第3話 感じの良いお隣さん
ユキトさんが戻ってくるまでの間に、お米を洗い炊いておこうと思った。
幸いなことに、お米の袋をみると無洗米だった。
ユキトさんのやさしさに涙がでる。
家事があまり得意ではないわたしのためにきっと選んでくれたのだろう。
このキッチンだって、立派すぎないけれどわたしが必要なものはきちんとそろっている。立派すぎればきっとわたしが気おくれしてしまうのを想像してくれたのだろう。
家だって、どこもかしこも完璧に磨き上げられている。
この家の準備はすべてユキトさんがしてくれたのだ。
こんなに素晴らしい夫は他にいるだろうか。
優しくて、わたしのことを誰よりも知っている。
最高の旦那様。
わたしももっと彼に似合うようになりたいと思った。
そのためにはもっと努力しなければ。
そんなことを考えていると、ユキトさんが鍋を抱えて戻ってきた。
「お隣さんが、ひっこして大変だろうからと夕飯のおすそ分けを持ってきてくれたよ。もし、よかったら少し挨拶してみない? もちろん、嫌だったらまたの機会で大丈夫だけど」
「どんな人?」
自分でも子供っぽいと思うが、わたしはユキトさんに確認してしまう。
おすそ分けをわざわざ持ってきてくれるお隣さんに挨拶をしないなんて大人としてマナーが足りないのは分かっている。
だけれど、なんか怖かったのだ。
知らない人に会って、わたしは上手く話すことができるのだろうか。
もし、変なことを言ってしまったら。
何か不手際があって変な噂を流されたら。
どんどんと小さな不安が自分の中に積み重なって、とてつもなく高い壁がそびえたつ。
「いい人だよ。きっと、仲良くなれると思う。この家の準備とかも手伝ってくれたし、料理が趣味なんだけれど面白い人だよ」
そう言って、持ってきた鍋の中身を見せてくれた。
鍋の中身はおでんだった。
優しいだしの香りに思わず微笑まずにはいられないくらい、おいしそうだった。
美味しい料理を作れる人に、悪い人は少ないというのは持論だ。
悪い人というか、タチの悪い人というべきだろうか。
美味しい料理を作るには準備や順番、そしてレシピというある程度のルールを守ることが必要になる。
周りのことが見えずに、自分本位であれば美味しい料理はできあがらない。
だから、この料理を作った人はきっと初見で人を陥れようとするような人ではないと思った。
「わかった……会ってみる」
わたしがそう言うと夫であるユキトさんは嬉しそうだった。
「よかった。キヨさんっていうんだけどね。準備を手伝ってくれているときから会ってみたいってずっと言ってくれてたんだ。茶飲み友達になってくれたら嬉しいっていってたよ」
わたしは想像する。縁側で優しそうなおばあちゃんと日向ぼっこしながら、のんびりとお茶を飲む午後の時間を。
とても穏やかで満たされそうだった。
不安なことなんて何一つなく、ちょっとした思い出話をお互いにする。
寒い日は一緒にこたつにはいってみかんを食べるのもいいかもしれない。
わたじは自分にそう言い聞かせながら、ユキトさんの後ろに隠れるようについていった。
人影が見えて、わたしはペコリと頭を下げる。
やっぱり怖い。
「は、はじめまして。隣に引っ越してきた
それだけ早口で言った。
最低限のお礼はいっているので無礼とは思われないはず。それにきっとおばあさんならば、挨拶さえちゃんとしていればこういうところもほほえましく思ってくれるはず。
そう、自分を励まして顔を上げるとそこにいたのは若い上品な女性だった。
若いといっても、たぶんその雰囲気からは二十代ではない。
だけど、その姿勢や肌のきめの雰囲気から四十にはなっていない。
少しだけ大人の女性特有の薄い脂肪の層ができ、独特ななめらかな肌になり始めた三十代半ばくらいの女性だった。
想像していたお隣さん像がおばあちゃんだったので、驚いてどうすればよいか分からなかった。
「隣に住んでます。
一見きつそうな釣り目のその人が笑うと一気にその場が華やいだ。
綺麗な人だなと思った。
アンティークっぽい着物に、白いエプロンを合わせているその姿はとてもお洒落で洗練されていた。
美人は何を着ても素敵だなあと、ユキトさんの後ろに隠れながら様子をうかがった。
大人っぽくて、ユキトさんのとなりに並んでも似合いそうだと思った。
わたしなんかよりもよっぽどユキトさんにお似合いだ。
そう思うと少し悲しくなった。
大学を卒業したばかりの小娘より、やっぱりユキトさんにはこういう大人な女性のほうが似合う。
なんの取柄もないわたしなんかより、ずっとユキトさんのためになる……。
美人で、大人で、ユキトさんに相応しい女性になりたい。
そう考えていると、田治見さんは意外な行動をした。
わたしの両手をぎゅっと握ってこういったのだ。
「ずっと、お会いできるの楽しみにしていたんです。こんな寂しいところだから、可愛らしい奥様が来るって聞いてうれしくて。仲良くしてくださいね」
そう言って、こちらを見る目は真剣そのものだった。
ああ、この人の本心だと思った。
この人はちゃんとわたしと仲良くなりたがっている。
まるで子供のような純粋な目でこちらを見つめているのだから。
「……はい。あの、わたしちょっと人見知りなところもあって、人付き合いあまり上手じゃないかもしれませんが」
わたしがなんとか言葉を絞り出すと、田治見さんはにっこりとほほ笑んだ。
「じゃあ、私が積極的に誘いますね。なので、嫌な時は断って、いいなと思う時だけ誘いにのってください」
わたしはコクコクと頷く。
ありがたかった。
大学でも友達はいたけれど、そこまで深い付き合いをするひとはいなかった。
女同士の友情というものがよくわからない。
そんな悩みがあっても、深くない付き合いの女友達に相談することもできず。ずっと、物語の中だけのものだと思っていた。
「よかったら、今度は
田治見さんはそういって帰っていった。
なんとなく、ふんわり心の中があたたかくなる。
とってもいい人そうだ。
「あんな風に綺麗で気さくな女性になりたいな」
田治見さんが帰ったあと、ユキトさんにそういうとユキトさんはちょっとだけ困ったみたいに笑った。
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