面倒事を避けようとして一人だけ敵前逃亡するつもりだ。


 共謀決裂。今までの算段が徒労に終わる。

 台無しじゃないか。温室育ちの神色自若な彼女に先越されてたまるか。


 世の中には適材適所という個性のアドバンテージがある。

 それなのに明確な人選ミスにボランティアが務まる訳がなく、モチベーションが高い奴だけ責任を負えばいい。


 タダ働きは嫌だ。


 欲しいのは内申点。せめて5000兆円欲しい!


「……先生の話聞いてた? 今の流れ的に断れそうにない空気だったじゃん」

「神代君、貴方はカリギュラ効果ってご存じ?」


 椅子に腰掛けている彼女は鬱陶しそうに振り向いた。


「背徳的関心によって生じた心理現象の一種なんだけど、人間、抑圧された環境下に置かれるほど、目の前にあるリスキーな状況を鵜呑みにするの」

「世間ではそれをフリって言うんですよ……」


「……そうなの? つまり熱々おでんは脚色ってこと?」

「や、それは火傷しない程度のちょうどいい温度調整が管理されているから……」


 おでんの熱湯加減はさておき。


 彼女が言うカリギュラ効果は渇いた欲求心。飢えた好奇心と言うべきか。容易に想像できる顛末に対して、衝動は悲惨な結果を招くことになる。


 動物報恩譚の一種である『鶴の恩返し』は行動心理が色濃く出でおり、鶴の一声がもたらした『行動の制限』は意欲を焚き付ける原動力となって、一時のストレスから逃れたいが為に人間は見えない自由に執着してしまう。


 広く認知されている伝統芸だからこそ、抱腹絶倒が出来るのであって。

 日常に蔓延るのは破壊衝動を誘う三毒ばかり。


 鶏みたいで滑稽だ。


「ちなみに一番熱いおでんの具材は竹輪麸。関西では竹輪麸が入ってないみたい」

「おでんはもういいよ。アンタ灼熱おでん村好きそうだな」


 それにしても。一つだけ気掛かりなことが。


 彼女に関わると調子が狂ってしまう。初対面のくせに何故か距離感が近い。

 名前も知らず、赤の他人なのに馴れ馴れしいにも程がある。


 美人局?


 男女諸君の女性観を壊す、欠落のない端麗な容姿。

 月下を彷彿とさせるロングの黒髪。視線を拐かす独特の雰囲気。この女、自身が美少女だと自覚しており、饒舌な語彙力は才色兼備の部分が隠れていない。無駄に正義感が強いのに入部は辞退を希望していた。


 気品の含んだ気怠そうな態度。見た目に反してアグレッシブな性格。

 全てを物語るギャップ。彼女は奉仕活動よりも粗雑な会話の方が有意義らしい。問題児はどちらだ。


 少々話が脱線した。本題に戻そう。


「……そもそも、全てにおいて説明不足だったんだ」


 明確な経緯を知らされず、しかも端折られて、言葉の上澄みだけが先走る。


 関係のない談笑を挟み、その挙げ句には時間だけが過ぎてしまい、二人の動向にビジー状態の慈島先生は困惑している模様。


 凍る笑顔。流石に可哀想なのでフォロー側に回るとしよう。

 初期の段階で過程が外れている。これ以上物事が冗長する訳にもいかない。


「具体的な内容を省いておいて、先走るアンタの方が極悪過ぎるんだ。本音を言うと部活はやりたくない」


「うぇ!? そんな、もしかして神代さんも辞退派なんですか!?」

「だってボランティアですよ慈島先生。ボランティア! 見返りなんて保証される訳ないじゃないですか。タダ働きは嫌だ!」


 本当に申し訳ない。


 マルチタスクをこなすのに経験を積むのが手軽かもしれないが、部活をする全員がそうとは限らない。自発性を促す以前の問題として、根本的に目の前にある物事に向き合う姿勢と目標を達成しようとする熱意は違うからだ。


