五日目

犬祭り。

「犬祭り。」の会場までは電車を利用する。ただし、乗りこむのはおとといとは反対方向に向かう車両で、降りるのは四駅目だ。

 切符の購入から電車に乗るまでに必要な行動を、姫は完璧にこなしてみせた。得意げな顔で、なにかを求めるようにわたしを見つめてくる。惜しみなく頭を撫でてやると、ひまわりのように笑った。

 車内は満員だ。座る場所はなく、姫の手が届く場所に掴めるものはないので、わたしの体に掴まるように指示する。「マジカルモンスター」「マジケン」「犬祭り。」といった単語が頻繁に耳に入ってくる。乗客に占める「犬祭り。」の参加予定者の割合は多いようだ。

 最初の駅に着いた直後、運よくわたしの目の前の座席が空いた。姫は椅子取りゲームでもするように素早く空席に座り、安堵したような、勝ち誇ったような、それでいて嫌味のない笑みを浮かべた。

 良家の令嬢が着るような純白のワンピースは、鮮やかなピンク色の髪の毛と絶妙に調和し、とても似合っている。わたしのところに来たときは正反対の黒衣を着ていた過去が、夢だったようにも思える。

 目的の駅に到着した。大勢の客が一斉に、ひと塊になって電車から降りる。行動を同じくする人間の多さに、姫は目を白黒させている。

「すごくたくさんおりるんだね」

「そうだね。『犬祭り。』に行く人が多いみたいだね」

「……おりれなかったらどうしよう」

「大丈夫。電車は優しいから、全員が降りるまで待っていてくれるよ。みんなの後ろにくっついていればいい」

 わたしとしては離れ離れになってしまうほうが怖かったので、姫と手を繋ぐ。握り返してくる力の強さが、抱いている不安がいかほどかを如実に物語っている。彼女の幼い心配は、もちろん杞憂に終わった。

 駅舎を出ると、遊園地に向かって一直線に舗装道路が伸びている。街路樹が等間隔に植わった、幅が広い道だ。やはり遊園地というべきか、家族連れとカップルの姿が目立つ。遊園地のゲートまで約一キロ弱。体力がない人間であれば、到着するころには疲れてしまいそうだが、

「ナツキ、見て! あそこに高いたてものがある! あれ、なんなの?」

「塔だね。遊園地の真ん中にあって、最上階から園内を一望できるようになっているらしいよ。着いたらいっしょに上ろうか」

「うん!」

 姫に関しては心配無用のようだ。

 入園ゲート前は混雑していた。チケット販売窓口でチケットを購入し、ゲートを通過して園内へ。

「わあ……!」

 姫の顔は煌びやかな輝きに包まれた。

 園内を笑顔で行き交う大勢の人々。あちらこちらで待ち受けているアトラクションの数々。明るく軽快なBGM。姫にはきっと夢の国のように感じられたに違いない。

「『ふれあい会』が始まるまでアトラクションで遊ぼう。どれでも好きもので遊んでいいよ。まずはなににする?」

「ナツキ、とうは? とうにはのぼらないの? ぜんぶ見れるんでしょ?」

「じゃあ、塔へ行こうか」

 手を結んだまま歩き出す。姫は今にも駆け足になりそうな早足なので、少し引っ張られる形になる。

「こらこら、急がないの。転んで怪我するよ」

「でも、ナツキ、『ふれあい会』がはじまるまでって言った」

「『ふれあい会』は三時からだから、時間はたっぷりあるよ。もっとゆっくり歩こう」

 塔に入ってすぐの場所は広間になっていて、ショーケースやパネルが数多く展示されている。案内看板によると、遊園地の歴史を紹介するための空間らしい。アトラクションと比べれば魅力に欠けるからなのだろう、現時点で観覧客はいない。

 エレベーターで最上階まで行くと、展望スペースだ。側壁は全面ガラス張りで、三百六十度どこからでも外の景色が眺められるようになっている。利用客はそれなりといったところだ。

