第83話 挨拶とラルスの成人

 今日は十日に一度の休日で、ギャスパー様に家族皆で挨拶に向かう日だ。朝から家の中で慌ただしく身嗜みを整えて、緊張している様子の皆と商会に向かった。


「レ、レーナ、父さんの格好は変じゃないか?」

「うん、大丈夫だよ。お母さんもお兄ちゃんも。そんなに緊張しなくて良いよ」


 私の言葉にぎこちなく頷いた皆は、何度も深呼吸して緊張を落ち着かせている。


「お、覚えた挨拶を全て忘れそうだわ」

「もし忘れても私がカバーするから。それに昨日は完璧だったんだし、お母さんならできるよ」


 終始そんな調子で路地を進んだ私たちは、しばらく歩いて商会の裏口に到着した。軽くノックをしてドアを開くと、中には商会員が一人だけいる。


「おはようございます」

「あれ、今日は休みじゃなかったっけ?」

「家族とギャスパー様に挨拶に来たんです。約束はしているのですが、急なお客さんとか来てませんか?」

「そうだったんだ。ギャスパー様が対応しなければならないような事態は起きてないから大丈夫だよ」

「それなら良かったです」


 軽く挨拶をして家族皆を中に招待すると、皆は休憩室にあるもの全てが珍しいようで、キョロキョロと部屋の中を見回した。


「色んなものがあるのね」

「ここは休憩室だから、商会員の私物も置かれてたりするんだよ。商会長室は廊下を出て二階だから、さっそく行こうか。店舗に声が響かないように静かにね」

「わ、分かった」


 そうして皆で商会長室に向かって、私が代表してドアをノックし声をかけた。


「ギャスパー様、レーナです。家族を連れてきました」

「入って良いよ」

「ありがとうございます」


 中に入るとギャスパー様がソファーに腰掛けていて、ちょうど家族四人が座れるように椅子が増やされていた。事前に準備してくれてたなんて……ありがたい。


「は、初めまして、レーナの父の、アクセルです」

「母の、ルビナです」

「あ、兄の、ラルスです」


 皆のぎこちない挨拶を聞いたギャスパー様は、にっこりと優しげな笑みを浮かべてソファーを勧めてくれた。そして私たちが席に着くと、そのすぐ後にニナさんがハク茶を持ってきてくれる。


「こちら、ぜひお飲みください」

「あ、ありがとう、ございます」


 皆は人生初のおしゃれなカップに入ったお茶だ。どうやって飲むのが正解なのか分からず戸惑っているようだったので、私が先に手を伸ばして手本を見せた。

 ミルクを少し入れてシュガはスプーンの半分程度。それをよくかき混ぜて口に運ぶ。


 うん、美味しい。最近はこの飲み方か、何も入れないそのままかのどちらかが気に入っている。


 全員がお茶を一口飲んだら、さっそく本題だ。私がお父さんに合図をすると、お父さんは強敵と戦う前のような表情で背筋を伸ばした。


「レーナを雇ってくださり、本当にありがとうございます。おかげで私たちも街中に住むことができるようになりました」

「レーナは毎日とても楽しそうで、ギャスパー様のおかげです。感謝しています」

「ギャスパー様、ありがとうございます」


 三人は昨日から練習していた言葉を言い終えると、ホッとしたように体の力を抜いた。それを見てギャスパー様はゆっくりと口を開く。


「こちらこそレーナには本当に助かっています。レーナが来てくれて、この商会にはとても良い影響がありました。もし街中での生活で何かありましたら、私にできることでしたら助力いたしますので仰ってください」


 ギャスパー様って本当に良い人だよね……私は改めてそれを実感し、これからもっとロペス商会のために頑張ろうと誓った。


「ありがとうございます。その時は頼らせていただきます」


 それから少しギャスパー様と話をして、私たちは商会を後にした。皆は裏口から外に出ると、大きく息を吐き出す。


「やっぱり疲れた?」

「ええ、かなりね。でも凄く良い人だったわね」

「あの人の下で働いてるなら安心だな」

「レーナはいいところで雇ってもらえたんだな」

「そうなんだよ。本当に幸運だったんだ」


 私の言葉に皆が頷いて、家がある方向に向かってとりあえず足を進めたけど、これからの予定は何も決まっていない。

 今はお昼よりも少し早い時間帯だ。今日は皆も仕事を休みにしたし、午後は暇だよね……


「そういえば、お兄ちゃんの成人のお祝いってやってなくない?」


 私がふと思い至ったことを口にすると、お母さんとお父さんが瞳を見開いて驚きを露わにし、そのうち顔色を悪くしていった。

 スラムでは誕生日を正式に認識はしないけれど、誕生月で祝うのだ。お兄ちゃんは今年の土の月で成人の十五歳だけれど、今はすでに土の月になって数週間が経っている。


「わ、忘れてたわ! 引っ越しでバタバタとしてて……」

「ラ、ラルス、ごめんな」

「そういえば俺って成人したのか。俺も忘れてたな」


 お兄ちゃんが発した気の抜けたような言葉に、お父さんとお母さんはガクッと体を傾かせて、しかしなんとか転ばずに留まった。


「それなら良いけど……ちゃんとお祝いをしましょう」

「そうだな。市場でラルスの好きなものを買って帰るか」

「いいのか!?」

「もちろんよ。お母さんとお父さんで少しだけお金を稼げているから、そのお金を使いましょうか。ラルスのお祝いもレーナに頼るなんて、親として情けないもの」

「そうだな。ラルス、なんでも好きなものを買っていいぞ」


 お母さんとお父さんのその言葉に、お兄ちゃんは心からの笑みを浮かべた。


「母さん、父さん、ありがと。レーナもいつもありがとな。よしっ、今日は食べるぞ……!」

「お兄ちゃん、何を買う? お祝いだからいつもはあんまり食べないものが良いんじゃない?」

「そうだな……そういえば、気になってた屋台飯があるんだ」

「おおっ、良いね! じゃあまずはそこに行こうか」


 それから私たちは皆で楽しく市場に向かい、いつもは高くて手を出さない食材や屋台飯、さらには少しの果物を買って家に帰った。

 そして賑やかで楽しいお祝いをして、夜が更けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る