第2話 わたしたちの家
家の中は思ったより快適そうだった。
古民家と言えばそうなのだが、どこもよく手入れがされている。
木でできている部分はすべて艶々に磨き上げられ、廊下の床板は自分の顔が映りそうなくらいだ。
障子もすべて張り替えられ、つい先ほど張り替えられたばかりなのではないかと錯覚する。
畳だって、新しい畳の香りがした。誰の汗もしみ込んでない清潔な畳のにおいは少しよそよそしいけれど、他人の存在を感じさせないそのよそよそしさに安心した。
畳というのはちょっと苦手なのだ。ほかの人の汗や諸々の体液を吸い込んできた可能性があるから。いわば他人の小さな死骸がしみ込んで一体化したものの上に眠ることなんてできない。
よく、テレビとかで夏休みに畳みの上で昼寝をするシーンなんかあるけれどあれは自分の生まれた家だからできるのだ。
自分が生まれ育ち、そこにしみ込んでいるのは自分と遺伝子のつながりのある人間の気配だから抵抗がない。
旅館とかで畳の上に直接ごろりと転がるなんて考えられない。
得体のしれない人間の一部が畳から染み出し、自分の毛穴から入ってくると思うとぞっとする。
だけれど、この家は清潔そのものだった。
ただの手入れではここまできれいにはならない。
家の枠組みである木以外、すべてが新しく、ついさっき完成したばかりみたい。
わたしが、「わあー」と歓声をあげていると、
「気に入ったみたいでよかった」
とユキトさんは安心していた。
この家は清潔だ。
古いのに、わたしが触れる部分はきれいに洗いこまれるか新品。指で触れるその冷たさが清潔さの証拠みたいで安心できる。
ただ、一つだけ心配がある。
「台所ってどうなってるの?」
わたしはおずおずと聞いてみると、ユキトさんは無言で台所まで連れて行ってくれた。
そこは家の中のどこよりも冷たかった。
家の一番端に位置する台所。
そこに立ち入るには、段差を一つ降りなければいけない。
段差を一つ降りた台所にあるの古い引き戸の食器棚に水場、そしてかまどがあった。
調理といえば、電子レンジ専門のわたしは顔を引きつらせるしかなかった。
どうしよう。
わたしはマッチひとつもろくに擦れないというのに。
かまどでお米を炊くなんて絶対に無理。
でも、専業主婦ならばこれくらいできなければいけないのだろうか。
わたしが混乱してその場に、立ちすくんでいると、ユキトさんはわたしの肩にポンと手をのせた。
あたたかい。
ユキトさんのぬくもりが伝わってくる。
ユキトさんが触れてくれると安心できる。
いつもそうだ。
わたしが困ってパニックを起こしたとき、ユキトさんの手でわたしは落ち着くことができる。
「ほら、あそこに扉があるでしょ。見てみて」
ユキトさんは台所のお勝手口を指さす。
「ねえ、ユキトさん。わたし、かまどなんて使えない。マッチの火だってろくにつけられないのに……」
ユキトさんは、「大丈夫」とほほ笑む。
わたしはお勝手口の扉に手をかける。
自分の手が汗ばんでいるのが分かった。
できないことは怖いことだ。期待されたのにできなかったら。
ユキトさんはわたしのことを今と変わらない笑顔で見てくれるのだろうか。
扉の向こうにはもう一つの部屋があった。
明るく、真新しい部屋。
決して豪華ではないけれど、必要なものがすべて揃えられたキッチンがそこにはあった。
シンクは水垢一つなく銀色に輝き、大きめの冷蔵庫の、電子レンジに炊飯器、IHのクッキングヒーターもあった。
現代的なキッチンをみて、わたしはうれしさのあまりユキトさんに抱き着いた。
ユキトさんはちょっとびっくりしているみたいだった。
「ああ、よかった。わたしお料理そんなにできないのにかまどでご飯炊かなきゃいけないのかと思ってた」
わたしが本音をいうと、
「炊きたいなら、あのかまども使えるよ」
ユキトさんはちょっぴり意地悪そうに冗談をいった。
「わたしが電子レンジ専門だってしってるでしょ?」
「ああ君は、電子レンジでお米もたけるし、魚も焼けるものね」
わたしは火が怖いのだ。
料理をするときに火があるのが怖くて料理はもっぱら電子レンジなどの電化製品に頼っている。
電子レンジ専門というと、よく冷凍食品だと勘違いされて男の人からは料理ができない女というレッテルを貼られ、嫌な顔をされるけれど。
キッチンに立つ感覚は久しぶりだった。
なんで初めての場所なのにこんなに懐かしい感じがするのだろうか。
「ユキトさん、何が食べたい?」
わたしが訪ねると、ユキトさんはちょっと驚いた後にとてもうれしそうな顔をした。
「大丈夫、俺が作ってもいいけれど?」
と確認をする。
なんで、そんな心配をするのだろう。
わたしが料理するのに必要なものはすべてここにそろっているのに。
疲れていないか心配ってことなのだろうか。
疲労についていうならば、ここまで運転してきたユキトさんの方がひどいはずだ。
ここはわたしが料理をするべきだろう。
都会に住んでいればUberや出前館をつかってもいいのだが、さすがにこの田舎では難しい。
「ううん、作りたいの。簡単なものしか作れないけど」
そう言って、わたしが冷蔵庫の中身を確認していると、
「すみませーん。隣の者です」
と外からこちらを呼ぶ声が聞こえた。
その声はこの独特な継ぎ足したキッチンの構造のせいなのか、妙にくぐもっていて男か女なのか、年をとっているのか若いのかもよくわからなかった。
「ちょっと、見てくるね」
ユキトさんはわたしの不安を感じとったのか、一人で向かってくれた。
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