「まど、おっきい! そら、あおい! 近くまで行こうよ!」

 姫と出会ってから一番の強さで手を引かれる。わたしはほほ笑ましく苦笑してそれに従う。周りの客から注がれる眼差しは、押し並べて温かい。

「わー、すごい! あそこ、おしろみたいなのがある! あっちにあるのりもの、知ってるよ。ジェットコースターって言うんでしょ」

 姫は窓ガラスにへばりつき、はしゃいだ声を上げる。わたしはそのかたわらに控えて相槌を打ち、質問をされればそれに答える。窓に沿って時計回りに移動し、様々な方角から地上を見下ろす。どの位置からどの方向を眺めても、景色は魅力的な輝きを帯びている。

 眠れずに悶々と過ごした長い夜が嘘だったように、わたしは姫と過ごす時間を楽しめている。姫のことが心から好きだと思うし、大切だとも思う。まだ遊園地を訪れて間もないのに、この光に満ちあふれた時間が終わるときが来てほしくない、なるべく先延ばしにできたらいいのにと、心の底から願っている。

 そして、そう感じたり思えたりしている自分に安堵している。

 マツバさんに特別な感情を抱いていると気づいたのがきっかけで、姫を購入したのは軽はずみな決断だったのではないか、と疑う気持ちが芽生えた。わたしが望んでいるのは、マツバさんとの関係を今よりも深めることであって、姫はその願いを果たせない空虚感を埋めるための代役に過ぎないのではないか、と。

 しかし、姫といっしょに遊園地で過ごしてみて、事態を大げさに捉えていただけだと分かった。マツバさんも特別なら、姫も特別。ようするに、そういうことなのだ。

 家族が大切だし、恋人も大切。さらには友人も大切だし、職場の同僚も大切。それが普通なのだ。その人にとって大切な存在は、一人でなければならない。そんな堅苦しい、切羽詰まった考えかたに囚われていたわたしが愚かだったのだ。

 己の愚かな未熟さに真正面から向き合ったならば、今現在の母親との関係も相俟って、暗澹たる心境に陥っていたかもしれない。

 しかし幸いにも、わたしの隣には姫がいる。姫とともに、楽しく充実した時間を過ごせている。

 煩わしいことはなにもかも忘れて、姫とともに今この瞬間を全身で楽しもう。

 その姿勢を貫くことこそが、わたしの未来に明るい光が射すのに繋がると、胸の片隅で期待しながら。


 昼食をとったあと、最初に乗るアトラクションには「ミニミニ機関車」が選ばれた。選んだのは姫だ。園内を網羅するようにレールが張り巡らされているのを見て、好奇心をそそられたらしい。鉄道駅を模した乗り場は、アトラクションを回る過程で見つけていた。

 いざ乗り場に来てみると、閑散としていて従業員の姿は見当たらない。入口ゲートを塞ぐように立て看板が設置されている。

『本日は「犬祭り。」開催のため、

 ミニミニ機関車の運行は終日見合わせます。

 午後二時ちょうどにマジケンが機関車に乗って入園するので、

 その模様をみなさまもぜひご覧になってください!』

「マジケンってなに?」

 姫が尋ねてきた。「犬祭り。」の概要については説明していたが、マジケンのことは詳しく話していなかった。

「マジケンっていうのは、『マジカルモンスター』っていうテレビゲームに出てくるキャラクターのことだよ。冒険が大好きな獣人の男の子っていう設定で、『マジモン』の中では飛び抜けて人気があるんだ。わたしも子どものころはマジケンのグッズを集めていてね。『マジモン』には他にもたくさんキャラクターがいるのに、マジケンばかり」