 要するに本気加減。

 中途半端だと他人の足枷になる。


 正直帰宅部の方が自由時間があり、数少ない時間に追われる学生達を見て優越感に浸るだけなのだが、あえて言葉にはしない。


「ボランティア、見返り、タダ働き、ノルマ、なんで……」

「ノルマだけは言ってませんよ」


「うう、すみません。先生ちょっと頭を冷やしにコーヒー飲んできます……」


 不憫な慈島先生は弱々しい足取りで教室を出ていく。


 可哀想だけど致し方ない。無慈悲にもフォロー不足だった。その前に言葉の棘を全力投球する男子高校生の方が問題児かもしれない。心が痛むとは一体。


「……意外。てっきりあなたは賛成側だと思ってた。明日は雨が降るかもね」


「どこを見てそう思ったんだよ。嫌味か」


「そう。私の勘違いか。率先して統率を執っていた昔の神代君は何処にもいない。もしかすると今の神代君こそが本性だったりして」


「……いやいや、ちょっと待て。知人みたいな前提で会話を続けているんだけど、なんで名前知ってるんだ? アンタに教えたような覚えは……」


「間抜け」


 遮るようにして、鋭利な眼差しのまま、彼女は横髪を耳にかける。


「中学時代の同級生の存在を忘れたの? 今のあなたらしくて結構。磯際で船を破る神代君は本当に失望した。これほど薄情な人間だとは思わなかった」


「ご、五臓六腑覚えていますとも」


 嘘です。ごめんなさい。

 駄目だった。全然覚えていない。そもそも彼女は一体誰なんだ?


「分かった! 一年間同じクラスの青木だろ?」

「ダウト。三年間同じクラスの仲間だったけど、あまり話したことはないかな」


「だとしても結局赤の他人じゃねえか!」


 貧弱な交流関係。

 マトモな青春を送ることが出来なかった中学時代。


 共通認識を育む為の社会適合空間を共にしたクラスメイトに興味はない。


 欲しいのは理解者じゃない。

 出席日数と内申の加点。それだけ。課された問題を解決する退屈な日々。そんな受験生活は隣町の高校に通うことができた。


 同じ道程を歩む人間は少数のハズだ。当然面識のない人物もいる。

 なのに、よりによって、楽しそうに微笑を湛える彼女は退屈な高校生活を拒んでいるようで。


 どうして、喧騒な時間を邪魔してくるのだろうか。


 独りが好きなだけなのに。


「赤の他人ですよこれ」

「否定はしない。この機会だから言うけど、多分神代君のこと一生関わらずに過ごしていたんしゃないかな。そうでしょ? 神出鬼没の同級生さん」

「アンタの名前も知らなかった屑野郎と関わるなよ……」


「天坂京華。それが私の名前」


 その溢れる壊顔一笑は特別なものではなく、ごく自然の感情表現だった。

 椅子に腰掛けていた彼女は足を組み、黒のハイソックスがふくらはぎの曲線美を綺麗に際立つ。こちらの様子を伺う小悪魔的な視線が絡んで来る。

 ふと思えば彼女は相当の美少女だった。お世辞とかじゃなくて本音。異性として意識すると言葉が詰まるほどのレベル。


 ヒロインかよ。


 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。けれど勘違いをした男子は数知れず、振った人数は幾千の星。高貴なる恋愛覇者にして罪深きマドンナ。


 そんな天坂京華は微笑んだ。


「D組同士、この一年間、改めてよろしくね。神代阿頼耶君」


「ドーモ、天坂京華=サン。神代阿頼耶です」


 若干表情が強張り、アイサツが固くなる。関わりたくない、とアトモスフィアが醸し出しているのに天坂は「?」と首を傾げている。知らないか。忍殺語。

 というか、シームレスに彼女が同じD組の生徒であると明かされた。無神経な態度と配慮の欠けた言動の数々。軽蔑されてもおかしくはない。


 女は唐突に牙を剥く。情動に満ちた陰湿な毒牙が迫る。


 洗練されたコミュニケーションは網状脈のように膨大で、新鮮な情報を手中に収める彼女達は色恋沙汰や噂話といった非日常の刺激に飢えている。

 脈でもない異性には出汁に使い、秘密はすぐに暴露。次の日にはクラスの全員が認知しており、恋の同業者には傷口に塩を塗るのではなくカッターナイフで抉る。自身の容姿が美しければ美しいほど内面は腹黒に。


