第6話 ハーブ風呂
「これ、本当に家庭菜園?」
わたしが困惑して、ユキトさんを見つめると、彼はきょとんとした顔をする。
「家庭菜園だよ。他の家も、みんな家で食べる分作ったりするからね。もしかして、なにか気に入らなかった?」
ユキトさんは不思議そうな顔をする。
だけれど、これは……あまりに広すぎる。
家庭菜園というと庭の隅に小さく自分で十分面倒を見られる程度の畑を想像していた。
だけれど、目の前にあるそれは畑そのものだった。
そう畑。
本物の畑。
家庭菜園ってレベルじゃない。
こんな畑本当に充分な世話ができるのだろうかと不安になる。
雑草とか生やしたら隣の畑の人の迷惑になるだろうし。
その不安を口にすると、ユキトさんは笑った。
「大丈夫だよ。隣も奥も面しているのはうちの畑だから」って。
つまり、わたしが思っていた五倍ほどの畑が我が家の家庭菜園らしい。
これは家庭菜園ではないと思う。
あまりのことに、あんぐりと口をあけて驚いていると、ユキトさんは心配そうにこちらの顔を覗き込む。
「初心者だから、このくらいでいいと思ったんだ。もし、もっと大規模なものを想像してたらごめん。大きな畑が借りられないか村長の蜂神さんに確認してみるよ」
わたしは慌てて首をぶんぶん横に振る。
「違うの。広すぎて驚いているの。家庭菜園って学校の校庭の隅とかそれくらいのを想像していたから……だって、これはあまりにも本物の畑だから」
この畑をあらかじめ掘り起こして雑草などを抜いておいてくれた人に申し訳なくなる。本人もやりたいといったことを覚えていないくらいなのに。
これだけの広さの雑草を抜くだけでも大変だっただろう。
やるしかない。
わたしは「よしっ」と気合をいれて、まずは目の前の畑の雑草を引っこ抜くことから始めた。
一か月前ということで、土はやわらかいけれど、雑草はその分再生していた。
きちんと根っこまで抜こうとすると、なかなか加減が難しかった。
力任せにひっぱるのではなく、力を適度に抜くことも、力をかける方向も大事だった。
わたしの様子をみて「がんばるね」といってユキトさんも雑草を抜き始める。
横目でみていると、ユキトさんも苦戦しているみたいだった。
意外だった。
草むしりだけは頑張ろう。なんせ、わたしは赤い指をもっている。緑の指のように植物を育てられない分、雑草くらい根絶やしにしてやる。
無心になって雑草を引き抜いていった。
「そろそろ、休憩しない?」
ユキトさんに声をかけられてびくりと体が反応した。
一瞬、自分がどこにいるか分からなくなる。
それくらい夢中になっていたらしい。
だけれど、不思議と体はそんなに疲れていなく、集中して疲れた脳は妙な満足感があった。
ユキトさんが差し出してくれた魔法瓶にはいった紅茶を飲む。
お砂糖がたっぷりはいったアップルティーだった。
酸味などなく甘みだけが体にじんわりとしみ込む。
温かくて甘くてうれしくなる。
「なんかこうやってると、子供のころの遠足を思い出すなあ。ほら、こうやって、ふたがカップになっているのだってなつかしい」
わたしが笑うと、ユキトさんも、
「そうだね。遠足かあ。遠足で遊園地って行ったことがあるなあ。あれは特に楽しかった。もうその遊園地も近くの施設も閉まってしまったんだけどね。子供の頃の俺にとっては夢のように楽しい場所だったよ」
「遊園地? いいなあ。遠足では遊園地かなかったなあ。わたしが行ったのはね……」
口を開くが、次の言葉がでてこない。
どこだろう。なぜか思い出せなかった。
視界の外側にノイズがはしっているような気がした。
ざあーって音を立てながら焦燥感が襲い掛かってくる。
このままここにいてはいけないような気がする。
はやく、なんとか、しなければ。
わたしは下を向いて、ノイズの嵐が過ぎ去るのを待つ。
ざーざーとノイズ降りかかり、その先端を頬を切るようにかすめた気がした。
「大丈夫?」
気が付くとユキトさんがこちらを様子をうかがてっている。
わたしはあわてて笑顔を作ってとりつくろう。
「あれ、なんか忘れちゃったみたい。ボケたのかしら?」
そういっておどけて首をかしげてみせた。
「慣れないことをして疲れたのかもね。ずっと下を向きっぱなしだったし。もしかしたら首を痛めたのかもしれない。心配だから今日はこのぐらいにしよう」
そいって、手を差し出す。
私は差し出された手をつかみながら、気がかりなことを口にする。
「でも、まだ全然終わってないのに……」
「大丈夫、あとは俺がやっておくから。歩惟は帰って休んで」
有無を言わせない口調だった。
わたしは仕方なく、ユキトさんに手を引かれるまま家に戻る。
家に戻っただけで、少し懐かしい気持ちになった。
昨日まで知らない家だったのに、ほっとする。自分の家の匂いがした。
泥汚れを落とすためにお風呂に入るように言われる。
不思議なことにお風呂はすでにわいていて、わたしのお気に入りの入浴剤まで入れられていた。
乳白色でハーブの香りがする。お湯の中に足をいれるとそのとろみのあるテクスチャーに体が包まれ思わずため息が漏れる。
どんなに疲れていてもこの入浴剤を使うとリフレッシュすることができるのだ。
だけれど、今日は体が疲れていないせいか、いつものように体のそこからぽかぽかとする感覚はなかった。
いつもどおりのやわらかな湯ざわりと、独特なハーブの香りは同じはずなのに。
ユキトさんの分は別な入浴剤をいれてあげようと思いながら、わたしはあたたかいままの湯舟からでた。
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