第29話 役所へ
昼食を食べ終わってロペス商会の本店に戻った私たちは、ギャスパー様と合流してさっそく役所に向かうことになった。私が緊張しないようにと、ジャックさんも一緒に来てくれるようだ。
役所に向かうには歩きじゃなくて車に乗って行くようで、私は初めてリューカ車に乗る。
「どうぞ、先に乗って良いよ」
「ありがとうございます。失礼いたします……!」
初めて乗るリューカ車の中は思っていたよりも広かった。さらに席にはクッションが使われていて、座り心地も良い。レーナになって初めての乗り物だよ。なんだかテンション上がる!
レーナが乗ったことあるものなんて……小さい頃に洗濯用の大きな桶に乗って、お父さんが引っ張ってくれた時ぐらいかな。
「ジャックさんは乗ったことあるの?」
意外にも落ち着いているジャックさんに小声でそう尋ねると、ジャックさんは首を縦に振った。
「仕事で何度かな」
「そうなんだ」
ジャックさんってスラム街の支店で働いていて、さらに自分で下っ端って言ってたからそれを信じてたけど、意外と信用されてるよね。スラム街支店って有能な新人に任せるお店とかなんじゃないのかな。いくらスラム街だって一つのお店なんだし。
「動くよ。少し揺れるから気をつけて」
そうして動き出したリューカ車は……予想以上に揺れなかった。もちろん日本で乗っていた自動車と比べたら揺れるけど、手すりがないと座ってられないとか、揺れて座席から放り出されるとかそんなことはない。
窓から街の様子を見てみると、スラム街とは全く違う街並みに何度見ても気分が上がる。壁一枚隔てただけでここまで変わるんだから凄いよね……
「レーナには道も覚えてもらわないといけないね。うちの商会は配達もあるから」
「そうなのですね。道順を示したような紙……みたいなものはあるのでしょうか?」
「地図のことかい? 簡易なものなら手に入るよ」
地図っていうのか。地図地図……うん、覚えた。私は心の中で地図という単語を繰り返して、頭の中にインプットした。日本語でならたくさんの言葉を知ってるのに、この国の言葉でなんと言えば良いのか分からないから大変だ。
「それは見せていただけるのでしょうか」
「もちろん。最初は地図の見方を教わることになるはずだよ。それで配達は地図を見ながらになる。そのうち覚えたら見なくても行けるようになるだろうけど。ジャックもしばらくスラムにいたから道順を忘れてないかい?」
「そうですね……私も覚え直します」
「それが良いよ」
ギャスパー様は私達を見て満足そうに頷いた。ギャスパー様ってやる気があって有能な人にはこうして優しいけど、多分やる気がなかったり能力が足りなかったりする人には厳しいんだろうな……特にやる気がない人はバッサリ切り捨てそうだ。
「役所はどこにあるのでしょうか?」
「そこまで遠くないよ。第二地区もいくつもの地区に分かれているんだけど、その地区ごとにあるからね。そろそろ見えてきたんじゃないかい?」
そう言ってギャスパー様が指差した窓の外を見てみると、そこにはかなり立派な建物があった。五階建てぐらいに見える、縦に長い建物だ。
「大きいですね」
「そうかな……まあ高さはあるね。でも王都の中では横に大きい建物ほどお金がかかるから立派だと言われるんだ。だから役所を見ると、国が平民街の建物は予算を少なくしたのかなって思うよ」
へぇ……そうなんだ。確かに横に大きいほうがたくさん土地を使ってるから、その分お金がかかるのか。こういう外壁に囲まれた街は土地が貴重だろうし。面白い価値観だね。
「貴族様の家は横に広いのでしょうか?」
「貴族様が住むのは家というよりも屋敷って言うよ。そうだね……貴族様の屋敷は建物どころか庭もかなり広くて、高位の貴族様になると敷地内でリューカ車が必要なほどだよ」
うわぁ、やっぱりそういう感じなんだ。貴族が無駄に使ってる土地を私達スラムの人間にくれれば、スラム街がそっくりそのまま街中に入れるんじゃないのかな。
「凄いんですね」
「そうだね。……そろそろ着くよ。降りる準備をしようか」
それから数十秒でリューカ車は完全に止まって、私達は車から降りて役所の中に入った。役所の中はあまり広くなかったけど、綺麗で居心地が良い空間だ。
入ってすぐのところにある受付に向かうと、受付の女性がにこやかに話しかけてくれた。
「本日はどのような御用でしょうか」
「今日は市民権を買いたくてきたんだ。この子が本人で私が保証人だよ」
「かしこまりました。市民権のご購入には金貨一枚のお支払いが必要ですがよろしいでしょうか?」
「もちろん」
ギャスパー様が頷いたのを見て、受付の女性は一枚の紙を取り出してカウンターの上に載せた。
「こちらにご記入をお願いいたします。ご本人様がご記入できないようでしたら保証人様が、それも難しければ私が代筆いたします」
「私が書くから大丈夫だよ。ありがとう」
ギャスパー様の優しい笑みに、受付の女性は少し顔を赤くした。そういえば今まで余裕がなくて思わなかったけど、ギャスパー様って普通に顔が整ってるよね。ジャックさんとは全然かっこよさの部類が違って……優しい風貌のふんわりイケメンって感じだ。
でもそんな容姿とは裏腹に、ギャスパー様はかなり厳しい人だと思う。今まで話してる感じからして、優しい笑顔でクビを告げるような人だ……多分。
「これで良いかな?」
「はい、ありがとうございます。市民権の発行までに半刻ほどかかりますので、また半刻後にお越しください」
「半刻後だね。その間に市民権の肌への直接印字をお願いすることはできるかい?」
「追加で銀貨一枚かかりますがよろしいでしょうか?」
「構わないよ」
「かしこまりました。ではお受けいたします」
それから新たな書類にギャスパー様が色々と記入をして、私は三階の部屋に連れて行かれることになった。付き添いでジャックさんが来てくれることになったけど、直接印字するなんてかなり緊張だ。
「あの、直接印字するのって痛いですか?」
「いえ、痛みはありませんよ。少し冷たい程度です」
「熱いのではなく冷たいのですか?」
「そうですよ」
私が思い浮かぶ原理とは全く違う方法で印字されるんだね……それなら本当に痛くないかも。私はほっとして体の力を抜いた。
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