災厄の娘は、涙を流す。

 はたして、グラントは約束を果たした。一年後の同じ時期、災厄の娘の前に姿を現したのだ。

 娘は、まず彼に押し花を見せた。グラントは花びらを大切にしてくれていたことについて、丁寧に礼を述べた。

 その時、彼は西国にある変わった滝の話をして、去る時には土産をまた置いていった。災厄の娘にとって大切な物がまた増えた。

 次の年もその次の年も、グラントは現れる。

 後者の際、災厄の娘はグラントが来る前に風邪をひいてしまい寝込んでいたのだが、その辛さが招いた感情が原因で、国を小規模の地震が襲った。

 幸い大きな被害は出なかったが、グラントもその地震を体験した。

 彼は、娘のせいだと知っても態度を変えなかった。災厄の娘のことを恐れようとはしない。それどころか娘の体調を心配した。

 その年、グラントは一日だけでなく見舞いも兼ねて三日間、娘の所を訪れた。娘はそれがとても嬉しかった。


 そしてまた次の年。娘はグラントが来る時期が近づくと、その日が来たところですぐに終わることに気づき、悲しくなってしまった。

 するとそのせいか、天候が良いのにも関わらず、国中の作物が突如生育しなくなった。娘が心を鎮めようとしても上手く行かず、結局、多くの作物の実りがその年は期待できそうになかった。

 常に災厄に備えている国だから、備蓄でその年は乗り越えられるとのことだったが、自分のせいで人々が苦しむことに娘は心を痛めた。

 彼に会うのはもう止めたほうがいいのかもしれないと彼女は思ったが、言えなかった。彼に会えなくなる。それは嫌だった。

 娘はいつの間にか、彼に恋をしていた。


 その日、いつものように娘のいる礼拝堂を去ったグラントを、従者が呼び止めた。


「あなたが来ることを災厄の娘は楽しみにしています」

「そのようですね、とても光栄です」

「ですが、もう来ないでいただきたい」


 従者の言葉に、グラントは大きく目を見開く。


「なぜ。俺、何かしましたか」

「あなたとの時間がすぐに終わることへの悲しみが、不作を招いたのかもしれない。あなたが来る前、娘がそう言っていました。おかげで今年、この国の者は厳しい生活を強いられます」

「それなら、もっと頻繁に来ましょうか。よく考えると、一年に一回じゃないといけない決まりはないですよね」


 彼の言葉に、従者は語気を強めた。


「それは解決になりません。結局、あなたがいない時が生まれます。あなたとの時間がすぐに終わることを娘は悲しんでいるのですから、あなたが全く来なくなれば娘が悩むこともなくなるはず。今のままでは、毎年私たちは災厄に遭うことになる」

「俺が来なくなれば、それはそれで彼女は悲しむのではないですか?」

「そうかもしれません。しかし、この国には他にも旅人は訪れます。時が経てばあなたのことも忘れ、悲しむこともなくなり災厄も止むはず」


 グラントは考えるように、娘のいる礼拝堂を見つめる。


「可哀そうですね、こんな……。あの子、良い子ですよ。俺を、いつも笑顔で迎えてくれて、いつも嬉しそうに話を聞いてくれて。なのにこんな」

「彼女は災厄の娘ですから。あなたは外の人ですからわからないのかもしれませんが、本人はよく理解していると思いますよ」


 深い息をグラントは吐いた。やがて覚悟を決めるように強く息を吸うと、従者にこう言い放った。


「申し出はよくわかりました。ただ、別れも言っていないのに俺が来なくなっては、彼女はかなり心を乱すのではありませんか? 来年、別れを言ってからの方が、国への影響も少ないと思うんですけど」

