雄三

 ガレージがある旧市街は、かつては五葉町の中心地として栄えた商店街だった。


 だが、今やその面影は全くない。ゴーストタウンのように、人気はなく、ところどころに放置された廃墟が建っている。営業を続けている店もあるにはあるが、彼らはかつて双名ふたな商店街への移動を拒んだ者たちで、その多くが既に高齢だ。


 ここを再開発する話が持ち上がった事もある。だが、西端にある双名商店街が順調な業績を上げる中で、既に廃れたこの旧市街を開発する事の必要性が見つからず、話が具体的になる前に立ち消えになったのだと傳田が言っていた。


 確かに、こんな町の外れを飛び地的に開発するより、双名商店街を拡大した方がいいに決まっている。まともに働いた経験のない雄三でも、それくらいは分かった。


 それに、雄三たちにとってみれば、旧市街を放っておいてもらえた方が都合がいいのだった。死にかけの爺婆しかいないこの静かな環境を、気に入っていたからだ。


 雄三たちが溜まり場にしているガレージは、金井建設がまだこちら側に会社を構えていた頃、建機の保管用にと建設した丈夫なプレハブである。新社屋である「館」が作られて以降も、数年間はそれまで同様に使われていたらしい。だが、双名商店街の観光事業が本格化した五年ほど前、新しい建機置き場が商店街近くに作られた。このガレージは用なしとなり、放置される事になったのだ。


 その話を聞いた雄三がSCARSの仲間と共に入り込み、勝手に自分達のアジトとしてしまった。金井建設もそれを知っているのだろうが、他でもない雄三のやっている事だ。文句をいう人間はいなかった。


 商店街から戻った雄三は、ガレージのソファに転がった。乱暴な動作でタバコを取り出し、火をつける。石神がやってきて、向かい側に腰を下ろす。


「どうしたんだよ、雄三さん」


 言いながら、冷蔵庫から持ってきたコーラの瓶を差し出してくる。雄三はそれを受け取ると、テーブル代わりにしている木箱の縁にぶつけ、蓋をあける。瓶の先端から霧のようなものが漂う。


「どうしたって、何がだよ」


「だって、変だったぜ。あんな雄三さん久々に見た」


 石神は信用できる男だった。小柄だが腕っ節が強く、勇敢で、それでいて人当たりも良いので、皆に好かれた。SCARSの頭は雄三だが、実際に仲間たちをまとめているのは石神だとも言えた。気まぐれな雄三は、突然フラッといなくなったり、逆に今すぐ集まれと集合をかけたりする。そういう無茶にも、石神が緩衝材となって対応してくれる。


「だってよ、ムカつくだろ、ああいう馬鹿は」


「いや、そりゃそうだよ、ムカつくよ。でも、そういうんじゃなくてよ、雄三さん自身の事っつうか、うまく言えねえけど」


「俺自身の事? 何言ってんだよ」


「観光客相手にキレるなんて、なかったろ。観光客だけは相手にすんなって、雄三さんが自分で言ってんじゃねえか。俺たちも、だから大正市場のあたりにはできるだけ近づかねえようにしてるんだぜ? それをあんた、言ってる本人があんな風にしちゃあ――」


「ウダウダうるせえな、我慢したんだからいいじゃねえか!」


 雄三の声に、周囲で遊んでいた仲間の何人かがこちらを見た。雄三もハッとして口をつぐんだ。気まずくて、冷たく冷えたコーラを飲む。石神は小さくため息をついて、それ以上は何も言ってこなかった。


 しばらく黙ってコーラを飲んだ。重苦しい空気が流れた。どうして自分はこうなのだろう。どうして石神のように、皆とうまくやれないのだろう。自己嫌悪の中で飲むコーラはやけに甘く感じた。


「なあ、雄三さん」


 しばらくすると石神が言った。


 緊張を覚えながら、石神の方を見ずに「なんだよ」と言った。


「腹減らねえ? 何か食いに行こうぜ」


 石神のいつも通りの口調にホッとしながら、一方で、例の劣等感を感じた。


 石神はいつもこうだった。すぐにへそを曲げ、自分から謝る事のできない雄三に、さり気なく助け舟を出す。何も言えずに黙っている雄三の肩に手をポンと叩くと、「ほら、行こうぜ」と出口の方に歩いていった。


