ついてる二人

ながワサビ64

第1話



 

 窓際の席から、桜も枯れた皐月の空をぼんやりと眺める。

 学校なんていつぶりだろう。

 階層が上がり、クラスメイトも変わっていた。

 初々しかった皆の制服には一年分のシワが刻まれ、顔立ちもどこか大人びたように思える。

 綺麗なままの制服に身を包む私。

 私の世界は変わらないままだ。


「影野さん久しぶりだね!」


 声をかけてくれたのは前年同じクラスだった伊藤君だ。

 何かと気にかけてくれるし、優しい。頼りにもなる。

 けど……。


「……」


 軽く会釈し、再び外へと視線を向けた。

 伊藤君の気配はしばらくそこにあったが、気まずくなり立ち去ったようだった。


「(お前影野さんに声掛けるって勇者かよ)」

「(高嶺の花を眺めとくだけなんて勿体無いだろ!)」

「(影野さんやっぱカンジ悪いよね)」

「(昔は明るかったんだけどね……)」


 逃げるように思考の海へと意識を落とすと、周囲の音が遠ざかっていった。

 意外にも休学していた私に声をかけてくれる人が多く、優しい人の多いクラスになれて幸運だと思う。

 でも、私は差し出された手を取る勇気がない。自分の殻に閉じこもるばかり。


 だって仕方ないじゃない。

 私と一緒にいると皆が不幸になる・・・・・


「いだッ!?」


 短い悲鳴を上げたのは伊藤君だった。

 右手を抑えながらうずくまる拍子、ぽたたと滴る鮮血に周りはどよめき声に包まれる。

 悶絶する様に唸り、のたうち回る彼の指の爪が――剥がれていた。

 ああ、明らかに酷く・・なっている。


「ごめんなさい」


 誰にも聞こえないように呟きながら、私は小走りで扉へと向かう。

 やっぱり家にいた方がよかった。

 授業前だけど早退しよう――。


 ガラガラと、扉が開かれる音が響く。

 ふわりと一陣の風が私の頬を掠めて消える。

 耳元で懐かしい鳴き声が聞こえた気がした。


「おい」


 不意にかけられた声に視線を向けると、見上げるほど背の高い金髪の青年が、つまらなそうな顔で見下ろしていた。


「逃げてもなんも解決にならねぇよ」

「……はい?」


 まるでこちらの胸の内を見透かすような物言いだった。

 疑問の波が押し寄せ、うまく言語化できない私に青年は冷めた口調でこう告げた。


「お前、ついてるな」

 




 我が校の屋上は封鎖されている。

 先生達は手すりの老朽化のためだと言っていたけど、昔に生徒が飛び降り自殺しており、るからじゃないかという説が有力だ。

 封鎖された屋上に繋がる階段――ここが最も、人の往来がない場所ということになる。


「……影野真希です」


 はじめまして、と私は言った。


「日向ユウ


 青年はそれだけ言ってポケットに手を入れた。

 優しげな顔立ちで、深い青の瞳が印象的。

 耳にはピアス、首元に入れ墨が見えていた。


「ついてるってどういう意味ですか?」


 エコーがかかったように反響する私の声。

 ツいてる? むしろ不幸体質なんですけど。

 日向君は私ではない何かを見つめながら、面倒そうにため息を吐いた。


「そのままの意味だよ。明らかにヤバい奴が憑いてる」


 幸運ツいてるじゃなく憑いてるんだ……。


「でもどうしてそんなことが分かるんですか……?」

「説明が面倒くさい。ただ視えるからとだけ言っておく。普段こんな風に無償で働かないんだけど今回は特別」


 だよな? と、今度は何もない足元に声をかけている。

 かなり胡散臭いし怖い。

 私の体質を考慮して人気のない場所に連れてきたけど、むしろ一番危ないのは私かもしれない。


 そもそも視えるって何?

 じゃあ! と、私は屋上の扉を指差した。


「ここで亡くなった子の霊も視えるんですか!?」


 封鎖の真相も分かるから、という安易な考えの私に対し、日向君は実に真剣な表情で扉の先を凝視した。

 そして。


「そんな人いないけど?」

 

 じっくり観察し、本当に〝いなかったぞ〟と言わんばかりの表情でこちらに向き直る。


「え、でも……」

「ここで死んだ奴がいたとしても、想う場所が別にあるなら、ここには何も残らないからな」

「亡くなった場所こそ、もっとも未練が残る場所ではないんですか?」

「じゃあ仮に旅行先で事故死したとして、死後好きな場所に飛んでいけるとしたら、慣れ親しんだ実家に帰るのが自然じゃないか? まぁ殺人だと怨みが絡むからまた変わってくるけどな……」


 心の奥を見透かすようなその青の瞳から、反射的に視線を逸らしてしまう。

 しかし不思議だ。

 たったひと言やり取りしただけの伊藤君はあんな目にあったのに、この人には不幸が起こっていない。

 霊視はさておいても、彼はコレに抗う力があるという事実。

 彼の力が本物だとしたら。彼の言うことが本当だとしたら――そう理解した途端、急に恐怖が襲ってきた。


「お前に憑いているのは生き霊だよ」

「いき……りょう……」


 急に足の力が抜け、その場にへたり込む。

 私の中で起こる異変の〝原因〟を言い当てられ、悪寒と冷や汗が止まらない。


 不幸が始まったのは一年近く前。

 ことの始まりは、弟の自動車事故だ。


 私が学校に行っていた日のこと。

 両親が目を離した隙に、幼い弟が車道へ飛び出し、事故に遭った。

 助けに入ってくれた男性と、飼い犬のクロのお陰で弟は無傷――しかし男性はひどい怪我を負い、クロは現場で息を引き取った。

 数週間後、お父様の会社が火事になった。

 幸いそれは大事にならなかったけど、連日の災難に皆、憔悴していたのを覚えてる。

 

 ほどなくして、私の身の回りだけで妙なことが起き始める。

 物が落ちてくる、叩く音がするなどは序の口で、人に怪我させることもあった。

 いくら調べても原因がわからない。

 厄払いをしても効果はなかった。

 私は学校に通うのをやめた。


『これから1年、部屋を出ずに過ごしなさい』


 有名な霊媒師さんを頼り、それに従った。

 部屋に物を置かないようにして、勉強だけは続けながら、部屋から出ない生活を1年間続けた。

「これでもう大丈夫だ」とお墨付きをいただき、今日これが初めての登校日だった。


 不幸体質のほうがまだ可愛いものだ。

 まさかこれが生き霊の仕業だなんて。


「生きてる人間の強い執着心が生み出す分身のようなモノ。ただコイツの執着は類を見ないな。周囲に干渉するくらい強い」

「……どうすればいいですか?」

「だから言ってるだろ」


 そう言って、手を差し伸べてくる日向君。

 僅かに微笑む彼の顔はどこか輝いて見えた。


「今回は特別だって」


 今までとは違う。直感がそう告げる。

 原因も分からないまま悩み、半ば諦めていた。

 差し伸べられた手は払ってきた――でも、でもこの手だけは掴んでいいんだよね。

 気まぐれで登校したのも、この出会いの為だったのかもしれない。





 昼下がりの車道沿い、私達はコンビニで買ったおにぎりを頬張りながら帰路に着いていた。


「学校をサボって食べるおにぎりは格別ですね!」

「……お前、妙に明るくなったな」

「私は元来こういう性格なんです!」


 皆が授業を受けている時間に、通学路を制服姿で歩くこの背徳感。

 これは普段家に引き篭もっている私には味わえないものである。


「まだ何も解決してないんだぞ」

「でも原因が分かっただけでも一歩前進じゃないですか? やられたい放題だった前より全然マシですよ」

「それもそうか……」

「それにしても生き霊の主にアテがあるって、そんなところまで視ることができるんですか?」

「いや、視ることできない。でもまぁそのうち見つかる」

「ふぅん」


 よく分からないが、この人が本当に凄い霊能者だってことは分かった。

 とはいえ、私に生き霊を飛ばしている本人に会うというのは正直恐ろしい。

 話し合いで解決するものだろうか。


「生き霊かぁ……」


 私に執着する人間、か。

 私、というより私達・・ということなら確かに心当たりが――


「えっ」


 気がつくと私は車道に投げ出されていた。

 正面には大型トラック。

 けたたましいクラクションの音が間延びしていく様な感覚と共に、過去の体験が頭の中を駆け巡る。

 走馬灯というやつだ。


 ギイイイイという不気味な悲鳴が轟き、ぐいっと、今度は歩道側に引き込まれる。

 クラクションを轟かせながら駆け抜けるトラックと後続車が過ぎ去る音。

 周囲の喧騒に混ざり、確かに今、犬の鳴き声が聞こえた。


「今度は間に合ったな」


 何かを撫でながら微笑む日向君の瞳を見て、私はようやく全てを理解する。彼の見つめる先、薄らと見えるその姿は、紛れもなく私達が飼っていた愛犬――クロだった。

 