 やっぱりヒロインじゃないわ。


 他人の不幸は蜜の味。綺麗事なんて所詮は甘い幻想に過ぎない。


「不思議な自己紹介。顔色が悪いけど、もしかして神代君、風邪引いた?」


「貧乏くじ引いた」


「なにその大層嫌そうな顔。ああ、そうか。貴方の言動についてクラスメイトには告げ口なんてしないし、蟠りは帳消しにしてあげる」


 天使でした。


 第一印象として、冷たい正義感を携えて彼女に敵対する者には容赦のない眼光の持ち主。バカ真面目で強情な性格の、皮肉も分からない典型的なウザい女。

 そんな腐敗しかけた性根を晴らす天坂の清澄な本性。不当な固定概念を持たずに依怙贔屓のない慧眼がまっすぐ見つめていた。


 平等の笑顔と共に。どんな時だって彼女は手を差し伸ばす。

 救いの手を迷える子羊達に。


 天坂京華は天使に向いていた。きっと不自由のない家庭環境を過ごし、順風満帆な高校生活を送るのだろう。それ故に彼女は時折魅力的に映る。


 魅力的に映るだけだ。何も特別なことじゃない。


「同情なんか要らないぞ」


「言うと思った。可愛げがない。神代君じゃなくて神隠し君と話してるみたい」

「本人が行方不明なんですけど……」


 あまりにも存在感が薄いのか陰口を叩く始末。

 妙にディスの含むあだ名が鬱陶しい。学校の七不思議の何かかよ。


「言い得て妙、っていうのかな」

「揶揄的な言葉回しの意味だろ。面倒事を避けようとたらい回しにされてんだよ。まるで大道芸人かよ。皿回し過ぎて一枚足りないんだけど」


「貴方の場合、一枚じゃなくて十枚損壊しているの間違いじゃないの?」

「多分そう。部分的にそう」


「否定はしないんだ……。息苦しさはないの?」


「とっくに馴染んじまったがな」


 覗いている景色が違う、両者の重ねる視線。

 そこに言葉の裏に含む意味さえも、違い合う意見は今の距離と同じように。彼女との隔たりは対極そのもの。

 個人空間の壁を破り、尚歩み寄ろうとする天坂の眩しさ。他人の拒絶を厭わず心の雲を振り払う晴天みたいな、澄み渡る存在感が無性に気に障るのだ。


 悔しいが。


 だからこそ彼女は奉仕活動部に向いている。


「……」


 乾いた教室の空気。気まずい無言の空間。これ以上会話は進まない。


 互いに干渉しない暗黙の雰囲気は時間を刻々と過ぎていく。

 窓ガラスの向こう側にある景色をただただ眺めていて、学生達の喧騒に紛れて聞こえてくる下手くそなトランペットのチューニングに耳を傾けるだけ。


 それでも、相変わらず空が遠い。


 特に励むことがない。手持ち無沙汰過ぎる。しまった。最悪なことに今日の課題は終わらせてしまい本当の意味で閑日月を過ごしているではないか。

 スマホの液晶画面をスワイプする天坂の方は如何にも退屈そうに、それでいて清楚な身形とキリッとした姿勢は絵画と遜色ない。


 優等生の美少女と天涯底辺の一匹狼(笑)という妙ちきりんな構造。


 つらい。もう帰りたい。


 どうしよう。間延びした展開が嫌になる。

 用事がないのに無駄骨を折るような気がして、余計に警戒心を抱いてしまう。別にスマホで時間を潰すのも構わないが、それでは不毛のままだ。


 教室を抜け出すか。あるいはトイレに行く素振りをして逃亡を図るか。


 なんて怠慢的な悪徳を考えていると、


「……あの、神代君。ちょっとだけ、いいかな?」


 対話の口火を切る彼女の唇。絡んだ疑念を投げかける声の調子。

 絶対面倒なことに絡まれる。悪態を内心に留めるものの、怪訝そうな顔色は天坂にバレてしまう。途端に彼女は失意めいた嘆息をした。


「ほんとゴミ」

「ゴミに頼るなよ。それに相談できるほど、出来た人間じゃないし」


「神代君。貴方は嘘つきだよね」


 悪魔みたいな軽蔑がこちらを睨んでくる。微笑んでいるのに目が笑っていない。日が暮れないかな、なんて身勝手な計略を巡らせようが天坂にあっさり看破されてしまうので潔く彼女の絡んだ疑問に助言を与えることに。


