第33話 家族会議
「皆、ここから引っ越すので良いの? ここには友達とか仕事仲間とかたくさんいるでしょ?」
ここまで好意的に受け止めてもらえるなんて思ってなかったので、思わず念を押すようにそう聞くと、皆はすぐに頷いてくれた。
「まあそうだけど、人生に別れはつきものだもの。それに街中からスラムに来ることは可能でしょう?」
「そうだぞレーナ、別れを恐れてたら何もできないぞ」
「結婚して遠くに行ったりしたら、もう会えないのなんてよくあることだしな。それでも会いたい相手なら会いに行けばいいんだ」
そういう価値観なのか……連絡手段が脆弱な環境だからこそ何度も別れを経験してて、それを受け入れる文化になったのかな。
確かに朧げな記憶を思い出してみると、幼い頃に仲良くしてくれた近所のお姉ちゃんとか、結婚で引っ越してからはもうどこにいるのかさえ分からない。
ちょっと寂しいなとも思うけど、仕方がないことだよね。お兄ちゃんの言う通り、本当に仲が良くて別れたくないなら、時間と労力をかけてでも会いに来れば良いのだ。私は街中に引っ越したとしても、エミリーとハイノ……フィルには絶対に会いに来よう。
「そうだよね、皆ありがとう。これからも一緒にいられて嬉しい」
家族皆で引っ越せることが嬉しくて顔を緩めると、皆も優しい笑みを浮かべてくれた。
「お礼を言うのはお母さんよ。レーナのおかげでこれから楽しくなりそうだわ。ありがとう」
「ああ、さすが俺の娘だ。父さんは嬉しいぞ」
「ふふっ、私も嬉しい。じゃあお金を貯めて皆の市民権を買うことにするね。三人の分が貯まったら、皆で一緒に街中に行って役所で買おうか。それまではスラムでこのまま暮らすことになるかな」
「街中に行ける時が楽しみだな! そうだ、街中に行くまでに、何かやっておいた方が良いこととかあるか?」
お兄ちゃんが身を乗り出して、輝く瞳でそう聞いてきた。やっておいた方が良いことはたくさんあるんだけど、その中でも優先順位をつけないとだよね。
「まずは敬語を覚えた方が良いと思う。皆は街中で仕事を探すことになると思うけど、その時に敬語を使えないと良い仕事が選べなくなるよ。あとは街中の常識も身につけないとね。それから……余裕があれば読み書きも。とりあえず自分の名前は書けるようになっておいた方が良いかな」
「色々とやることがあるんだな」
「なんだか楽しいわね」
「新しいことをやるのは楽しいよな。父さんは新しい仕事道具を下ろすのが大好きだったんだ」
なんかそれはまた違う気がするけど……まあ好奇心旺盛な性格って考えたら、共通するところがあるのかな。
「まずは敬語と皆の名前の書き方を教えるから、頑張って覚えてね。私もジャックさんから教えてもらってるところだから、それを皆にも教えるよ」
「おうっ、よろしくな」
「これから皆で頑張るか」
「そうね。頑張りましょうか」
皆がこんなに乗り気で本当に嬉しいな……街中に引っ越して皆が苦労しないように、ちゃんと必要なことを教えられるように頑張ろう。
皆はどういう仕事が良いんだろう。お父さんは木こりをやってたんだから、木工工房とかかな。それか力持ちだから街中の荷運びとか。お母さんは裁縫が上手いから、服飾系の工房を目指したら良いかもしれない。お兄ちゃんはまだ若いから……今からならなんでも選べるよね。
「街中に行けることってハイノたちに話していいのか? それにレーナのことも」
私が街中に引っ越してからのことを考えていたら、お兄ちゃんがそんな現実的な疑問を口にした。確かにそれは重要なことだ。
「どうしましょうか。レーナのことは話すまでもなくバレるわよね。レーナがお店に雇われたことは皆が知っているから、これから街中に通うのならその伝手で市民権を得たことにはすぐ気づくわ」
「それって大丈夫なのか……?」
「うーん、仲良いやつらなら大丈夫だと思うが、それ以外にも広まるってなるとちょっと危険かもしれないな。レーナに街中への伝手を欲して、寄ってくるやつがたくさんいるかもしれない」
うわぁ、やっぱりそうなんだ。まだスラムでしばらく暮らすから、トラブルが起きると嫌だな。私は子供で女で、物理的に襲われた場合はかなり弱いんだよね……
「とりあえず、俺たちが街中に行けるかもしれないことは言わない方が良いな」
「そうね。あくまでもレーナ一人が街中で仕事を得たってだけにした方が良いわ。それでレーナは……スラム街を一人で歩くのは避けた方が良いかもしれないわね。外門とうちの往復は私たちが交代で一緒に行きましょうか」
「そうだな。俺が毎日一緒に行ってやるぞ」
お母さんの一緒にって言葉に、お父さんが真っ先に口を開いて握り拳を作った。凄く乗り気なお父さんに苦笑が浮かんでくるけど、頼もしくてありがたい。お父さんは体が大きいし力持ちだし、お父さんがいて無理を通そうとする人はいないだろう。
「お父さんありがとう。よろしくね」
「おうっ、任せとけ」
「ご近所さんたちにはいつ伝えようかしらね……サビーヌや仲の良い人たちには絶対に挨拶はしたいわ」
「そうだな……少し寂しいが、引っ越し当日の朝に挨拶回りをするか。レーナとラルスもそれで良いか?」
当日の朝か……エミリーやハイノ、フィルは突然のことに驚くよね。でも事前に伝えたら身の危険が増すんだし、仕方ないか。
「私は良いよ。永遠の別れじゃないもんね。お金に余裕ができたらエミリーを街中の家に招待したりもできると思うし」
「そうだな。スラム街は誰でも入れる場所だからな」
それにジャックさんじゃなくなるけど、ロペス商会のスラム街支店はこのまま続くんだし、そこの店主を務める人に頼めばエミリーたちと簡単に連絡が取れるはずだ。引っ越しの日にそのことはちゃんと伝えよう。
「俺もいいぞ。ハイノたちは喜んでくれるはずだ。そもそも俺らの歳はそろそろ結婚して、引っ越すことも多いからな」
「じゃあ当日に知らせて挨拶回りをするので良いわね。それまでは基本的には秘密にして準備を進めましょう」
「おうっ! それで俺はレーナの送り迎えもだな」
そうしてこれからのことについて話し合いを終えた私たちは、全員で家から出て夕食の準備をすることにした。ここでの暮らしも終わりが見えてくると、この不便で汚すぎる調理場もドブ臭い匂いもボロすぎる家も、なんとなく手放すのが惜しい気がしてくるから不思議だ。
――いや、それは気のせいかも。
その日の夕食は密かなお祝いということで、焼きポーツにたっぷりのソルをかけて皆で食べた。街中で食べたご飯と比べたら凄く味気ない料理だけど、家族皆と食べたことでとても美味しいご飯だった。
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