「今、別れを言っていただいても構いませんが」

「また会う約束をしてきたのに? 今から戻って取り消せと? 彼女がどう思うか、何が起こるか、俺は知りませんよ」


 従者は、反論を言いかけてやめる。彼の言うことにも一理あると思ったのだろう。


「わかりました。来年で終わらせてください」

「はい。来年で終わらせます」


 グラントはしっかりと答えると、そこから足早に去っていく。

 災厄の娘もその様子を窓から見ていたが、そんなことを話しているとは少しも思わなかった。次の年のことを、早くも考え始めていた。






 そうして次の年がやってきた。災厄の娘とグラントが出会ってから、丁度五年経つ。その年は娘がどうにか心を落ち着かせ、作物の不作は昨年ほど酷くならずにすんだ。

 いつものように待っていた災厄の娘は、彼が来ると扉の近くまで出迎える。いつからかそうするようになっていた。

 グラントは入ってくると、椅子に座ろうとせずに立ち止まった。従者もすぐには外に出ないで、グラントに話をするよう促した。

 災厄の娘が不思議そうな顔をしていると、グラントは緊張した面持ちで告げる。


「いつもの話をする前に、一つだけいいかな」


 そのまま鞄から何かを取り出すと、彼女に向かってひざまずいた。

 赤と白の羽で飾られた紐が結われている、美しい花だ。花も赤と白の花びらが四つずつあり、先の方はの色に染まった色へ変化している。木で作られた見事な花の細工だ。

 災厄の娘が、貰った押し花を見ながら何度も何度も思い描いた花がそこにある。


「これを君に捧げます」


 そして、グラントがそれを渡す意味が、娘には言わずともわかる。

 災厄の娘は、何かを言おうとして言えなかった。満面の笑みを浮かべると涙を流す。止めようとしても止まらない。


「どうして嬉しいのに涙が出るの?」


 泣いてはいけないという思いから、涙を止めようとするもののやはり止まらない。次から次へと溢れてくる。

 娘が泣き出して最初は驚いていたグラントは、娘の言葉を聞いて笑みを浮かべた。


「きっと、器に水を入れ過ぎたら溢れるように、嬉しいっていう感情も心から溢れて流れ出ることがあるんだ。君は嬉しいからこそ泣いてるんだと思う」


 彼の言う通りだった。

 これまでどんな負の感情を抱えることはあっても、泣くことだけは決してしないようにしていたから、娘が泣いたのは本当に久しぶりのことだ。


「でもどうして? あなたは旅人なのに、それに私は災厄の娘よ」

「留まる所を探していると言っただろう? ここに決めたよ、君の隣。俺は君の笑顔が好きだから、そのことに君が災厄の娘であることは関係ない」


 そこまで言ってから、照れ隠しのようにグラントはこう付け加える。


「それに、こうすれば、旅の話が他の人と被らないかどうか、もう気にせずにすむしね」

「そんなこと気にしてたの? 私は……、あなたに会えるというだけで嬉しかったわ」


 涙であるためか、何か災厄が起こる兆しは今のところ見られない。

 従者は外の様子を気にしながら、立ち上がったグラントに近づいた。花の意味は分からずとも、二人の会話で察したようだ。


「私はあなたにこんなことを頼んだ覚えはありません。本気ですか」

「本気です。あなたも言ったでしょう。俺がいない時間が生まれるのならば意味がないと。こうすれば、彼女が別れを惜しむこともなくなる」

「彼女は災厄の娘です。添い遂げると誓えるのですか」

「誓います、生涯をかけて彼女に誓いますとも」


 グラントは従者に外に出るよう手で示した。従者はすぐに行こうとはせず、


「よく話し合って下さい。後でもう一度お聞きいたします」


 それだけ言い残すと、ようやく外に出ていった。


「今年も綺麗な花が咲いたの?」


 災厄の娘は涙を拭いながら、不意に尋ねた。


「今年は、この花が夜明けに咲く年でしょう?」

「うん、見てきたよ。この花が咲くのを見てから、君に結婚を申し込みたくて。本当は本物を渡したかったんだけど、花がもたなくてね」

「いいの、私にとってはこれが本物の花だわ」


 娘は、大切そうに花に触れる。


「本当にいいの? 一緒にいたら、あなたは、私が招く災厄に巻き込まれるかもしれないのよ。私の家がかつてなくなったように。歴代の娘が全員、一人で生きたのはそのためでもある」

「君が悲しみで泣くことがないように、俺が努力する。君のことを、初めて孤独に生きなかった災厄の娘にするよ」


 迷いがない即答だった。グラントの言葉を聞いて、もう一度泣きそうになるのを娘はこらえる。


「ありがとう、私はあなたの申し出を受けます」


 深々と頭を下げながら、娘が了承の言葉を言うと、グラントはほっとしたように息を吐いた。


「こちらこそ、ありがとうございます」


 グラントも深く頭を下げる。それから同時に頭を上げると、二人はどちらからともなく微笑んだ。


「そうだ。グラント、あなたが前に言っていた、ちょっと悪いことをした、というのを教えてもらえない? 結婚するんですもの。あなたのことをもっと知りたい」

「あったな、そんなことも」


 グラントは懐かしむように答えてから、真剣な表情を浮かべる。


「いいよ。君ももう立派な大人だ。今日はその話をしよう。それから、君も君の話をしてくれるかな。いつも俺ばかり話しているから、俺も君のことをもっと知りたい」

「はい」

 

 五年経ち、目を見張るほどに美しい女性になった娘は頷いた。垂らしたままの長い黒髪が、ゆっくりと揺れる。

 娘は花を机に置いてから、席に座った。いつものように、彼はその反対側に座る。

 二人は丸机を挟んで話し始めた。いつもと違って、それは外の国の話ではなく彼と彼女についての話で。どれだけ言葉が交わされても、途絶えそうにない。

 その日は夜遅くまで、会話が続けられた。



 それからというもの、その国では天候や作物の実りが悪い時に、災厄の娘が悲しんでいるのだとか、娘が怒っているのだとか、そんなことは段々言わなくなっていった。

 代わりに、今日は娘が夫婦喧嘩をしてねているのだと、冗談を交えて話すようになった。


 少なくとも、大きな災厄が起こることは数十年もの間なかったと、その代の災厄の娘は死ぬ時まで孤独ではなかったと、そう語り継がれているという。





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夜明けの花が咲く年に、災厄の娘は涙を流した。 泡沫 希生 @uta-hope

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