猿焼き(前編)

『さる焼きって、なんなの?』

 昼食の食器洗いをしているさなか、「夕方には予定どおり猿焼きに行くから」と告げたところ、姫にそう問われた。

 そのとき姫は、ダイニングテーブルの椅子ではなく、リビングのソファに腰を下ろし、シュークリームをつまんでは口に運んでいた。昨日、荷物持ちをしてくれたお礼にコンビニで購入したものだ。買った直後のティータイムにわたしも何個か食べたが、姫は味が気に入ったようなので、以降は譲っている。食後や間食など、機会を見つけては少しずつ食べていて、パックは今日中に空になるだろう。

 そのときは曖昧に笑ってやり過ごした。食事中には相応しくない話題だったからだ。姫の関心はどちらかというとシュークリームに向いていたらしく、食い下がってはこなかった。

「猿焼きというのはね」

 イベント会場であるK町の空き地を目指す道中、わたしは遅まきながら回答を口にする。時刻は午後五時前。空にはまだ、夕焼けの兆候は観測できない。

 姫は最初きょとんとしていたが、昼間の疑問に対する回答だとすぐに気がついたらしい。時間を置いての返答に、深遠な意味が内包されているとでも思ったのか、わたしに向けられた瞳は淡い緊張を帯びている。

「そう身構えなくてもいいよ。ちょっと怖いと感じるかもしれないけど、そう深刻な話ではないから」

 姫に笑いかけてから説明に入る。

「猿焼きというのは、簡単に言えば、地域に棲息する猿を捕獲して、生きたまま焼くイベントだよ」

「生きたまま、やく……」

「猿を入れた檻を広場の中央に集めて、一気に燃やすの。自分が殺されるってはっきりと分かるんだろうね。汚い話だけど、糞を投げつけてくる個体なんかもいて、とにかく凄まじいの一言で」

「さるは、なんでやかれるの? わるいことをしたから?」

「うーん、どうなんだろう。一応そう説明されているけど、『人類と、それに友好的な種族の繁栄を祈って、猿を生贄に捧げる』という名目で開催されるイベントだからね。極端な話、地区に棲息している猿の中に悪さをした個体が一匹もいなかったとしても、捕まえて焼くことになるんじゃないかな」

「それに友好的な種族の」という文言が付け加えられたのは、姫人形を含む、家庭用アンドロイドの普及が進んだことと関連があるらしい。獣人の騒動とも関係があるそうだが、詳しい事情までは把握していない。

 人間に従順なアンドロイドは、人間の味方。人間に物申す獣人は、人間の敵。そう短絡的に考えている人間は、この世界に多いように思う。わたしはそれに当てはまらないが、獣人の権利や歴史に無関心という意味では、明らかに多数派に属している。

 無関心なりに、たまにこう思うこともある。

 それでは、アンドロイドと獣人の関係はどうなのだろう、と。

「他の地区には、炎を大きくして迫力を出すために、必要な数以上に焼く猿を用意するところもあるみたいだよ。お祭りみたいなものだし、経済効果も期待できるからね。生き物をみだりに殺すのはもちろんいけないことなんだけど、お金儲けが絡むとどうしてもそうなっちゃうんだろうね」

「おまつりなんだ」

「分かりやすく言えばね。食べ物の屋台だって出るし。K町はさほどでもないけど、地区によっては一大イベントになっているところもあるみたいだよ。焼け焦げた肉の臭いと、屋台の食べ物の臭いが混じり合った臭いが、わたしは苦手で。夕方に行くことにしたのは、猿を焼き終わって時間が経つと、広場から臭いが抜けるからなんだ。完全に、ではないんだけど」

 そこまで説明したところで、マツバさんと猿焼き会場を回る約束をしていたことを思い出した。

 マツバさんとの関係を、姫にどう説明しよう?

 姫を、マツバさんにどう紹介すればいいのだろう?

