11 不誠実という現実は

「人は誰しも多少、理想くらいは持つ」

 そう切り出した圭一の言葉を奏斗は黙って聞いていた。


 他人を肯定出来る人というのは、それなりに色んな経験を積んだ者。経験の少ない者は、世界が狭いゆえに否定しがちだ。


「白石は他人にも自分にも高い理想を持っている。けれど自分の理想すら叶えることが出来なかったってことなんだろ」

 圭一の言葉を肯定するように、奏斗は地面に視線を落とした。


「人は誰しも葛藤するものだ」

 手すりに腰掛けていた圭一は足を組み替えて。

「白石は『美月愛美』に対し、一途でいたいと願った。でも、別れたことで忘れなければならなくなった」


 愛美と同じ大学になるのも、再会するのも『別れた時点』では想定外。

 好きでいたい自分と、忘れなければならない現実との間で葛藤していた。

 確かにその通りだと思う。


「死別という形だけなんだよな。思い続けることを美しいと受け入れて貰えるのは」

 圭一の父は最愛の人を事故で喪っている。

「だが、死が別つ愛なんてものは残酷なだけだ。ロマンチックでもなければ、美しくもない」

 父の苦しみを間近で見てきたからの言葉なのだろうか?

 この世に美しい別れなんてきっと存在しない。悲しみに暮れ、身も心もボロボロになるような辛い別れ、それが現実というものだ。

 あとは自分の問題。心の整理ができるかどうかだけ。


「再会するってわかっていたなら、他の人と恋愛なんてしなかったのに。そう、思っているんだろう?」

 的を得た言葉。

「そう、だな」

 否定などできない。


「美月愛美以外と関係を持ったことに対しては後悔しかないのか?」

 別れていたのだ。裏切ってしまったと思う必要なんてないのに。

「こんなこと聞くのはあれだが……良くなかった?」

 普段は踏み込んだことを言わない圭一。今は必要だと判断したからこそそんなことを問うのだろう。


「良かったよ、とても」

 確かに後悔はしている。だがそれとこれは別。

「なら、罪悪感なのか? 良いと思ってしまったことへの」

 自分でもわからない心の奥深く。

 彼は絡まった糸をゆっくりと解いてゆく。

「それもあるとは思う」


 勘違いをし奏斗を罠にはめようと画策していた、楠和馬。

 初めはそんな彼をうっとおしいと思っていたのに、いつの間にか惹かれていた自分。

 彼が好きだったのは新米教師。二人は両想いにも関わらず、すれ違っていた。


──お節介なんてせずに、奪えば良かった。なのに、なんで俺は……。


 和馬にとって義姉の花穂。

 彼女の最初のターゲットは和馬。

 奏斗も新米教師も和馬が姉から性的な虐待を受けていると誤解していた。

 新米教師は花穂の大学一年時の先輩。


 花穂は彼に交際を申し込んだものの、雑に断られ恥をかいたことで彼を恨んでいた。

 新米教師は愛した者の代わりを花穂に申し出る。それが何故、自分にお鉢が回ってきたのか。


「どうして『楠花穂』を引きずってるんだ?」

 不思議に思われても仕方ない。別れたことで開放されたと感じたとしても、引きずるのは変なのだから。

 好きでつきあったわけじゃない。

 それなのに。


「楽しかったんだよ」 

 確かに好きから始まったわけではなかった。

 いや。だからこそ、気楽だったのだ。好かれようとする必要がないから。いつだってナチュラルな自分でいられた。

 飾らない自分。気を使うことのない関係。


 正直、拍子抜けしたのだ。もっと束縛され、振り回されると思っていたから。

 花穂は奏斗にとって初めての女性でもある。相性は良かったと思ってはいるが、彼女がどう感じているのかは、わからない。


「今はどうなんだよ」

「今は……」

「友人なんだろう? それ以上でもあるようだが」

 奏斗は、圭一の言葉に口を噤んだ。

「そういうことをしなければならない友人関係なんて、長くは続かないぞ」

「わかってる」

「自分が一体誰とどうなりたいのか、冷静に考えたほうがいい」


 三股状態をモテると称するヤツはクレイジーだと思う。単に優柔不断で不誠実なだけなのだ。

 それは理想から程遠い自分。

 気が触れそうなほど、嫌気がさす。

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