雄三
石神が案内したのは、旧市街から更に奥、山中へと続く細い道路を五分ほど登った場所にポツンと建つ、奇妙な建物だった。バイクから降りて、目を凝らす。
「なんだこりゃ……病院か?」
「ああ、ちょっと前に見つけたんだ。新しいアジトにしようと思って」
白くペンキの塗られた木造の平屋で、放置されて長いのだろう、壁にはツタが絡まり、窓は割れ、瓦の間からも植物が育っていた。一体どれほどの期間使われていなかったのだろう。
「ガレージに比べたらずっと狭いけど、なんつうか、あそこをあのまま使ってるのも癪だったからさ」
石神はあっけらかんと言う。スジを重んじる石神らしいと雄三は思った。雄三と袂を分かつなら、金井建設の持ち物であるあのガレージを使う訳にはいかないと考えたのだろう。
「ここはまだ警察にも割れてねえはずだ。五葉町がいくら狭いつっても、すぐに見つかる事はねえよ」
石神を先頭に雄三、その他のメンバーが続き、中に入っていく。建物内はホコリまみれで、散らかっていた。だが、石神たちが改造を始めているのだろう、向かって右奥にある革張りのソファの周辺だけはキレイだった。
「あんな上等なソファ、どっから拾ってきたんだよ」
「元からあったんだよ。いいだろう」
石神がソファをはたくと、ホコリが舞った。奥にある窓を開けて空気を入れ替える。雄三はソファに腰を下ろし、タバコに火をつける。
「な? けっこういい感じだろ」
「そうだな、悪くねえな」
雄三が頷くと、石神は嬉しそうに笑った。
やがて、遠くからバイクの音が近づいてきて、建物前で止まった。見張りに立っていたメンバーが戻ってきて、「尾藤さんです」と雄三と石神に報告する。昨日から何も食べていない雄三のために、尾藤が食料を調達してきたのだ。
「大したもんはなかったっす。すんません」
コンビニのビニール袋の中からおにぎりやパック詰めの焼き魚などを取り出しながら、尾藤が頭を下げる。雄三の吸っているセブンスターやペットボトルのコカ・コーラもあった。
「いや、充分だよ。悪かったな」
雄三が言うと尾藤は照れたように目を逸し、「そんな、これくらい」と手を振った。
車止めのブロックを重ね、間にベニヤを置いただけの机に料理を広げ、雄三は久しぶりの食事を楽しんだ。石神や尾藤がそばにいることが不思議に思えた。冤罪で逮捕されるかもしれないという非常事態なのに、心は穏やかで、幸福感があった。
「それで、これからどうするっていうんだよ」
食事を終えて一服していると、石神が言った。確かに、ここにいれば多少時間は稼げるだろう。行動に気をつけていれば、数日間くらいは身を潜めていられるかもしれない。だが、遅かれ早かれ見つかってしまう。雄三は、移動中からずっと考えていたことを口にした。
「もう一度、あの小屋まで行こうと思ってる」
尾藤が驚いた顔で雄三を見る。石神が雄三の顔を覗き込む。
「小屋って……もしかして」
「ああ、さっき話したろ。犯人のアジトだよ。――俺、犯人に会おうと思うんだ」
明日葉を尾行して見つけた、山の中に建つ小さな小屋。あそこには犯人の痕跡があった。石神たちにも、伝えてあった。だから石神は、驚くとか慌てるとか以前に、雄三の言葉の意図がわからないようだった。危険から身を隠すためにここに来たというのに、なぜ自ら犯人に会わなければならないのか。
「いや、意味がわかんねえよ、だいたい犯人ってその、美作とかいう化物なんだろうが。そんなもんに会って、何しようってんだよ。あんた殺されちまうぜ」
冗談だと思ったのか、半笑いで言う石神に、雄三は続ける。
「いや、美作加州雄が犯人かどうかまだわからねえ。いろんな情報からその線が浮かんできただけで、そもそもそいつがまだ生きてんのかどうかも定かじゃねえんだ。でも――」
「でも、なんだよ」
「もし犯人がマジでそいつだったとしても、多分、単独犯じゃねえ。俺はそこに明日葉が噛んでると思ってる」
「いや、雄三さんさっきからそう言ってるけどよ、明日葉は刑事だぜ? 噛んでるつったって、殺人犯にどう噛んでるってんだよ」
石神は呆れた表情で言う。確かに、今までの自分なら石神と同じ考えを持っただろう。だが丈三の、初めて見た父親らしい態度に、雄三は明日葉の関与を、それもかなり深い関与を確信していた。
山中で見た、明日葉の鬼のような表情。明日葉はひとり車中で恐ろしい表情をして喚いていた。あのジジイには、何かがある。仏顔の刑事とは別の姿が。
そう、例えば――
「明日葉が黒幕かもしれねえ」
「は?」
「美作が、明日葉の指示を受けて動いてるってことだよ」
石神が目を見開いて黙った。雄三は続ける。
「あの写真……あの小屋にあった写真だが、あれを犯人が撮ったようには思えねえんだ。あれはもっと、金井建設に近い人間が撮ったんだ。敷地内をうろついてても不審に思われねえ人間――」
「それが、明日葉だってのかよ」
「ああ。あのジジイは、単なる刑事じゃない。金井建設と警察の窓口として、頻繁にウチに出入りしてた」
「いや、だからって……」
