10 理想と現実の差異

 考えることを放棄しても現実はなんら変わらない。そんなことはわかっているつもりだ。

 古川が用があると言って先に帰ると、

「で、大丈夫なのか?」

と大崎圭一に問われた。

 正直、大丈夫だったためしは一度もない。だが、大丈夫かと聞かれたら大丈夫と答えるものなのだ。

 大丈夫ではないと言うには勇気がいる。


 圭一は古川の車で来たと言うので、店を出た二人はドライブがてらに夜景の見える丘に来ていた。

 月明かりのもと、街の灯りが見下ろせる静かな場所。

 手すりに腰掛けていた圭一は、両手をズボンに突っ込み立ち尽くす奏斗にチラリと視線を移した。

「大丈夫……なわけ、ないか」

 これが古川の気遣いだということには気づいている。圭一は忙しい人だ。その上、無口な方。

 思うことがあったとしても、自分から奏斗を誘うことはしない。それでも奏斗の話し相手として彼が適任であると古川が判断し、こんな風に二人で話せるように場を設けたということなのだ。


「古川はイイヤツだな」

 奏斗が苦笑し肩をすくめると、圭一が一瞬驚いた表情をしたのち、嫌な顔をする。

「俺にとっては嫌なやつだ」

と、圭一。

 それは奏斗を押し付けたからかと思ったが、

「一人で人気を独占しやがる。俺の弟も早々に懐いたしな」

 彼には確か三つ下の弟がいた。溺愛しているという噂を聞いたことはあるが、懐いたくらいで友人を敵視するのはいかがなものかと思う。


「今、心の狭いやつだと思ったろ」

と圭一。

「いや、別に」

 普段は無口だが、二人きりになると饒舌になる者は意外と多いものだ。圭一もその部類だなと奏斗は思っていた。

「嘘が下手だな、白石」

「そうかな」

 奏斗は笑みを浮かべると街に目をやる。


「白石は……受け身というわけでもないのに、押しには弱いよな」

 三股かけている原因の話だろうか?

「なんで、そんなことになってるんだ?」

 聞いたところで、何もできないだろうがと圭一は付け加えて。

「長くなるよ」

「気にするな、暇人だから」

 お前の辞書に暇なんて言葉、ないだろと思いながらも奏斗はその言葉に甘えることにした。


 発端はどこにあったのだろうか?

 自分には高等部時代、塾で出逢った恋人がいた。

 ロングのストレートの黒髪、色白の美少女。清楚系というのだろうか。一見大人しそうに見える彼女のハッキリとした物言い、凛とした姿に惚れた。

 自分でも凄く強引だったと思う。何もしないという約束でおつき合いを承諾してもらった。遊んでいるように見える奏斗は、信用がなかったのだ。

 だが彼女とはケンカ別れしてしまう。

 これが運命の分かれ道だったに違いない。


──愛美に対しては、いつだって自信がなかった。別れたその後も好きでいてくれるなんて、奇跡としか言いようがない。


「馬鹿だったんだよ」

 彼女『美月愛美』の存在が自分の中でこんなに大きかったとは。

 二度と会えなくても愛しぬく、それくらいの気持ちがあればこんな事にはならなかったのに。

「寂しがり屋なんじゃないのか?」

 圭一にそう言われ、軽く唇を噛む奏斗。一人の人を十年も愛し続けて結ばれた圭一には、どう転んでも敵いっこない。


「好きな人の為に全てを差し出す、自己犠牲の愛。それ自体は悪いとは思わないが」

 その後、自分を騙そうとしていた相手に惚れ、その人のために自分を犠牲にしたつもりだった。

 割り切った関係だと思っていたのに。

「好き……なんじゃないのか? 引きずるってことは、さ」

「そう、なのかな」

 愛美との未来を思い描いていた自分。現実には別れることとなり他の人と体を重ねた。

 そんな自分が許せないでいる。許すことが出来ないまま愛美と再会。

 結果、ややこしい事態に陥った。


「俺が思うに、白石は『美月さん』に理想を押しつけているんじゃないのかと思う」

 つき合い方も含めて、と彼は言う。

「その理想にハマらない自分に苦悩して、逃げてる」

 圭一の言うことは正しいと思う。

「自暴自棄になるのは良くない」

 だが、何もかもが手遅れなのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る