 雄三はその背中を見つめた。自分を慕ってくれる、親友。信頼できる仲間。


 本当に? 自分でも勝手だと思いながらも、「仲直り」が済んでしまえば、自分の主張が蘇ってくる。


 ……人の気も知らねえで……


 舌打ちをしてソファから立ち上がる。いずれにせよ石神は、金井雄三ではない。


 金井雄三でいる事の気持ちは、自分にしかわからない。




 雄三たちは、暇を持て余していたンバーを連れて、再び商店街に戻った。その入口を、五葉港方面ではなく、山側に迂回する。商店街の外壁に沿ってぐるりと回った先、大正市場のちょうど真裏にあたる場所に、地元民が愛用する定食屋があった。


 観光客が集まる大正市場が表玄関とするなら、この辺りは勝手口だ。商店街関係者が暮らす低層の集合住宅が並んでおり、業務用品を売る商店やコインランドリーなどがある。いわば商店街のバックヤードであり、その雰囲気も表に比べればどこか暗い。観光客がこちらの方まで来る事はほとんどなかった。


 いつも通り集団で現れた雄三達に、店主は怯えた顔で挨拶をした。忙しい昼の時間にドカドカと大勢でやってくるSCARSを、店主がよく思っているはずはなかった。だが、この辺りにある店には、大なり小なり金井グループの金が入っている。店主はひきつった笑顔を浮かべつつ、雄三たちを一番奥の座敷に案内した。


 日替わり定食を人数分持ってくるように言うと、本来は宴会などに使うその広い座敷で、雄三たちはくつろいだ。寝転がり、タバコをふかし、座布団をミット代わりにして互いのパンチ力を比べる者もいる。


「けど、ザーメンぶちまけられたら気持ち悪ぃじゃねえですか。だからこう、無理やり頭を押さえて……」


 尾藤が、この間の暴走族の話をしている。総長のチンポを無理やりしゃぶらせた、あの件だ。現場に居合わせなかったメンバーが、尾藤の話に爆笑する。尾藤はさらに得意がって、男に咥えられてヨガる総長の顔マネをする。いよいよ笑い声は店全体に響き渡った。ふと気付くと、店主が困った顔をして立っていた。


「あの、雄三さん、すみません……」


 店主は顔が青くなるほど恐縮している。さすがの雄三もその顔に少し同情した。


「ああ、悪いな。すぐ静かにさせっからよ」


「いや、そうではなくて……」


 店主はチラリと入口の方を振り返ると、「実は、団体客が……」と口ごもった。


「団体? 余所のやつか?」


 石神が言って、チラリと雄三を見た。


「え、ええ……そうです。観光の方たちで、どうしても入りたいと仰って」


「別に入れりゃいいじゃねえかよ、客なんだしよ」


「それが……」


 要するに、その団体客を入れるために、座敷の半分を開けてくれという話なのだった。観光客向けの食堂がアホほどあるのに、どうしてわざわざこんなところまでやってくるのか。それほど味がいいわけでもないのに。


「まあ、そういう事もあるか。おい、お前らちょっとこっちに詰めろ」


「すみません雄三さん、せっかくくつろいでらっしゃったのに」


 店主の泣きそうな顔に、雄三は苦笑いするしかなかった。


「しょうがねえよ、観光客が相手じゃよ」


 店主は何度も頭を下げて戻っていった。


 すぐに遠慮のない笑い声が聞こえてきた。会社の旅行なのだろうか、ポロシャツにスラックスという格好のオヤジが十人ほど、ぞろぞろと入ってきた。


「汚い店ですなあ」


 店内をジロジロと観察しながら言って、周囲が笑いながら同調する。


「市場も大した事なかったしねえ。写真じゃほら、築地みたいに見えたのに」


「私は最初から反対だったんですよ、こんな無名の土地を選ぶのはね」


 酒が入っているのか、オヤジたちはひゃひゃひゃと大笑いしながら靴を脱ぎ、大きな足音を立てて畳に上がってくる。用意された席に座ると、先ほどまでの雄三たちのように、壁にもたれたり寝転がったりしながら、煩いお喋りを続けた。席が近いのでその内容が嫌でも耳に入ってくる。


 オヤジたちは五葉町が気に入らなかったらしい。遠かったわりに何もない、料理もうまくないし、店員の態度も気に入らない、景色だって普通だと、言いたい放題だ。この店に来たのも、大正市場で満足できずにウロウロしていたところ、一風変わった定食屋を見つけたので、気まぐれに入ってみたという事らしい。


 この町の観光を仕切っているのは、他でもない金井建設だ。双名商店街に客を集めるために、商店街自体の拡充を進める一方で、様々なレジャー施設も作っている。海岸を海水浴場として整備し、山の一部を開いてパターゴルフ場を開いたし、来年からは高齢者向けの宿泊施設を建てる計画も持ち上がっていると聞いた。