「あそこだね。猿焼きの会場」

 現場はまだ百メートルほど先だが、焦げ臭い臭いをうっすらと感じ、思わず顔をしかめてしまった。純然たる焦げ臭さではなく、獣臭さも混じったような臭気だ。

 広場を取り囲むように屋台が点々と建っている。猿が焼けた臭いがだいぶ弱まっているおかげで、食べ物の匂いのほうを強く感じるのは幸いだった。

 中央には、黒く焼け焦げた木片が散乱しているだけで、猿の檻はすでに撤去されている。焼却後の神事も終わっているようだ。後ろ手を組んで焼け跡を眺めている、老爺。炭化した木片を棒切れでつついて遊んでいる、兄弟らしき二人の男児。猿が焼き殺された現場付近にいるのは、彼らくらいのものだ。

 それにしても、マツバさんはどこにいるのだろう。

 メインイベントが終わったとはいえ、屋台は健在だから、広場に残っている人間はまだまだ多い。一連の儀式は形式張っていて冗長だから、むしろそちらを楽しみにしている住民のほうが多数派だ。

「とりあえず、会場を回ってみようか」

 姫を促して歩き出した直後、前方から靴音が聞こえてきた。ブーツが奏でる音色で、聞き覚えがある。栗色の長髪を振り乱しながら、女の子が駆け寄ってくる。なじみ深い花香がわたしの鼻孔をくすぐる。

「マツバさん」

「ナツキさん! こんばんはー」

 胸元の開いた花柄のブラウス。今にも下着が見えそうな短いスカート。一種のお祭りということで、派手な服装にしたのだろうか。メイクをばっちり決めた顔は、朗らかで上機嫌そうな笑みに彩られている。

「私、さっきまで友だちと話をしていたんですけど、バイトがあるとか言って帰っちゃうし、ナツキさんは来ないし、どうしようかと思っていたところに姿を見かけたので、とても嬉しかったです! お忙しいのに来てくれて、ありがとうございます!」

「いや、お礼を言われるほどのことでも」

 マツバさんはほんとうに元気だ。体調が悪い日や、気分が盛り上がらない日も当然あるはずなのだが、暗い顔をしていたり、テンションが低かったりする彼女を見たことは一度もない。知り合ったばかりのころは、その元気のよさが少し苦手だったが、今ではすっかり慣れた。

「来てくれてほんとによかったです。私、お祭りに参加するのは大好きなんですけど、人が多い場所に一人でいるのはそんなに得意じゃないので。……もっと早く来てくれればよかったのに」

「ごめんね。わたし、猿の肉が焼ける臭いが苦手だから、焼却の儀が終わらないと」

「あっ、こちらこそごめんなさい! 今のはひとり言です。ナツキさんが来てくれただけで嬉しいです! というわけで、無事に落ち合えたことですし、二人でデートしません? 猿焼きデート。メインイベントが終わって人も少なくなったし、ゆっくりと――」

 不意に視線がわたしから外れ、姫に注がれた。双眸が見開かれ、あんぐりと口が開く。

「えっ? その子……えっ? まさか、ナツキさんの……」

「紹介が遅れちゃったね。この子は姫人形で、名前は姫。おとといからいっしょに暮らしはじめて――」

「わー! かわいい……!」

 マツバさんはいきなり姫を抱きしめた。

 長い抱擁の末に解放されると、鳩が豆鉄砲を食ったような姫の顔が現れた。マツバさんは小動物を愛撫するような、どこか慎重な手つきでパステルピンクの髪の毛を撫で、輝く大きな瞳でわたしを見上げる。

「ナツキさんってば、水くさいなぁ。この子がお家に来たその日に教えてくれればよかったのに。ていうか、どうして姫人形を買ったんですか?」

「どうしてって……。わたしは一人暮らしだから、ようするに、その……」

「なるほど、そういうことですね。みなまで言わなくても分かります、分かります」

 わたしと姫の顔を交互に見ながら、くり返しうなずく。

「私も一人暮らしなので、そういう従順な子をそばに置いておきたいなって思うことがよくあります。ていうか、姫人形、私もめちゃくちゃ欲しいです! 購入に向けてちょっとずつ調べたりはしてるんだけど、費用の問題もあってなかなか手が出なくて。調べるたびに思うんですけど、購入手続き、物凄く面倒くさくないですか? ナツキさんはどうでした?」

「わたしは代行サービスに頼んだから」

「ああ、それがあるんでしたね。でも、がっつりお金をとられるんでしょ? いいなー、ナツキさんはお金持ちで」

 口を尖らせたかと思うと、一転して表情を綻ばせ、再びピンク色の髪の毛を撫でる。テンションの高さに圧倒されているらしく、姫の表情は戸惑いの色が濃い。その顔に向かって、マツバさんは幼児のように無邪気に笑いかける。

「姫ちゃん、よかったね。優しくてお金持ちのご主人さまの家に貰われて」

 従順。購入。ご主人さま。貰われる。

 姫は姫人形だ。機械の体を持つ人工の命であって、生身の人間ではない。それは揺るぎない事実だし、その発言に姫が傷つくことは構造的にあり得ない。

 しかし、やはり、姫が人間ではない事実を強調するかのような発言は、本人の前では慎んでほしい。

 そう思ったが、マツバさんに対してはなにも言えない。彼女は悪気があってそれらの単語を口にしたわけではない。無知なだけだ。

 なにも言わないでおこう。気分を害するのはわたしだけでいい。

「ナツキさん、前言撤回です。二人じゃなくて、三人で回りましょう。――姫ちゃん、私がなにか買ってあげるよ。欲しいものがあったら言ってね!」

 マツバさんは膝に手をついて前屈みになり、目の高さを姫に合わせて言葉をかける。姫は困惑顔のままわたしを見上げる。

「マツバさんの好意に甘えればいいよ。屋台、美味しいものがいっぱいあるから」

「姫ちゃん! 私と手、繋ごうよ。はい」

 左手が差し出される。姫はためらいがちではあったが、自らの意思でその手を握った。

「よし! それじゃあ出発!」

 マツバさんのハイテンションと積極性に圧倒され、姫は引っ張られる形となる。不安そうな顔が肩越しに振り向いた。なにも心配はいらない、というふうにわたしはうなずき、二人の後ろに続く。

 マツバさんはひっきりなしに姫に話しかける。基本的には、姫のパーソナルな事柄について質問をするのだが、屋台を目に留めるたびに関心がそちらに移り、そこで売られている商品について解説を始める。数歩離れた位置から見聞きしている限り、いい意味で賑やかだが、少々散漫だ。

「あ、たこ焼き屋さん。姫ちゃんはたこ焼きがどんな食べ物か、分かる?」

「さるを焼くのがさる焼きだから、たこ焼きはたこを焼いた食べもの?」

「正解。よく分かったねー、姫ちゃん。まあ、猿焼きで焼いた猿は食べないけどね。じゃあ、もう少し詳しく言えるかな?」

「いいにおいがするけど、わからない」

「そうだよね。匂いだけじゃ分からないよね。たこ焼きっていうのはね、真ん丸で、ソース味で、中にぶつ切りにしたたこが入っているの。大きさはね、このくらい」

 マツバさんは親指と人差し指で丸を作り、「このくらい」がどれくらいかを具体的に示してみせた。

「中にたこ? じゃあ、たこはなにの中に入っているの?」

「小麦粉を水や卵なんかといっしょにこねたものを――って、言葉で説明してもピンと来ないよね。たこ焼き、食べてたしかめてみる?」

「あまいの?」

「ううん、甘くはないよ。姫ちゃん、もしかして甘いものが好き?」

「うん、好き」

「じゃあ、あんこボールはどうかな。薄い生地の中にあんこをいっぱい詰めて、油で揚げたお菓子。いろんな種類のあんこが使われていて、中毒性がやばいの。サイズも形もたこ焼きそっくりだし、それを買って食べよっか。あんこボールの屋台は毎回出店してるから、今回もあると思う」

 姫は最初こそ、頻繁にわたしのほうを振り返っていたが、今となっては顔の向きはずっとマツバさんだ。振り返るたびに「心配いらない」と表情で言い聞かせてきたからでもあるが、それ以上に、交わす言葉が募れば募るほど、マツバさんの性格の善良さを理解していったのが大きいのだろう。

 ほんの少し、嫉妬を感じているわたしがいる。

 マツバさんは子どもと接するのが好きだし、得意でもあるのだろう。馬鹿げた仮定だが、姫が二人いて、わたしとマツバさんのもとでそれぞれ暮らしはじめたとしたら、打ち解けるのが早いのはマツバさんのところの姫に違いない。

 このままだと、姫をマツバさんに奪われるかもしれない。大金を支払って購入した念願の姫人形である、姫が。

 そこまでの危機感を覚えているわけではなかったが、あえてそう心の中で呟いてみる。

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