第35話 花

「ほら、出かけるよ」


 祭りの前日、ユキトさんに言われてわたしは急いで玄関を出る。

 正直、体はすでにくたくただった。

 今日は朝からコミュニティーセンターで、ずっと煮炊きを続けていた。キヨさんやほかの村の女たちもそうだ。まるで終わりのない作業をしているようだったが、気心の知れた人間同士、雑談をしながらなんとか乗り切った。こういう時、仕事と違う人のつながりがとても偉大なことに気づかされる。

 今まで決して自分の口に入ることのない料理だが、もう慣れたものである。

 むしろこの得体のしれないものを口にすることに抵抗がある。

 何度作っても分からない。

 柔らかな求肥のような皮に餡を包む意味。

 黒く絹糸のように細長い麺のようなもの。

 とろりと煮詰めた赤い液体。

 だけれど、気にしてはいけない。

 気にしてしまえば、考えてしまうから。


 外はとてもにぎやかだった。

 薄闇の中にいくつものぼんぼりが輝き幻想的な光景だった。

 吊るされた花はいつかわたしがつくったものだろうか。


 奇妙な感覚だった。

 自分が作ったものが、この不思議な光景の一部となっているのは。

 そのうち、わたし自信もきっとこの作り物の花のように村に上手く溶けこんでいるのだろうか。


「ねえ、どうしてもいかなくちゃだめ?」


 わたしは思わず口にする。

 なにも考えず、感じないようにしていたのに、どこかしらでこの光景に対して違和感を抑えることができていなかった。

 ちょうど、あの白と黒が交わる光景をみたあたりだった。


「ほら、一緒に行こう」


 ユキトさんは肯定も否定もしなかった。

 選択肢はない。

 わたしは手をひかれるまま歩く。


 今日はとてもにぎやかだ。

 知っている顔がたくさんある。

 どの女性も男性に手を引かれていた。

 変だ。

 いい大人がみんな手を繋いでいるなんて。

 まるで、逃がさないように手をつかんでいるみたいだ。

 試しにユキトさんの手をほどこうと試すが、手を離してくれない。

 固く握られたままだ。


「どうしたの?」


 いつもと変わらない笑顔のままユキトさんは尋ねる。

 どうしたの?って、どうもしなくたって手をほどくことはあるはずだ。

 髪をかきあげたりとか、両手を使いたい瞬間がある。

 一瞬だけ手を離して、また戻すというのは自然な仕草ではないのだろうか。

 手のつなぎ方、歩き方、呼吸の仕方。

 すべてが分からなくなってくる。

 わたしがおかしいのだろうか。


 川沿いにコミュニティーセンターの方に歩く。

 他の家も同じようにして手をつないで歩いている。


 なんとか嫌な気分を紛らわそうと、わたしは川を見つめた。

 あれっ?

 目をこする。

 間違いない、黄色い花――そう、ひまわりの花が上流から流れてきた。どんぶらこなんて流ちょうな流れではなく、まるで何かを惜しむかのように猛スピードでながれてくる。

 誰かがわざわざひまわりを手折って、流したのだろうか。

 でも一体なんのために?

 そんなことを考えているうちに、幾種類もの花が流れてくる。

 桜に薔薇に菫……きれいだけれど自然界にはこの季節に存在したない花たちだ。

 いや、どこか温室やらで管理して育てていたとしても薔薇はともかく桜や菫はなかなか手に入らなさそうだ。


 その花たちも、川をすごいスピードで流れてきた。


 色とりどりの花たちが流れるのは異様な光景だった。

 いくつもの花が流れたのち、ひときわ大きな赤い花が流れてきた。

「あっ」

 思わず声を上げる。

 それは花ではなく人だった。

 裸に向かれた女性が流れていった。

 赤い花に見得たのはその頭部から流れる血液の帯だった。


「ユキトさんっ、大変」


 わたしが、川の方をさして慌てていってもユキトさんは特に驚いた様子も見せなかった。


「うん? どうしたの?」

「人が川を流れているの。警察、警察呼ばなきゃ」


 わたしが必死でまくしたてる。

 ユキトさんは特段あわてることなく、川を覗き込む。

 どうやら川には大き引っかかりがあったらしく、わたしがはじめてひまわりの存在に気づいたよりほんの少し先で花も女性も滞っていた。


 恐ろしいほど白い肌に季節を問わない花が彼女に飾られていた。

 蒼白な顔で瞳は閉じられていたけれど、その顔には見覚えがあった。

 あの大勢の男たちの間で道具のように扱われ交わっていた女性だった。


「ああ、それは人じゃないから大丈夫」


 ユキトさんはちらりとみて興味をなくしたらしく歩き始めた。


「だめだよ。警察呼ばなきゃ。事件だよこれ」


 わたしが騒ぎ出すと、ユキトさんはわたしの両肩をつかみ小さなこをいいふくめるみたいに目をみながら言った。


「いいかい。あれは人形だ。に・ん・ぎ・ょ・う。だから心配いらないんだよ。祭りの行事の一つだよ。知らないとびっくりしちゃうけれど、あれはただの人形だから大丈夫。前もって説明してあげてればよかったね」

「でも、頭から血が流れてたのに」


 わたしは必死に訴える。

 だって、あれが万が一人だったとき、今なら助かるかもしれないから。

 助かるかもしれないい命がわたしがなにもしなったせいで消えていくなんて、悔やんでも悔やみきれないから。


 だけれど、ユキトさんはまったく取り合ってくれなかった。


 大きな石に日かかってた花がはらりとひっかかりをかわす。

 すると、より残酷な光景が広がった。

 そう、あの花に飾られた女性の死体は丸坊主だった。

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