 オヤジたちの止まらない暴言に、雄三の苛立ちも膨らんでいった。


 苛立ち? わからない。雄三はどこかで、金井建設を誰よりも嫌っている。金井丈三の一人息子という立場に、嫌気が差している。


 だが一方で、自分は金井建設や丈三の存在と切っても切れない関係なのだとも分かっている。だから、金井建設を悪く言われるのは、自分を悪く言われるのと同じなのだった。


 オヤジたちは瓶ビールを頼み、まるで宴会の如き騒がしさだ。間仕切りがあって互いの顔が見えなくなっているからか、こちらに遠慮する素振りは全くない。雄三が重く押し黙っているので、他のメンバーもなんとなく気まずそうに黙っている。


 やがて雄三たちの料理が運ばれてきた。日替わり定食は、鶏の唐揚げと塩さばだった。いずれも好物だが、オヤジ達に土地の料理を馬鹿にされたからだろうか、あまり美味そうに見えなかった。


 仲間が黙々と料理を口に運ぶのを見ながら、強い屈辱感を覚えた。


 オヤジたちの席からは相変わらず笑い声が聞こえてくる。一体なぜ、自分はこんな気持ちにならなければならないのだろう。


「クソ……舐めやがって」


 突然雄三は、握っていた箸をバン、と机に叩きつけると、立ち上がった。


「おい、雄三さん」


 石神の声が聞こえたが、足は止まらなかった。座敷を横切り、腹の高さほどの間仕切りを思い切り蹴り飛ばした。それはオヤジたちの方に倒れ、「うわっ、なんだ」という悲鳴が上がる。


「こらオッサン、随分な事言ってくれんじゃねえか」


 突然現れた雄三に、オヤジたちは一様にギョッとした顔をした。だがしばらくして、手前に座っていた比較的若い男が「ふふっ」と馬鹿にしたような笑い声を漏らすと、それが伝染するように雰囲気が緩くなった。


「なんだなんだ」


「ヤンキーですよ、ヤンキー」


 ざわつくオヤジたちの中で、男はニヤニヤと笑いながら雄三を見上げた。


「ええと、あなた何ですか? 我々に何か用ですか?」


「何か用じゃねえんだ、舐めた事ばっか言いやがって」


 顔を近づけて凄んだが、男は怯える素振りを見せず、挑発するように首を鳴らした。


「キミは、地元の人かな? いや、そうなんだろうな。ひと目で分かる」


 男の視線がふっと下り、雄三の足元までを舐めるように見えると、それからゆっくりと上って来た。そしてまた「ふふっ」と笑う。雄三は思わず自分の姿を見下ろした。何が可笑しいのだろう。黒のワイドジーンズに、黒いTシャツ、革のジャケット。SCARSでは皆がこういう服装だ。


「そんな格好、東京の方じゃもう見ないよ。それにその頭、すごいねえ」


 男はそう言って雄三の金髪を指差し、周囲のオヤジたちと笑い合った。


 雄三は男に飛びかかった。だがその時、男が座ったまま器用に蹴りを放った。みぞおちに鋭く突き刺さる。胃を思い切り絞られたような痛みが襲い、雄三は体勢を崩した。いつの間にか後ろに集まっていたSCARSのメンバーが咄嗟に支える。


 見れば男は立ち上がっていた。雄三よりも背が高く、盛り上がった筋肉をまとっていた。尾藤ほどではないが、いいガタイだった。腕に覚えでもあるのか、SCARSの面々を前にしても全く怯む様子を見せず、相変わらずニヤニヤと笑っている。


「野郎……」


 仲間に支えられながら雄三は言った。怒りが巨大な波のように襲ってくる。男は首を傾け、小さくため息をつき、「まあ、そう怒らないでくれよ」と言った。


「どうせ俺たちなんて明日にはいなくなるんだ。聞き流してくれよ、な?」


 男は雄三に近づいて、ポンポンと肩をたたいた。


 気が付くと雄三は再び男に飛びかかっていた。


 ……どいつもこいつも、馬鹿にしやがって……


 全体重をぶつけ男の身体を倒すと、そのまま馬乗りになって拳を放った。振り回す腕がテーブルの上のビール瓶を激しく倒し、料理の乗った皿がひっくり返った。雄三は視界の端に見えたガラス製の灰皿を掴んだ。煙をあげるタバコが置かれていたが、構わず振りかぶり、そして男の鼻めがけ――

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