第24話 正式雇用
ギャスパー様は私と視線を合わせてにっこり微笑むと、ゆっくりと口を開いた。
「では改めて、私はロペス商会の商会長をしているギャスパーと言う。今日はここまで来てくれてありがとう。これからよろしくね」
「よろしくお願いいたします」
目上の相手に正式な挨拶をするときは頭を下げることもあると聞いていたので、座りながらだけど深く頭を下げると、ギャスパー様は優しい笑みを浮かべていた表情を少しだけ崩した。驚いてる……みたいだ。
「本当に礼儀正しいな。ジャックが教えたのかい?」
「そうです。ただ私はレーナに質問されたら答えていたぐらいで、後は教材を渡したらレーナが一人で学んでいました。それにレーナは一度教えたことはすぐに覚えてしまうので、私はそこまで役に立っていたのかどうか……」
なんかそう聞くと、私がものすごい神童みたいじゃない? 私はそんなんじゃないのに……ただ二十六歳まで生きた記憶があるから他の子供より落ち着いていて、さらには日本でずっと学んできたから学ぶということに慣れてるだけなのだ。
このままだと十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人ってなりそうだよ。今の私は十歳だし、まさにこの言葉通りだ。
「計算以外にも才能があるのか、凄いな」
「いえ、あの……まぐれというかなんというか。私は他の皆よりも成長が早いみたい、です」
「いや、それだけでここまではできないよ。スラムに生まれて今ここにいるだけでかなり異端だからね」
まあ確かにそうだよね……スラムに住んでる人たちはそもそもスラムから出ようなんて考えないし。ずっと親の仕事や家の仕事を手伝って、近所の人と結婚して今度はその家で実家でやっていた仕事をするのだ。そうして一生を暮らすことに疑問を持っている人はほとんどいない。
「……私は、変でしょうか?」
「いや、普通からは外れているけど変とは少し違うかな。才能がある人は往々にして普通からは外れているものだからね。私はそういう人にこそ可能性があると思うんだ」
「ありがとう、ございます」
そんなに褒められると恥ずかしいなと思って照れながらお礼を言うと、ギャスパー様は笑みを浮かべてから少し体勢を崩した。
「そんなに緊張しないで楽にしてくれて良いよ。そうだ、お茶も出さずに悪かったね。お茶とお菓子を運ばせよう」
ギャスパー様がそう言って机の上に乗っていた鐘を鳴らすと、少しして部屋の中に一人の男性が入ってくる。
「何の御用でしょうか?」
「レーナとジャックにお茶とお菓子を頼むよ。私はお茶だけで良いかな」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
……お茶とお菓子を持って来てとかそういう話かな。やっぱりまだまだ分からない単語が多すぎて困る。スラム街での生活だと決まりきった言葉しか使わないから、知ってる語彙がかなり限定されてるんだよね。
「さて、お茶を待っている間に話を続けよう。今日レーナをここに呼んだのは、筆算についてジャックから聞いたからなんだ。あれは本当に素晴らしいものだと思う。研究として発表すれば国から声が掛かるほどだよ」
「国から……そんなに凄いことだとは思っていませんでした」
ただの筆算がそんなに驚かれるなんて、この国には元々筆算がないのか、一般市民には広まっていないのかどっちなんだろう。
普通に考えたら後者だけど……。
「私も詳しくは知らないんだけれど、算術と呼ばれる学問があるんだ。その中に似たようなものはあるけれど、もっと複雑だったはずだよ。少なくともジャックから少し話を聞いて、すぐに理解できたレーナの方法よりは確実に」
ということは、一応筆算はあるけど誰でも使えるように研究はされてないってことなのかな。
「とにかく、あの筆算を一人で生み出してしまうのは本当に凄い。そこで私としては、レーナほどの才能の持ち主は正式に雇いたいと思ってるんだ。今のレーナとの契約は一年更新の臨時契約のようなものなんだけど、ちゃんと商会員として雇いたいと思ってる。もちろんジャックたちと同じだけの給料も支払うよ」
私はその言葉を聞いて、一瞬内容を理解できなかった。まさか正式に雇いたいなんて……まだ子供の私にここまで言ってくれるなんて思わなかったのだ。
「私はスラムの人間ですが、良いのでしょうか。市民権も持っていませんが……」
「そう。だからレーナを雇うのに合わせて市民権も買おうと思ってる」
「え、市民権って買えるんですか!?」
「そうだよ。知らなかったのかい? 金貨一枚と市民権を持つ保証人がいれば買えるんだ。保証人には私がなるし、お金も私が出そう。――何でここまでするのかって不思議に思うだろうから正直に話すけど、今回レーナと出会ったことでスラム街の人材に興味を持ったんだ。そこでロペス商会としては、これからスラムから優秀な人材を拾ってくる事業を始めようかと思っている。そのためにまずはレーナで色々と試してみたいんだ。上手くいくのか、スラム街の人間を雇うとどんなデメリットがあるのか、その辺を検証したいからね」
そういうことか……それなら善意でって言われるよりも信用できるけど、私はスラム街の中で確実に唯一無二の異端だけど良いのだろうか。私で上手くいったとしても他の人で上手くいくとは思えないんだけど。
でもこの事業が進めば、スラムに住む皆の将来の選択肢が広まるかもしれないよね。それなら協力したい。それにスラムに優秀な人材が眠ってるっていうのは真実だと思うし。頭の良さは努力や幼少期からの環境もあるけど、やっぱり生まれ持ったものが大きいと思うから。
「あの、ありがとうございます。商会員としてこれから頑張ろうと思います。よろしくお願いします!」
「良い返事だ。すぐに受け入れてもらえて良かったよ」
「いえ、こちらこそ市民権まで買っていただけるなんて、本当にありがとうございます」
「街中に入るたびにお金払うのも大変だし、街中で働くには市民権が必要だからね」
市民権ってジャックさんはカードみたいなやつを見せてたけど、私も同じやつかな。無くしたり取られたりしないように気をつけないと……市民権を使って街中に入ってるのを目撃されたら、スラム街で危ないよね。
私がその心配を口にしようとしたところで、部屋の扉が外側からノックされた。そしてギャスパー様の入室許可を告げる言葉の一拍後に、部屋の扉が開かれる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます