第39話 魔道具工房
次の配達先に向かって歩きながら、私はもう一度大きく息を吐き出した。リーンさんが優しい人で本当に助かったよね……多分ニナさんかギャスパー様が、最初だからってリーンさんのところを選んでくれたのだろう。本当にありがたい。
「それにしても、あのカミュめちゃくちゃ美味しそうだったな」
実はカミュはスラム近くの森の中でもたまに採取できて、私も何度か食べたことがあるのだ。でもさっきのカミュはスラムで食べていたものとは全くの別物だった。スラムのカミュが小指の先ほどの大きさなのに対して、あのカミュは親指の先……いやもっと大きかったのだ。
さらに顔を近づけなくても甘い香りが漂ってきていたし、色も少し違った気がする。スラムのカミュは渋みがかなりあったけど、あのカミュはもっと甘くて美味しいんだろう。
一房で小銀貨二枚なんてとても手が出ないけど、そのうちたまの贅沢としてなら買えるよっていうぐらいの生活ができるようになりたいな。
そのためにも……今は仕事を頑張ろう。私は配達が一軒成功したことで気持ちが軽くなり、さっきまでよりも軽い足取りで次の配達先に向かった。
リーンさんのお店から次の配達先までは、大通りを少しだけ進んで脇道に入り数軒先だ。魔道具工房らしいその建物は、道路から少し奥まったところにありひっそりと目立たない。
「こんにちは。ロペス商会です。ご注文の品をお届けに参りました」
ドアをノックして中に声をかけたけど、何も反応がない。誰もいないのかな……不在連絡用紙を入れておこうか。そう思ったけど一応ともう一度ノックをして、さっきよりも大きな声で中に呼びかけてみると……
「今は手が離せないんだ。鍵は空いてるから中に入ってくれ!」
そんな声が聞こえてきた。良いのかな……そう思いつつ家主が言うならとドアを開けると、そこは生活感のあるリビングのような空間だった。しかしここにも誰もいない。
「こっちまで来てくれ、金はこっちに置いてある」
さらに奥から声が聞こえてきたので、部屋の奥にあるドアを開けると……その先には工房があった。棚や机にたくさんのよく分からない素材? のようなものが雑然と置かれている。
そんな工房の中央にあるテーブルで何かの作業をしているのは、細身で背の高い男性だ。硬めの黒髪を小綺麗に切っていて眼鏡をかけている。清潔感があってカッコいいけど……目つきは鋭く神経質そうな人だな。確か名前はダスティンさん。
「ん? いつもの配達員じゃないのか」
「はい。本日からロペス商会で働くことになりました。レーナと申します。よろしくお願いいたします」
「ああ、よろしくな。すまないがそこにある財布から金を取ってくれるか? 今どうしても手が離せないんだ。片手なら使えるからサインは書こう」
「かしこまりました」
私はよく分からない丸い何かを作っている男性の手元が気になったけど、さすがにどんなものかを聞くのは失礼かと思って目を逸らした。そして鞄から商品を取り出して、注文書も男性の前に掲げるようにして読んでもらう。
「調味料とお肉の配達です。お肉の冷却魔法はあと四半刻程度しか残っていませんので、お気をつけください」
「そうか――『水を司る精霊よ、我々の命の糧となりし食材をルノスの実が溶けるまで、カラレア山の頂上にある精霊湖の表層の温度に冷やし給え』――これで良い」
す、凄い……! 私が全く聞いたことがない言葉のオンパレードである呪文をサラサラっと口にすると、一瞬にして肉が凍った。凍らせるのはかなり冷却魔法が得意じゃないと難しいって、さっきニナさんが言ってたのに。
「今の魔法って……」
「ああ、私は魔法が得意なんだ。ちょっとした伝手で学ぶ機会があって、呪文も色々と知っているから精霊も答えてくれる」
「凄いですね。とっても綺麗でした」
精霊はふわふわと面倒くさそうにというか興味なさそうにというか、そんな感じで魔法を発動してくれるのが普通だと思ってたのに、さっき男性が呪文を唱えたら精霊は凄く張り切って肉の周りをくるくると回っていた。
精霊魔法って得意不得意、勉強してるしてないでこんなに違うんだ。うわぁ……めちゃくちゃ勉強したい。私の人生の目標に精霊魔法を高レベルで習得すること、も追加しよう。
「サインが必要なんだろう?」
「あっ、そうでした。申し訳ございません」
私はさっきの光景と呪文が頭から離れなくて、ぼーっとしていたのを男性の声で我に返った。インクをつけたペンを渡してサインを書いてもらい、財布から男性にも確認してもらいながらお金を受け取る。
「ありがとう。手間をかけさせて悪かったな」
「いえ、これからも手が空いてない時がありましたら、お気軽に中までお呼びください」
私はそう言って軽く頭を下げて、色々と面白そうな工房の中をじっくりと見て回りたい衝動を必死に堪えて、部屋から出ようと後ろを振り返ると……そこに、思わず声を上げてしまうものを見つけた。
「こ、この時計って、普通に売ってるんですか!?」
ちょうど工房への入り口のドアの上に付けられた時計。それに何気なく視線を向けたら、私に貸与された時計と少し違ったのだ。
私が持っている時計の横に、数字が十までしかない小さな時計がついている。そしてその針はチクタクと、瀬名風花の記憶にある秒針とほとんど同じ速度で動いているのだ。さらにちょうどさっき秒針らしきものがてっぺんの十を通った時、それよりも少し短い針が一つ動いた。
もらった時計やジャックさんからの話を聞いた限りだと、この世界には何分や何秒みたいな細かい時間の単位はないと思ってたのに、これを見た限りだともしかしてあるのかも!
「……それは自作の時計だ。他では売っていない」
「そ、そうなんですね……」
まさかの時計を自作とか……凄いね。凄いけどショックだ。この時計があったら凄く便利だと思ったのに。この国では細かい時間は気にしないから、借りられた時計でも問題はないんだけど、やっぱり私は地球で生きてきたから分単位が分からないのが少しストレスだったのだ。
「お前はレーナと言ったか? その時計の意味が分かるのか?」
「えっと……多分ですが、こちらの数字が十までしかない小さい方の時計で短針が一周すると、こちらの一般的な時計の長針が一つ動くのではないかと。絶え間なく動いている小さい方の時計の長針が……何周したら短針が動くのでしょうか?」
「六周だ。小さい方の時計の長針が六周すると一つ短針が動き、小さい方の時計の短針が一周すると、数字が十二まである大きい方の時計の長針が一つ動く」
ということは……もしかして、この世界って約六十秒で一分という、地球とあまり変わらない時間の概念があるんじゃないだろうか。
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