 

 妙なモノが見えるようになったのは、件の交通事故の後からだ。


 学校を早退し、ぼんやりと空を見上げながら帰路についていた時のこと。道路の真ん中を歩く幼児と、歩道へ引っ張る犬を見つけた。

 考えるよりも先に体が動く。

 迫る自動車。子供に気付いてないのか、スピードを緩める気配がない。

 子供を左、犬を右脇に抱えた刹那――俺は自動車に撥ねられた。

 そのまま病院に運ばれ緊急手術。

 数ヶ月、生死の境を彷徨っていたらしい。


「傷は残るが、じき歩けるようになるよ」


 医者曰く、命に別状はないとのこと。

 ただ、俺の体には右肩から胸へとかけて大きな傷ができていた。一生残る傷らしい。


「本当にありがとうございました」


 幸い子供に怪我はなく、俺が目覚めたその日のうちに子供の家族がやってきた。

 俺はミイラの様な包帯姿のまま感謝の言葉を受けた。

 姉だろうか、憔悴した顔の少女が分厚い封筒を持って前に出る。


「これ、少ないですが……」

「金、いらない、葬式、してやれ」


 呂律の回らない口でそう伝えると、少女は声をあげて泣きだした。

 子供は無傷、俺は重症。勇敢なあの犬は――助からなかった。

 俺が子供だけを抱えれば、自力で逃げられたのではと考えてしまう。

 犬が挟まったことで衝撃が軽減されたのかもしれない。

 結果として、犬の犠牲によって俺達の命は救われたのだ。

 しかし――。


「お前、誰にも、見えてない、のか」


 疑問に答える様に黒い犬が元気に鳴く。

 事故の唯一の死者である黒犬。

 俺はその〝霊〟が、見える様になっていた。


「お前なんで俺のほうに来てるんだ?」


 リハビリ生活が始まって2ヶ月も経つと、顔の傷らしい傷は治り、会話もできるようになっていた。

 右手の握力はまだ戻らないが、歩行もなんとかなっている。

 困っているのはこの犬だ。

 俺の足元には未だに犬が付き纏っている。

 ベルジアン・シェパード・ドッグ。

 賢く勇敢で、大型犬に分類される。

 被毛の違いによって4種に分けられるそうで、こいつは黒色かつ毛が長い。

 名前はクロというらしい。

 これらは全て〝本人〟から教わっている。


「妙なことになったな……」


 会話はできないが、クロが思っていることが直接伝わってくる。

 賢く勇敢を自称している割には、お腹すいただとか、散歩したいだとかの願望垂れ流しだ。

 互いに意思疎通ができるのは、本人曰く〝事故の時に魂が混ざったから〟らしい。

 どこぞの名前を言ってはいけないあの人みたいな設定だが、おかげで夕刻のチャイムへの遠吠えや寝言、夢を見て走るなど、煩すぎてまともに寝れやしない。

 クロが俺の元を離れないのは彼なりの償いのようだ。

 なかなか恩義に熱い男だ。

 といっても俺になんのメリットもない。

 まあ相手は動物だし諦めるしかないな。

 病院食に肉か魚が出ると、クロは嬉しそうにくるくる回る。

 ヨシをすると喰らいつく。

 物がなくなることはないが、食べてみると妙に味気ない。料理のエネルギーだけ摂取しているのかもしれない――。


「なんだアレ?」


 静かに雨が降る、ある夜のことだ。

 病室の前にぼんやり光る人が立っていた。病院服に杖付き姿の老人は、つい先日死んだと聞いた別病室のじいさんにソックリだった。

 

 



