木立の陰に座る子供は
伊島糸雨
木立の陰に座る子供は
木立の陰に座る子供が私に気付いて手を振った。束の間迷い、わずかに視線を上げて胸の前で中途半端に開いた手を揺らす。彼女は笑みでもって満足の意を示すと、またあてどなく宙を見つめた。何があるでもない。名前のよくわからない木が並び、空はうんざりするほど清々しい青をしている。私は土地に詳しくないから、仔細な説明は難しい。固有名詞を欠いた事物は大きな分類の他を受け付けない。あるいは私が密かに同定を拒絶しているのかもしれないと思うが、だからどうしたという以上の感想を持つことはない。
庭を臨むテラス席には、錆の浮いた小さな円卓がひとつおかれている。元は真白く上等であったはずの品だが、今や椅子はひっくり返り、風化の思うままにみすぼらしさを増している。しかしわざわざこんなところで家具の新調などしたいはずもなく、私は過去の遺物をへっぴり腰で元に起こし、きしきしと音を立てるままに背中を預けた。崩れたときには不運を呪おう。怠惰の代償としては、安いものだ。
里帰りは極めて憂鬱で、誰もいないとわかりきった家はあまりに広く、なんだかぞっとする趣がある。公共交通機関が機能しているのがせめての救いで、しかし近隣のコンビニは遥か遠い。誰が望んでこんなところに来るものかと何度毒づいたか知れないが、誰も望まなかった結果私が遣されたことを思えば余計に気持ちは重くなった。ひびの浮いたアスファルトは見慣れたはずがよそよそしく、無邪気に手を振る子供の心理も私にはいまいち理解できない。元より可愛げのない少女だったが、成長が老いに変じて以降は、ただの陰鬱な女でしかない。滅入るほどの気がどこから来るのかと、時々不思議に思っている。
秋には稲穂が色づく片田舎にぽつりと残る洋風屋敷は、幼少期を家族と共に過ごした場所だ。各々手前勝手に離散した後となっては思い出以上に枷の印象が勝り、二人の姉が揃いも揃って仮病を宣うのも理解できる。私はそのあたり頭の巡りが遅く、言い訳を考えている間に道を断たれていた。父母はすでに亡く、遺産あるいは負債として残された物件の処理には皆困り果て、次第に考えるのが面倒になり、放置した結果が現在であるのは言い訳のしようがない怠慢の成果である。ツケが回ったと言えばそれまでであり、そこまで検討を先延ばしにさせるこんな家がよくないのだと責任転嫁しようにも聞き手がいないから困っている。いつしか何もかも鬱陶しくなり、だからこそ渋々ながらも私が来た。別に何をしようというわけでもない。ひと月ほどじっと過ごせばそれでよく、それだけとはいえWi-Fiも何もないことには今のところ不満しかない。ぼんやりと庭を眺めては眠る日々には早々に飽きが回ってくる。いつの間にか木立の陰には子供が居つき、私と同じようにどこぞを阿呆のように見つめている。
起源のほどは定かではなく、語られるほどにも知られていない。およそ庭にいるだけであり、時々で仕様はころころ変わる。話さず動かず手を振り返せば無邪気に喜ぶ。そればかりの些末なものと聞かされている。しかしながら、私も姉も子供の面倒など真っ平御免のたちであり、好悪云々以前に機能として向いていない。適合を装うことは殊更上手くやってのけるが、子供は賢いのですぐに泣く。どんぐりの背比べならまだましで、足を引っ張りあいながら貧乏くじを押し付け合うのだから余計にたちが悪い。もちろん多くの人は水面下の蹴落とし合いなど知る由もなく、力負けを繰り返す私の心情など測りようもない。おかげさまでこんな体たらくであり、やはり責任転嫁の行き先もなく、掲げた手は力なく落としている。
同居人のいるひとり暮らしは退屈と憂鬱に支配されて、縄でも括れば首でも突っ込みたくなる悲惨な様相を呈している。慰めはなく、誰も屋敷に近寄らないので、光の乏しい陰に埋れて眠気を飼いならす日々が続く。繰り返しめくる同じ題の古本は、ページの黄ばみも早くに馴染み、最初からそこにあったような佇まいを醸し出す。暗示のように同じ言葉の同じ一文の積み重ねを往復するうち、徐々に具体性は失われて額縁はどろどろと溶け出していく。一度見た景色の再生産は効率がいい。継ぎ接ぎ使い回して行けば良いので、思考のノイズを挟むこともない。しかしそれも日常になるまでのことで、いつしかうんざりして投げ出したくなる時がくる。一冊を抱え続けるには、ひと月はいささか長すぎる。もちろんこれは私の感性なので、異議を受け付けるつもりは毛頭ない。
木立の陰に座る子供は、そうした倦怠によく似ている。真新しかった現象も、再演を重ねるうちに自身すら固有名詞を失って、ぼんやりとした歯車による名も無い寓話に成り果てる。季節の移ろいが削り取った記憶や時間の確度は存在しない亡霊に似て、境界も曖昧な水面に石を放った結果だけが目蓋の裏で光に変わる。きしきしと揺れる椅子の上から空模様の百面相を収めるうちに、変化の余地なく固着した側溝にへばり付く澱のような花の姿も浮かび上がる。雨に烟る庭の先で手を振られ、私は胸の前で中途半端に開いた手を揺らす。返事と容認は相互の作用で不均衡に成り立っている。だからそれはおそらくそのような類のもので、昔日を思えば共感にも満たない馬鹿げた感想程度は出てくるものだった。苔むした石が囲む小池に吐瀉物で波紋を生めば、濁った鏡面に女が映る。陰鬱な女も、こうなってくると終末じみて不気味だった。時折洗面台の鏡に見たものはどこへ来ても追いかけてくる。それはきっと私が恐ろしく遅いからであり、であればどこにも行かないものは私より遥かに遅いと言えなくもない。子供はいつまでも家にいるものだ。いつまでもそうしていると信じているか、それが当たり前だと決められている。巨大な法則とかそんな類のロクでもない代物に制御され、静止するほど緩慢に在る。彼女は満足の意を示すと、私のことを見つめている。
永遠に等しいひと月を終えても何かが変わることはない。手を振られれば胸元で半端に手を揺らす。黄ばんだページは色を保ち、錆びた椅子はきしきしと鳴る。去り際、洋風屋敷を顧みると子供がひとり佇んでいる。私は彼女に気付いて手を振ると、返事を待たずに背を向ける。その時の表情を私は知らない。再びどこかで貧乏くじを引かない限り、二度とここへ来ることもない。
木立の陰に座る子供の顔を私は知らない。忘れてしまったという責任転嫁は、今のところ有効性を示さずにいる。
木立の陰に座る子供は 伊島糸雨 @shiu_itoh
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