第19話
シスター・ソレラが跳躍する。
床では戦いづらいと思ったのだろう。ラーメン屋の店内は確かに、テーブルと椅子のおかげで蛇腹剣を振るうには適さない。そもそも戦闘に適していない。
だから、彼女はあろうことか天井を地面にすることに決めた。
「神は言いました。地面は私の目の前にあると」
言い聞かせるように呟いた言葉。
それを持って彼女の常識は書き換わる。
神が言っているのならば、天井は地面だとして、ただ普通に立って走っていた。
「うーん、思い込みってすごい」
彼女は特に何か技術を用いているだとか、魔法だとか魔術だとか呪術だとかを使用しているわけでもなかった。
彼女は最強でもない。
本来なら天井を地面にして戦うことなんてできるはずがない。
ただ、信仰があった。
「違います。思い込みだなんて天罰が下りますよ」
信じれば、火もまた涼しい。
信じれば、空も飛べる。
信じれば、なんでもできる。
信じれば、なんでもしていい。
信じれば、信じれば、信じれば。
「さあ、あなたも神を信じましょう? 死して神の御下へ参るのですから」
「だから、ぼくは魔王ではないので死にたくないんですよ」
「ふふふ、遠慮なさらず。神は何者にも平等ですよ」
「遠慮じゃないんですけど。話聞いてください」
「はい、もちろん聞いていますよ。どうやって死にたいですか?」
「話を聞いてないじゃないか」
そもそも天井に真逆に立っている女に、そこから一方的に律儀に入り口から殺到しようとしているゾンビを駆逐している女が、人の話を聞くわけなんてないんだけど。
ゾンビが途切れれば待っているのはぼくの死だ。
今すぐここから逃げ出したいが逃げ出してどこへ行くというのか。
ゾンビあふれるショッピングモール。そこで、ぼくとシスター・ソレラはだるまさんが転んだの真っ最中だ。
鬼のところへ行かなければ勝利はない。
さて、どうしたものか。
「まあ、なんとかなるか」
楽観するしかあるまいて。
ぼくにできることはそれくらいなんだから。
「シスター」
「はい、なんでしょう。あっ、殺してほしいんですか? ちょっと待っててくださいね。もうすぐ終わりますから」
「いえ、改宗したいんですよ、聖血教会に」
もちろん本気で改宗するつもりはない。
時間稼ぎ、あるいは同族になったフリをしてぼくを殺さないようにするための説得タイムという感じだ。
同じ宗派の信者をまさか殺すわけはないだろう。
ぼくはそう楽観した。
ぴたりと、時が停まったように思えた。
シスター・ソレラが頭から落ちて来た。
「まあまあまあ!」
頭からだらだらと血を流しながら、彼女はぼくの両手を取った。
正直離れてほしいのだけれど。血が、流れてるし。
「まあまあまあまあまあ! 改宗。改宗とおっしゃいました? おっしゃいましたよね、私聞きましたよ、私聞き逃しませんでしたよ、私、私、改宗するって聞きましたよ?」
「はい。言いましたね」
「ああ、ついにあなたも神のすばらしさに目覚めたということですね! ふふふふ、素晴らしい。とても素晴らしいです。こんなにも素晴らしいことがありますか? 我らが神は素晴らしい」
「は、はは。そうですね」
「はい。ですので――」
シスター・ソレラは、ぼくの右手を切断した。
「は――?」
突然、唐突、突発的に何の脈絡も伏線もなく、慈悲の鉄という蛇腹剣の刃は翻り、ゾンビどもをその刃圏に入ったすべてを寸断した。
ぼくの手首はことのついでと言わんばかりだった。
「あっ、ああああああああ!?」
ぼくは、ぼく史上最も大きな悲鳴を上げた。
「はい、少し我慢してくださいね~」
シスター・ソレラは、ぼくの手首を取って、そこから先がない、血があふれるだけの断面を掴んで、自分の服へとこすりつけていく。
赤くなる。朱くなる。紅くなる。
服を染め上げていく。
「はい。では、改宗にあたって」
痛みでうめくぼくに、赤くなったシスター・ソレラはまるで役所の受付のように事務的な口調で説明を始めた。
むろん、初めての痛みに涙を流し、だらしなく叫ぶしかないぼくはそんな説明を聞けるはずもなかった。
手首ををさえて必死に止血をしようとしているけれど、血は流れだし続ける。止まらない。
寒い。
死ぬ。
死。
死だ。
死。ああ、ダメだ。
これはダメだと思った。
これじゃない。
死にたくない。
ぼくが求めているのはこれじゃない。
でも、これかもしれない。
ぼくが求めている自由はこれかもしれない。
いや、これであっていいはずがない。
背反する気持ちが、痛みで朦朧としたぼくを混沌に落とし込んでいく。
最悪だった。
まったくぼくってやつはいつだって楽観しすぎなのだ。
ことここに至っても、なんとかなるだなんて、そんなご都合主義が許される段階ではないだろうに。
授業料は大きく、自分の手とは。
最悪もここまでくれば、笑えて来るというものだろう。
はははははははははは。
いや、笑えない。
最悪だ。
笑いなんかよりも怒りの方がわいてくる。
まったく、まったく、まったく。
最悪だ。
「う、ぐぅうう」
「というわけで、さあ、くっつけましょう?」
何を言っているんだ、この女は。
「神の言葉を信じるのです。我らが神が言えば、それはたとえなんであろうとも正しい。間違いではないのです。神は間違えません。神の言葉を実行する我々は何よりも正しい存在なのです。さあ、神は言っています。この手はくっつきますと。神を信じなさい」
こんな状況で神を信じろだって?
それで手がくっつくだなんて、こいつ頭おかしいんじゃないか?
「神を信じれば、手なんて簡単にくっつきます。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい。神を信じなさい」
はい、おかしいです。
こいつおかしい。
「ほら、信じなさい。信じなさい。手がくっつきますよ」
「うぅ……」
「ふぅ、仕方ありません。不肖の信者を助けるのもシスターの役割ですね。神は言っています。あなたの手はくっつくと」
そう言って、ぼくの傷に落とされた手がくっつけられた。
ありえないことが起きた。
痛みが引いた。手がくっついた。指が動く。感覚がある。そもそも切れていたことなんて嘘のように。
「は、幻覚……?」
いや、あれが?
そんなまさか。
「神を信仰すれば、できますよ。さあ、もう一度やってみましょう」
またぼくの手が切り落とされた。
「いぎぃいあああああああ」
「はい、信じて信じて。神を信じなさい。そうすれば、手はくっつきます。ほら、ほら、ほらほらほらほらほらほら」
またくっつけられた。
ぼくの手はプラモデルじゃないんだぞ。
「し、信じた。信じたから、もうやめよう」
「信じたのなら、私抜きでもできますよね?」
「いやぁ、ほら世界が違うから」
「いいえ、世界なんて関係ありません。神の威光はあまねく九つ世界に降り注いでいるのです。たとえ、神がいない不幸な世界に生まれたのだとしても、それはあなたが気が付いていないだけ。あなたは今、目を開けたのです。目覚めたのです。さあ、信じましょう神を!」
うーん、もうヤダ。
こいつはダメだ。
もうだめだ。
ぼくの自由を侵害しやがる。
ぼくが改宗するなんて苦し紛れにいったのが原因だが、まあ、そこはそれ逆恨みさせてもらおう。
ぼくは都合のいい頭をしているのだ。
よし、こいつを始末しよう。
ぼくの自由にこいつはいらない。
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