雄三【終章】
一連の事件は闇に葬られた。
明日葉の関与は完全に隠され、美作の名も出ないまま、出自不明な通り魔の犯行として形だけの捜査が続けられ、犯人未逮捕のままフェイドアウトしていった。
それと前後して警察は、捜査の中で明日葉刑事課長及びその部下数名が負傷した事、そのため県警の警官が複数臨時配属された事を発表した。今回の本宮の動きをバックアップしたらしい
籾山と本宮は、五葉町へのダメージを最小にする道を選んだのだろう。ありのままを住民に、あるいは世間に対し発表すれば、警察も金井建設も無事ではいられない。そして、警察と金井建設以外に、町を運営できる組織は存在しないのだ。
正義感の塊のような本宮にとっては、複雑な選択だったのかもしれない。だが一方で、これからの五葉町を、警察という立場から強く支えていくという使命感もまた、誰より強いのだ。
一方の金井建設にも、大きな変化があった。明日葉の逮捕から数日後、金井丈三は雄三を社長室に呼び出すと、金井建設に入社して仕事を覚えるように言った。「特別扱いは一切しない。死に物狂いでやれ」相変わらず体調は優れないようだったが、雄三に対する遠慮を全く感じさせない強い口調に、雄三の心はすぐに決まった。
次の日から雄三は、傳田が管轄する部署で働き始めた。従業員としては一番の下っ端だ。それまで一度もやったことのないような雑用にも、文句一つ言わず取り組んだ。
雄三を部下として使わなければならない社員たちの方が戸惑った様子を見せていたが、雄三の真剣な姿勢にやがて感化され、雄三を同僚として見るようになっていった。雄三は毎日、早朝から深夜まで働いた。
入社して半年ほど経った頃、丈三の体調が悪化し入院する事が決まった。精神は落ち着いていたが、長年患っていた肝臓が限界を迎えていた。仕事はいいから父を見舞ってくるようにと、今は上司となった傳田に言われ、雄三は数週間ぶりの休みをとって、午前の早い時間に病院を訪ねた。
入院先は五葉総合病院である。
病室は最上階の角部屋だった。真っ白のカーテンとベッドシーツが眩しかった。広く開けた窓からは朝日にきらめく太平洋が見える。丈三は一人で新聞を読んでいた。なんとなく気まずくて、雄三は立ったまま窓の外の風景に見入った。そのまましばらく、どちらも口を開かなかった。
「変わったな」
やがて丈三が言った。
「俺が? そうか?」
雄三は答えた。
「ああ、見違えた。スーツも、板についてきたじゃないか。髪もその方がずっといい」
雄三は、室内に設えられた洗面所の鏡で、自分の姿を見た。革ジャンはスーツに、そして白く見えるほどブリーチしていた髪は黒に戻され、短く刈ってある。鏡の隅に、満足そうにこちらを見ている丈三の顔が映っていて、雄三は照れくさくなって目を逸らした。
「毎日セットする時間がねえんだよ。忙しくてな」
「ああ、傳田から聞いている。頑張っているとな。あいつ、厳しいだろう」
「まあな。今までの俺の態度を根に持って、仕返ししてるのかもしれねえけど」
丈三はふふっと笑って、それから視線を落とした。
「……俺はもう、長くないだろう」
雄三は何も言えず、黙った。
「会社を、頼むぞ。次の社長は、お前だ」
「バカ言うなよ、入社一年目の新人だぜ。それに、特別扱いはしねえんじゃねえのかよ」
「もちろん今すぐじゃない。特別扱いもしない。お前は実力で、社長の座を掴まねばならん」
何年後になるか分からない。だが、雄三が金井建設を継ぐのを見届けたら、胸を張って地獄に旅立つつもりだ。そう言う丈三の顔は晴れやかだった。
それから四年と半年――
雄三の努力と、傳田を始めとした周囲の尽力で、金井雄三の社長就任が決定した。
雄三は自らの力で多くの実績を残していた。特に、以前から需要の高かった介護系事業での成果は目覚ましかった。
観光客も順調に増え、五葉町にはかつてないほどの活気が宿り、金井建設が外部の企業とコンタクトをとる事も増えていった。
雄三の社長就任パーティは、双名商店街内の多目的ホールで開催された。
会場には金井建設関係者だけでなく、商店街で店を営む店主たち、介護施設の従業員や利用者など二百人以上が集まった。雄三はステージに立ち、五葉町の発展は道半ばである事、そしてさらなる成長のためには皆の協力が不可欠である事を強く訴えた。
それから、これまでの金井建設のやり方は強権的過ぎた事、新たな時代を拓いていくため金井建設自身が新しい価値観の中で事業を進めていく事が重要だと説き、拍手喝采を受けた。
雄三は鳴り止まぬ拍手の中、この場に父親がいない事を残念に思った。金井丈三は一年ほど前に様態が悪くなり、そのまま帰らぬ人となっていた。雄三はステージを後にすると、袖で見守っていた傳田の所に行った。
「お疲れ様でした。立派な挨拶でした」
そう言って迎えた傳田に雄三は深々と頭を下げた。
「傳田専務、今後ともご指導のほどよろしくお願いします」
「――丈三が見たら、何と言ったでしょうね」
顔を上げると傳田は目頭を押さえていた。
「喜んでくれたと思います。ずっと前から、こういう姿を見たかったんじゃないかな」
歓談の時間になると雄三は参加者たちの中に降り、一人ひとりに挨拶をして回った。その中に懐かしい顔があった。思えば事件以来、この狭い町でも顔を合わせるのは稀で、会ったとしても簡単な挨拶程度だった。
「これはこれは、金井社長」
本宮がおどけた風を装って言う。出世したのだろう、少し太っていて、部下を数人引き連れていた。四年半前の、正義感が顔にまで溢れていた頃とは少し雰囲気が違い、どこか風格すら感じさせる。おどけて見せる事自体、以前の本宮のイメージとは違っている。
「からかうなよ、本宮さん。まだ駆け出しだ。これからが大変だよ」
「からかってなんていません。私は心からあなたの就任を祝っているんだ。あの時話した事、覚えてますか」
本宮の言葉に雄三は微笑んだ。
「ああ、あなたはいつか必ず町を背負う人になる。その時まで負けるなって、あれだろ」
「陰ながら、ずっと応援していたんですよ。あなたがちゃんと社長になってくれないと、困るんでね」
「ああ。でも、お陰様で、皆に認めてもらう事ができた。これからが本番だが、俺はこの五葉町を、もっともっと良い町にしてみせるよ」
本宮は目を細めて頷くと、「期待してますよ。じゃあ」と言って軽く頭を下げ、その場を離れかけた。
「あ、そうだ雄三さん」
「ん、なんだ」
「もう一つ、覚えてますか。あの時約束した事」
「もう一つ?」
「落ち着いたら酒でも飲みましょうと言ったでしょう。今までは邪魔しちゃいけないと思って控えてましたが、もういいでしょう? あなたとはじっくり話したいとずっと思っていたんですよ」
「ああ、そうだったな。わかった。そうしよう。俺もあんたと話したかったんだ」
本宮はニッコリと笑うと、「よかった。じゃあ、また近々連絡します」と言って、今度こそ会場を出ていった。
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