「クロ……!」


 一瞬見えた愛犬の姿を目で追った。

 そこには日向君が立っているばかりで、クロを見つけることはできなかった。


「死に近付くと、死に近い存在を見ることがある。刹那の風景というやつだ」


 カラカラと笑う日向君――間違いない、彼こそ私の弟を命懸けで救ってくれたあの男性だ。

 なぜ恩人の顔を今の今まで忘れていたのか。

 滝の様に押し寄せる罪悪感、後悔。

 涙が溢れ、謝罪の言葉がうまく口をついて出ない。


「私、わたしぃ……」

「あの時は包帯ぐるぐるで覚えてないのも無理ねーよ。面会を断ってたのも、こいつが寂しそうにしている姿を見るのが辛かったからだ」


 そう言って日向君は足元の何かを撫でた。

 そこにいるんだ、クロが。


「なんで霊が視えるかって聞いたよな。説明してやるよ、俺とコイツに起こったことを――」


 それから、私は日向君から入院中に起こった不思議な出来事を聞いた。日向君がクロを可愛がってくれている事実に、また涙が溢れた。

 寝言がうるさいところ、夢見て走るところ、食いしん坊なところ、生前のクロと何ひとつ変わらない。


「世界は偶然が溢れてる。それは誰かが起こしてる必然だという説がある。お前の不幸体質が生き霊によって起こされた必然だったように、俺達と出会ったのも必然なのかもな」


 優しい言葉に涙がこぼれる。

 ひと通りの説明を終えると、日向君は真剣な表情で私の近くを睨み付けた。


「お前に憑いてる生き霊は俺達とも因縁がある」


 はっと、声が漏れた。


「まさか……」

「クロが嗅ぎつけたみたいだな。もう生き霊はいないから安全だけど、来るか?」


 無言で頷く私に、日向君は優しく微笑んだ。

 

 



