8話 変化していく日常【Side:花穂】

29 不機嫌な彼

「最近、好み変わった?」

「なぜそう思うの」

 いつも通り窓枠に腕をかけ車外を眺めていた奏斗に問われ、花穂は質問に質問で返す。

「だってこれ、ラブソングなんじゃないの?」

と彼。

「そうね」

 花穂は同意を示したもののそれ以上の言葉を発しなかった。

 すると、『それだけ?』と言うように彼がこちらを見る。

 どんな答えを期待していたというのか。

 一つため息をつくと、

「どういった心境の変化」

と少し不機嫌な声。


──なんで不機嫌なのよ。


「恋してるときは恋の歌が聴きたくなるものでしょ」

 無難な返答をしたつもりだった。

「じゃあ以前は社会に不満を感じていたわけだ」

 相変わらず不機嫌そうな声でそう零すと彼は再び窓の外に視線を向ける。

 さすがに花穂もその態度には腹がたった。手近な店に向かってハンドルを切る。

 奏斗が驚いたように花穂の方を見つめた。


「何が気に入らないの?」

 駐車場に車を停めるとエンジンを切り、シートベルトを外しながら奏斗の方に目を向ける。

「別に」

「ねえ、奏斗。言ってくれなきゃわからない。わたしだって努力してるの」

 だが彼は口を噤んだまま、視線を背け何も言おうとしない。

 素っ気ない態度が気に入らないならそう言えばいいのだ。それなのに彼はいつだって、こう。言いたいことの1パーセントでも言葉にしているのかと問いたくなる。


「そう。わかった、そういう態度なの」

 花穂は彼の座席の下に手を差し入れシートを倒すと、彼に覆いかぶさった。

「え? ……ちょっ」

 花穂の意外な行動にたじろぐ彼。

 気にせずそのまま唇を重ねる。これがご機嫌取りではないことをわからせるために、彼の中心部に手を滑らせる。

「待った。マジでやめて」

「じゃあ、言って」

 彼が降参だと言うように、軽く両手をあげた。

 花穂はムッとしながら奏斗から離れ、運転席に戻る。

「いくらなんでも、こんなとこで」

 ”どこ触ってんだよ、バカ”と呟く彼は涙目だ。


「俺は帰りたい」

「わかってる」

 それはホテルを出る前から言っていたことだ。監視されていると知った今、すんなり帰れるわけがないのに。それについては説明不足だったと痛感していた。

 彼は外が苦手というわけではないが、慣れない場所が苦手だということは花穂も知っている。

 早く帰って落ち着きたいという意なのかと思っていると、

「帰って、イチャイチャしたい」

と彼。

「え?」

 奏斗の言葉に花穂は彼を二度見した。

「え、ってなんだよ」

「そんなこと、今まで一度も言ったことないじゃない!」

「言えって言ったの、そっちだろ」

 ”どこに向かってんだよ、これ”と彼は再び不機嫌そうに問う。


「待ってよ。今すごく重要なこと言ったわよね?」

「は?」

「イチャイチャしたいって言った」

「言ったけど……なんでそんな食いつくんだよ」

 奏斗は苦笑いしながらも、不思議そうに花穂を見つめている。

「だって、奏斗がそんなこというなんて」

 そこで彼は口元に拳を近づけ、可笑しそうに笑う。

「花穂は俺のこと、どんな奴だと思っているわけ?」

 ”結構ベタベタしているはずなのに”と。


「だって、あまり言葉にしないし」

「言葉より行動」

 そこで彼はシートに身を沈めると、腕を組んで前を見つめた。曲に合わせて小さく歌を口ずさんでいる

 奏斗は花穂のかけている曲をすぐに覚えてしまう。記憶力がいいのか、それとも音感が良いのかはわからないが。


 確かにベタベタするのは好きなようだが、甘い言葉をそうそう口にしない奏斗。もっとも、花穂が知っているのは『美月愛美』と別れてからの彼。

 元は違ったのかもしれないと感じることはあった。

 以前の彼がどんなだったのか、非常に興味がある。

 言葉より行動などとは言っているが、きっと花穂の知らない彼が存在しているのだろう。そう思うと少し悔しい。


「俺さ」

「う……うん?」

 考え事をしていた為、少し反応が遅れてしまう。

「変化に弱いんだよね」

「変化?」

「女房の好みが変わったら浮気を疑えって……」

「はい?」

 いつの間にかスマホの画面を見つめている奏斗。

「代表的なのはメイク、香水、音楽の趣味とか」

「ちょ、ちょっと何見てるのよ。浮気なんてしてないし!」


──なによ、不機嫌の原因それ?!

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