 時刻を確認すると、午後二時まで十分を切っている。

「もうすぐ二時だから、待ってみようか。マジケンの入園を見たら、三時までアトラクションで遊ぼう」

 乗り場の周囲は日向になっている。少し離れた木陰のベンチまで移動し、腰かけて待つ。わたしたちと同様、本日の運行見合わせを知らなかった家族連れなどが乗り場を訪れては、看板の前に佇んでしばし言葉を交わし、乗り場近くのレールの前で待機するか、近くのベンチに座るかした。

 何分待っただろう。

 突然、園内を流れていたBGMが途絶えた。聞こえるのは人々の声とアトラクションが奏でる音のみとなり、ほどなく人声はざわめきへと変わる。なにが起きたのだろうというよりも、なにが起きるのだろうというふうに、姫は忙しなく左見右見する。携帯電話を確認すると、十四時ちょうどだ。

「マジケンが来るみたい。行こう」

 姫の手をとり、レールへと向かう。そのさなか、急に音楽が流れはじめた。アップテンポで、どこか不穏で、魂の昂ぶりと胸騒ぎを同時に覚えるような曲。

 わたしの心は懐かしさに満たされた。

 間違いない。『マジケン登場のテーマ』だ。

 レールの左右を仕切る、わたしの腰ほどの高さのフェンスのてっぺんに、わたしは両手を置く。右に左に顔を向けたが、どちらからマジケンがやって来るのかは判然としない。周りにいる客も同じらしく、しきりに周囲を見回している。

 どちらからだろうと、マジケンは来るのだ。『マジケン登場のテーマ』が流れた以上、マジケンはやって来る。これまではそうだったし、今回もそうに違いないし、今後もそうだろう。ゲーム、アニメ、ヒーローショー、映画。そのすべてで、マジケンは『マジケン登場のテーマ』とともに現れた。

「来たぞ! マジケンだ!」

 左方向から声が聞こえた。そちらを向くと、声を発したらしい男性が、自身の妻と息子と思われる二人とともに右方向を向いていた。顔の向きを変えると、わたしの右側に佇む姫もそちらを向いている。

 レールの先にはなにも見えない。しかし、右を向いたことで視野に映った人々は、全員わたしと同じ方向を向いている。

 歓声らしき声が遠くから聞こえた。声は次第に大きくなる。走行音らしき音が聞きとれた。

 視界に黒いものが映った。見る見る大きくなっていく。ほどなく正体が明らかになった。

 マジケンだ。

 全身を埋め尽くすオレンジ色の体毛。天に向かって尖った白い耳。澄んだ碧眼。真っ黒な鼻。引き締まった口元。わずかに覗く乳白色の牙。均整のとれた体つき。指先から突き出た鋭利な爪。先端だけが白いふさふさのしっぽ。

 マジケンだ。まぎれもなくマジケンだ。

 マジケンが乗っている機関車は、機関車と聞いて万人がイメージする車両をうんと小型にしたもの。先頭には運転手が、その後ろにはマジケンが着座している。子ども用の乗り物なので、二人とも窮屈そうだ。マジケンは四肢が長いぶん、より窮屈そうに見える。ただし、表情は凛々しい。大の大人が子ども向けの乗り物に乗っている姿は、えてして滑稽に見えるものだが、マジケンの場合はマイナスの印象とは無縁だ。

「ミニミニ機関車」がわたしの前を通過する。

 マジケン!

 そう叫びたかったが、叫ばなかった。

 遠ざかる背中を見送る。尻尾が小さく左右に揺れている。ゆっくりと、しかし着実に遠ざかり、やがて見えなくなった。

 視認することが叶わなくなったあとも、わたしはマジケンが去った方角に双眸を据えつづけた。

 やがて『マジケン登場のテーマ』がやんだ。数秒のインターバルを挟み、元のBGMが流れはじめた。

「マジケン、犬なのに人間みたいだったね」

 袖を引き、わたしの注意を自分へと向けさせたうえで、姫は感想を口にした。

 我ながら作り物くさいほほ笑みを浮かべるだけで精いっぱいだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る