「別にいいだろ。というか、相談事は女子共に頼みな。そっちの方が融通が利く」

「えっと……」


 彼女の抱える複雑な事情が自由を束縛させる。

 苦渋の色を浮かべて、難しそうな表情の彼女は目線を逸らす。


 クラスの女子達に打ち明けられない相談。それも目の色を変えるような事情が。彼女の場合金銭関係とは無縁の様だが、果たして一般高校生に務まるのか。


 けれど、一つだけ、答えに辿り着いたものがあった。


「ああ、なんだ。なるほど。そういうことか。男子だから話しかけて来たんだな。相談できそうな人間が偶然ここにいたワケか。……いや、なんで?」


「なんでって、それは、神代君にしか頼める人が居なくて……」


 困惑顔の天坂は言い淀む。顔色を伺う素振りが難痒くて困る。焦らされても一向に解決しないので助け船を出すことにした。

 美少女が曇る展開は似合わない。相談に乗れば晴れてくれることだろう。


「百点満点の答えは出せない。それでも構わないなら一応相談には乗る。あと個人的に面倒臭いから貸し借りはナシで」


「あ、ありがとう。実は相談のことなんだけど……」


 解決すれば二度と関わることはない。

 赤の他人のまま。彼女は再び青春を謳歌して、負け犬は喧騒な時間を取り戻す。


 都合通りのハズなのに。


「お邪魔します」


 天坂の相談を遮るノック音。コンコンと鳴らしては教室の引き戸を合図に現れたのは不憫属性を克服した完全復活の慈島先生だった。


「ごめんなさいね。先生、お二人の貴重な時間を取らせてしまって」

「慈島先生……」


 若干不服そうな優等生様の気持ちに汲めず先生は「?」と何も考えてなさそうな表情を披露する。空気が読めないというか、本当に邪魔者というか。

 折角の自由になるチャンスが台無しに。


「いやー、最高に面白いですよ先生」

「それ褒めているんですか? ……それよりも、部活の件についてですが」


 普段おっとりとした人物がガラリと目付きを変えて、研鑽を積んだ社会人の姿になると流石に身構えてしまう。声音の冷たさが威圧感を覚え、場数を踏んできた過酷の糧は学生達には知らない残酷な現実を突き付ける。


 華奢な指先でキーリングを弄び、何も書かれていない空欄の鍵札を掴んで。


「天坂さん。神代さん」


 予定調和の雰囲気は禍乱の火蓋を切るように。


 二人に激動が走る。


「貴人方は特別課外革命部、通称『特命部』に入部してもらいます」


「却下」

「丁重にお断りします」


 即答。意思の強さは変わらない。

 帰宅部の威厳として、自由時間は死守すべき領域。模範生である天坂さえも荷が重く頑固たる拒否の姿勢が全てを物語る。

 何が部活だ。何が要求だ。

 他人の都合に使われるほど簡単な人間じゃない。

 意見が重なり、両者は不敵な微笑を浮かべる。一時的な協力関係なのに負ける気がしない。まるで長年の悪友とふざけているような感覚だ。


 これこそが本当のチェックメイト。


 信念めいた強者の余裕。どの時代において二倍の数には勝てない。

 必定にして必然。負け惜しみは虚勢が剥がれるだけ。弁明の余地だろうがラウドマジョリティーの前では負け犬の遠吠えに過ぎない。


 さあ、大人しく尻尾を巻いて諦めるがいい!


「そう、ですか……。先生残念だな。入部すると内申点が貰えるのに……」


「やります!」

「は?」


「安心しな。弱者は常に強者の味方だ」

「……卑怯者」


 どれほど軽蔑されようが、どんなに失望されても構わない。泥を啜る覚悟で尻尾を振り続け、喧騒な時間の為に、社会の犬は胡麻を擂り続ける。


 そんな神代阿頼耶はあくまでも日常茶飯事だった。

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