第26話 レーナの仕事

 話が一段落したところでギャスパー様がお茶を口にして、カップをテーブルに置いてからまた口を開いた。私はそんなギャスパー様の様子を優雅だなぁと感心して見ながら、少し崩れた体勢を戻す。


「明日からやってもらうレーナの仕事なんだけど、ジャックがやっているスラム街支店じゃなくて、本店の方で働いて欲しいと思ってるんだ」

「……それは、ここに通うということでしょうか?」

「そうなるね。基本的にはここで毎日働いてもらいたい。今考えてるのは五の鐘から八の鐘までの本店勤務だよ。スラムから通うとなると通勤に時間がかかるだろうから、他の従業員よりは勤務時間を短くしてある。その分だけ給料が他の人より下がるけど、そこは理解してもらえるとありがたいかな」


 まさかこれから毎日街に通うことになるのか……市民権を買ってもらえるのなら、たまには街中に呼ばれることもあるのかなと期待してはいたけど、基本的にはスラムのお店で働き続けるのだと思っていた。嬉しいけど、それよりも驚きが勝る。


 最初に街に呼ばれた時は筆算のことで少し話を聞きたいのかな……ぐらいに思ってたのに、凄いことになってるよ。でもそれほど私の能力に期待してくれてるってことだよね。ここは頑張りどころだ。ギャスパー様の期待に応えられるように頑張ろう。


「勤務時間が短いのならば給料が減るのは当然だと思います。私に期待してくださってありがとうございます」

「理解してくれてありがとう。それだけの能力をレーナが見せてくれたんだから、それこそ当然だよ」


 ギャスパー様はそう言ってにっこりと笑みを浮かべた。この人って他人を身分で決めつけたりしないで能力を見てくれて、本当に良い商会長だよね。


「じゃあ次にレーナの仕事についてだけど、まず一番にやって欲しいのは筆算の授業なんだ。あれは店の従業員全員に身に付けさせたいと思ってる。それから帳簿の計算確認の仕事もこなして欲しい。あとはいろんな雑用かな」

「筆算の授業……かしこまりました。精一杯務めさせていただきます」


 私が驚きながらも受け入れて頭を下げると、ギャスパー様は「良い返事だ」と笑みを浮かべてくれた。

 筆算の授業とか上手くできる気がしないけど……頑張るしかないよね。とにかくうちに帰ったら、日本で受けた算数の授業で習ったことをできる限り思い出してみよう。


「制服や時計など正式な商会員に支給しているものは、レーナにも準備でき次第渡すよ。それから給料は十日ごとに手渡しなんだけど、レーナは十日で銀貨五枚になると思う」

「え、十日で銀貨五枚!?」


 私は思わずギャスパー様の言葉を遮って、驚きの声を上げてしまった。だって銀貨五枚だ、それは驚くよ。たった十日で銀貨五枚とか……スラム街では絶対にあり得ない大金だ。やっぱり街中の商会は全然違う。


「不満かな?」

「い、いえ、そんなことはありません。逆にそんなにもらって良いのかと驚いてしまって」

「そういうことか。それなら心配はいらないよ。これでもかなり安い方だから」


 これで安い方とか、お父さんが朝から晩まで働いて稼ぐ金額を思うと涙が出てきそうだ。


「では、ありがたくいただきます」

「そうして欲しい。お金をスラム街に持ち帰るのが不安なら、商会での管理もできるから覚えておいて。ただその場合は、一度に引き出せるのが金貨三枚までになるけれど。そうだ、あと商会員には鍵付きのロッカーが貸し出されるから、そこにお金を入れておくのもありだと思うよ。その辺は自分が納得できる方法にして欲しい」


 確かにスラム街に銀貨五枚も持ち帰れないよね……怖くて肌身離さず持ってないとだし、それだと自分が襲われそうで怖いし。

 うちには……十日で小銀貨一枚ぐらいを持ち帰る程度にしておこうかな。突然うちだけお金持ちになっちゃったら、ご近所さんとの関係が上手くいかなくなるかもしれない。


「では最初はロッカーを使わせていただきます。後で管理を頼むことになるかもしれませんが、その時はよろしくお願いいたします」

「もちろん。その時は私にでも他の従業員にでも伝えてくれれば良いよ。そうだ、ジャックにも話があるんだ。ジャックも本店勤務に異動になるからそのつもりでいてね。最近新人も入ったことだし、レーナが働くのに慣れてる人がいたほうが良いだろうから」

「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」


 ジャックさんはギャスパー様の言葉を聞いて嬉しそうに立ち上がった。私もジャックさんの昇進が嬉しくて自然と笑顔になる。これからも一緒に働けるのは心強いし嬉しいな。


「ジャックさん、これからもよろしくね」

「ああ、よろしくな。レーナのおかげだ、ありがとう!」

「ジャックのこれからの仕事についてはまた後で伝えるよ。他に話すことはあったかな……そうだ、仕事を休みたい時は前日までに言ってもらえるとありがたい。当日に急病や急用ができた時は仕方がないけど、できる限りは伝えて欲しい。そうだな……ここまで来られなかったら、スラム街支店の商会員に伝えるのでも良いよ。ジャックの代わりに配属される者については後で紹介するから」


 確かにスマホがないんだから連絡だってできないよね。私は日本で働き始めた時にはすでに一人一台スマホを持ってる時代だったから、働くのに連絡手段がないというのが凄く不便に感じる。


「できる限り前日に伝えるようにします」

「うん、そうして欲しい。じゃあ最後にあと一つ、うちの商会はまだ新しくて従業員のための寮がないんだ。だから皆には各自で部屋を借りてもらってる。レーナももし街中に住みたいと考えたら自分で探してもらうことになってしまうけど、一応私からいくつか物件を紹介はできるから声をかけて欲しい」

「……私って、街中に住めるんですか?」


 思わぬ話に上手く頭が働かなくて、ポツリとそう質問を口にするとギャスパー様は頷いた。


「もちろん。市民権があれば部屋を借りることはできるよ。でもそうだね……レーナの給料じゃ借りられる部屋は限定されるかな。もし街中に住みたいようなら、給料を増やすために勤務時間を増やす相談にも乗るからね」

「はい。……あの、何から何まで本当にありがとうございます」

「レーナはもう正式にうちに雇われてるんだから当然だよ。何か質問はあるかい?」


 そう言って少し首を傾げたギャスパー様を見て、まだ街中に住めるという衝撃から立ち直りきれていない私は、働かない頭で考えてスッと一つだけ浮かんだ疑問を口にした。

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