三
いよいよ学校へ出た。初めて教場へはいって高い所へ乗った時は、なんだか変だった。講釈をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思った。生徒はやかましい。時々ずぬけた大きな声で先生と言う。先生にはこたえた。今まで物理学校で毎日先生先生と呼びつけていたが、先生と呼ぶのと、呼ばれるのは
二時間目に白墨を持って控え所を出た時にはなんだか敵地へ乗り込むような気がした。教場へ出ると今度の組はまえより大きなやつばかりである。おれは江戸っ子で
三時間目も、四時間目も昼過ぎの一時間も大同小異であった。最初の日に出た級は、いずれも少々ずつ失敗した。教師ははたで見るほど楽じゃないと思った。授業はひととおりすんだが、まだ帰れない、三時までぽつねんとして待ってなくてはならん。三時になると、受持級の生徒が自分の教室を
それからうちへ帰ってくると、宿の亭主がお茶を入れましょうと言ってやって来る。お茶を入れると言うからごちそうをするのかと思うと、おれの茶を遠慮なく入れて自分が飲むのだ。この様子では留守中もかってにお茶を入れましょうを一人で履行しているかもしれない。亭主が言うには手前は書画骨董がすきで、とうとうこんな商売をないないで始めるようになりました。あなたもお見受けもうすところ、だいぶ御風流でいらっしゃるらしい。ちと道楽にお始めなすってはいかがですと、とんでもない勧誘をやる。二年まえある人の使いに帝国ホテルへ行った時は
それから毎日毎日学校へ出ては規則どおり働く、毎日毎日帰ってくると主人がお茶を入れましょうと出てくる。一週間ばかりしたら学校の様子もひととおりはのみこめたし、宿の夫婦の人物もたいがいはわかった。ほかの教師に聞いてみると、辞令を受けて一週間から一か月ぐらいのあいだは自分の評判がいいだろうか、わるいだろうか非常に気にかかるそうであるが、おれはいっこうそんな感じはしなかった。教場でおりおりしくじると、その時だけはやな心持ちだが三十分ばかり立つときれいに消えてしまう。おれは何事によらず長く心配しようと思っても心配ができない男だ。教場のしくじりが生徒にどんな影響を与えて、その影響が校長や教頭にどんな反応を呈するかまるでむとんじゃくであった。おれはまえにいうとおりあまり度胸のすわった男ではないのだが、思いきりはすこぶるいい人間である。この学校がいけなければすぐどっかへ行く覚悟でいたから、狸も赤シャツも、ちっとも恐ろしくはなかった。まして教場の小僧どもなんかには愛嬌もお世辞も使う気になれなかった。学校はそれでいいのだが下宿のほうはそうはいかなかった。亭主が茶を飲みに来るだけなら我慢もするが、いろいろなものを持ってくる。はじめに持ってきたのはなんでも印材で、十ばかり並べておいて、みんなで三円なら安い物だお買いなさいと言う。
そのうち学校もいやになった。ある日の晩
翌日、何の気もなく教場へはいると、黒板いっぱいぐらいな大きな字で、天麩羅先生とかいてある。おれの顔を見てみんなわあと笑った。おれはばかばかしいから、天麩羅を食っちゃおかしいかと聞いた。すると生徒の一人が、しかし四杯は過ぎるぞな、もし、と言った。四杯食おうがおれの銭でおれが食うのに文句があるもんかと、さっさと講義をすまして控え所へ帰って来た。十分たって次の教場へ出ると一つ天麩羅四杯なり。ただし笑うべからず。と黒板にかいてある。さっきはべつに腹もたたなかったが今度はしゃくにさわった。冗談も度を過ごせばいたずらだ。
天麩羅蕎麦もうちへ帰って、一晩寝たらそんなに
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