 幾重にも重なる機械とパイプ。

 子供の頃はあれが滑り台に見えたが、実際に運んでいるのは子供ではなく溶けた鉄である。


 町外れの製鉄所にその男は勤めていた。

 職場の待遇に不満があり、幾度か上司と揉めたことがある。「俺は影野グループの課長だった男だぞ」というのが口論の際の決まり文句だったそうだ。


「その腕じゃクビだな。犬にでも噛まれたのか?」

「あぁ? 誰だテメェ。まさかテメェのしわざかぁ?」


 俺の言葉に、右腕を摩りながら恨めしそうに睨む男。そして影野を見つけるなり、邪悪な笑みをたたえた。


「真希ちゃん、久しぶりだなぁ」

「ッ!」

「そんな怖い顔すんなよ。まだ何もしてないんだから」

「とぼけないでよ! 亮太を殺そうとしたくせに! 会社に火をつけようとしたのも貴方なんでしょ!」


 ククッ、と笑う男。


「憶測でモノを言っちゃいけねえよ。俺が轢いたのは他所のガキと犬だけだぜ? 放火だぁ? 証拠はあんのか? 名誉毀損で訴えんぞ?」


 怒りのあまり涙を流す影野。

 間を割って入る形で俺は前に立つ。


「いい歳こいて高校生に付きまとう奴に、最初から名誉なんてないだろ」

「あぁ? だから誰なんだテメェはよ!?」

「過失運転致傷罪により禁錮8ヶ月、執行猶予3年の刑。放火は証拠不十分につき不起訴――影野一家に明確な殺意があるのに裁かれないっておかしいよな」


 影野の父がこの男を解雇したことがそもそもの始まりだ。

 逆上した男は、自分を解雇した本人ではなく最も大切な物を奪おうと考えた。

 影野真希の弟、亮太を轢き殺そうとするも失敗。会社に放火を図るも失敗する。そして影野真希の殺害を画策するも、警備が固く計画は進まない。

 その執着心が生き霊と成った。


 クロは手掛かりという名の匂いを辿る。

 匂いの先には決まって霊達がいた。

 霊達は全てを見ている。

 霊達は全てを教えてくれた。


「憶測や可能性だけで警察は動かねえんだよ。俺はもう安易な行動は取らねえ。今ひたすら考えてるところだ……お前の親父が一番苦しむ方法をな」


 その醜悪な笑みに影野の体が震える。

 無警戒にべらべらとよく喋るな。録音していれば自白という形で捕まえられただろうが、刑務所に数年入った所で人間は変われない。

 よく我慢したな――もういいぞ。


「ぐゥっ!!」


 男が倒れ込み、足から血飛沫が弾ける。そのまま強い力でグイグイと引っ張られてゆく。


「なん、なんだよコレ!?」


 側から見れば、ひとりでに地面を滑り移動している様に見えるだろう。

 足に喰らいつくクロが、ものすごい力で男を引っ張っていく。


「お前を一番恨んでる奴がいる。そいつは自分が殺されたことよりも、愛する飼い主達に害を成すお前を許せないらしいな」


 製鉄所には溶けた鉄のプールがある。

 熱い鉄で煮えたぎるそこはまるで灼熱地獄のようで、落ちれば当然助からない。


「もうしません!! 悔い改めます! 悔い改めます!」


 涙と鼻水でぐしゃぐゃになりながら命乞いをする男。影野の視界を手で覆いながら、男の最後の瞬間を自分の目に焼き付ける。


「人間は死んでも変われないよ」


 断末魔の叫びと共に男は落下し、プールの中に火柱が上がる。慌てた様子で駆け寄る従業員達を災難に思いながらも、俺は男の魂が芯まで燃え尽き、灰となるまで見届けた。





 製鉄所での件は作業中による死亡事故として処理され、ニュースで大きく取り上げられることはなかった。

 あの日を境に身の回りで妙なことは起きなくなり、私は普通に登校できるようになっていた。


「おはよう影野さん!」

「おはよう伊藤君! 髪型似合ってるね」

「え、き、気付いたんだ……よく見てるね」


 通学路を歩ける幸せ、人と話せる幸せ。

 できなかったことが全部できる。

 皆の当たり前を噛み締めながら生きている――。



 全てが終わったあの日。

 クロが仇と共に製鉄所に消えた。


『墓参りがしたい』


 日向君を、家の庭にあるお墓へと案内した。

 彼はその前にドサリと座り、自前の餌入れを置いた。

 普段からクロのご飯を用意してたんだ……彼の優しさに目頭が熱くなり、思わず唇を噛んだ。

 肉と魚、ドッグフードを入れてゆく。

 そして再び――お墓を見上げた。

 慈悲に溢れたその表情に自然と涙が流れた。彼はクロのことを本当に大切に思っていたのだろう。

 まるでクロと対話しているかの様に目を瞑る日向君。私も横で目を瞑り、小さな英雄に感謝の気持ちを込めた。

 ややあって日向君が目を開ける。


『これで本当にさよならだな』

『クロはどうして消えたんですか……』

『成仏したってことだろうな』


 この世に留まる理由がなくなったんだ。

 そう言いながら、寂しそうに空を見上げる。

 クロは地縛霊のような存在で、未練がなくなると成仏するのだとその場で聞かされた。


『嫌いじゃなかったよ。よくやり遂げたな……相棒』


 とても優しい口調で労いながら、頭を撫でる様にお墓を撫でる日向君。

 胸がギュッと苦しくなるのを感じた。

 彼の中のクロはきっとさっきまで生きていたんだ。

 そして今の彼はかつての私達と同じ気持ちなんだと。


『ワンッ!!』

『おわっ!?』


 その後、墓の中から元気に飛び出すクロを見た日向君の表情は忘れられない。

 目的を遂げたクロは成仏せず、守護霊というものにカテゴリーが変わったのだろうと日向君は分析していた。

 クロとまた一緒になることに文句を言っていたけど、その顔は嬉しそうだった。



 ――前を歩く金髪が見え、私は思わず駆け出していた。その傍に寄り添う様に、大きな黒い犬のシルエットも見える。


「おはよう日向君!」

「朝からうるさいな……流石はクロの飼い主」

「こう見えて高血圧なんです! クロもおはよ」


 顎下を撫でてやると、クロは嬉しそうに目を細めて唸っている。道ゆく人に好奇の目を向けられても全然気にならなかった。


「俺は低血圧だから朝つらいんだよ。もう帰ろうかな……」

「ダメですよ! ここまで来たら授業受けましょう」


 何気ない朝、私がずっと望んだ朝。

 この人が私の幸せを取り戻してくれた。

 弟のこと、家のこと、そしてクロのことも。

 日向君には感謝してもしきれない恩がある。

 私は一生かけても恩を返していくつもりだ。


 それに……なんだろう。

 彼の笑顔を見ると胸がポカポカする。

 この人にはずっと笑っていてほしい。

 できれば、その隣に私もいられたら――。

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