「小屋にあった写真は、最初に襲われた警備員、次の清掃員、それに尾藤の写真もあった。逆に言えば、それ以外の人間のものはなかったんだ。つまり、犯人は襲う人間を決めていた、あるいは指示されてたって考えるのが自然だろ。誰も彼も襲うわけじゃねえ」
うーん、と石神が唸る。
「いや、まあ、確かにそうなのかもしれねえけど、だからってあんたが美作に会ってどうすんだよ。さすがにアジトまで乗り込んでこられたら、美作だって反撃するだろ。だいたい、明日葉って刑事が云々ってのも、全部あんたの想像なんだろ? もしかしたら犯人は明日葉とも美作とも関係ねえ野郎かもしれねえじゃねえか」
「まあな」
「まあなって。おい、頭大丈夫か?」
石神の顔には明らかに心配の色が浮かんでいる。こんな時なのに、雄三は石神と知り合えたことを嬉しく思った。
「だからってここにずっといても仕方ねえ。遅かれ早かれ見つかっちまうよ。なんにもしねえまま捕まるんなら、可能性に賭けてみたい。ちょっと気になることもあるし」
「気になることって、なんだよ」
雄三は言葉を切った。沙織の顔が頭に浮かんだ。そして、病室まで押しかけてきた明日葉。あの時の明日葉は、どこか変だった。後で本宮が指摘した通り、同一犯の犯行だと認めたくない様子だった。なぜなのかはわからない。だが実際、あの小屋に沙織の写真はなかったのだ。
「犯人と明日葉は、揉めてる。きっと何かがあったんだ」
雄三は言った。口にすると、そうに違いないと感じられた。犯人と明日葉との間に、何かがあった。それで明日葉は怒っていた。鬼の形相で、車の中で。
「何かって、何だよ」
「それは分かんねえけど」
悪びれずに言うと、石神は大きく首を振り、ため息をついた。
「危険過ぎるぜ。確かにずっとここにいるわけにはいかねえかもしれねえが、だからってヒョコヒョコ出てっていい状況じゃねえんだ。頭を冷やしてくれ、今はここで静かにしてるんだ」
石神は腰を上げ、雄三の肩を正面から掴んで、言った。その目はまっすぐに雄三を見ている。石神の言う通りだった。状況が落ち着くまで、ここにいた方がいい。
雄三はそして、ズボンの尻ポケットから小さなノートを取り出した。表紙の黒ずんだ、ボロボロの古いノートだ。
「――なんだそれ」
石神が言う。雄三はパラパラとページを開きながら、「親父に渡されたんだ」と答える。
「親父さんに?」
「ああ、やけに大事そうにしまってあった。いや、隠し持ってたって感じだったな」
「何が書いてあるんだよ」
石神がページに視線を落としながら言う。
「それが、よく分からねえんだ。軽く目を通してみたが、誰かの日記みたいな感じだな」
「日記? なんなんだよ」
「さあな。けど、これは今回の事件を解決するキーになるものかもしれねえ。ここ、見てみろよ」
雄三は乱れた筆跡で書かれたある文字列を指差した。
「なんだ?……か、かすお、加州雄?」
「美作だよ」
「え……」
「美作加州雄。もっと詳しく見ないと何とも言えねえが、こいつは多分、美作加州雄宛に書かれた文書だ。日記の体裁をとってはいるが、内容はほとんど、加州雄、つまり美作への謝罪なんだよ」
石神は絶句した。
「とにかく……犯人に会いに行くだなんて、俺は許さねえぞ。尾藤みてえに襲われて、あんた、死んじまうかもしれねえ。相手はもう、人を殺してんだ。殺人犯なんだぞ」
石神は俯いて、呻くように言った。
「石神、俺、知りたいんだ」
雄三が言うと、石神は顔を上げた。
「え?」
「一体何がどうなってんのか、なんで金井建設が狙われてんのか、なんで容疑者なんかにされなきゃなんねえのか、知りたいんだよ。俺このままじゃ、何も知らねえまま逮捕されて、一生ムショの中かも知れねえんだぜ。だから俺は犯人に会う。会って、何が起こってんのか、説明させてやるんだよ」
だから、と石神は眉間に皺を寄せた。
「ダメだつってんだろ、あんた、死ぬかもしれねえんだぞ」
「ああ、そうだな」
「そうだなって、てめえふざけてんのかよ、だいたい雄三さんはいつも一人で勝手に――」
「だから、一緒に来てくれよ」
石神が声を荒げている中、雄三は言った。石神が言葉を切る。
「え?」
「だから、一緒に来てくれねえか。俺一人じゃ無理だ。お前らの力を借りたいんだよ」
「雄三さん……」
「頼むよ、石神。俺を守ってくれ。お前はウチのナンバーツーなんだ。バカで勝手なアタマのために、身体張ってくれねか」
石神はぽかんと口を開けたまま、ゆっくりと視線を移動し、そばに立っていた尾藤の方を見た。尾藤がニヤリと笑い、「やっとウチらしくなってきましたね」と言う。
「お前らが一緒なら、バケモンの一匹や二匹、どうにでもなんだろ」
雄三が言うと、石神の顔が笑い顔に変わった。やれやれといった風に首を振ると、立ち上がった。
「まったく、世話のやけるアタマだぜ」
雄三は頷いて笑った。こんなにも素直に笑えたのは、初めての事かもしれなかった。
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