一五


 あいこうが西のかたたいに狩してりんたころ、子路は一時えいから魯に帰っていた。そのときしようちゆたいえきという者が国にそむき魯にらいほんした。子路と一面識のあったこの男は、「季路をして我に要せしめば、われちかうことなけん。」と言った。当時のならいとして、他国に亡命した者は、その生命の保証をその国に盟ってもらってから始めて安んじてつくことができるのだが、この小邾の大夫は「子路さえその保証に立ってくれれば魯国の誓いなどいらぬ」というのである。だくを宿するなし、という子路の信と直とは、それほど世に知られていたのだ。ところが、子路はこのたのみを断わった。ある人が言う。せんじようの国の盟をも信ぜずして、ただ一人の言を信じようという。男児の本懐これにすぎたるはあるまいに、なにゆえこれを恥とするのかと。子路が答えた。国がしようちゆと事ある場合、その城下に死ねとあらば、事の如何いかんを問わずよろこんで応じよう。しかしえきという男は国を売った不臣だ。もしその保証に立つとなれば、自らばいこくを是認することになる。おれにできることか、できないことか、考えるまでもないではないか!

 子路をよく知るほどの者は、この話を伝え聞いたとき、思わず微笑した。あまりにも彼のしそうなこと、言いそうなことだったからである。


 同じ年、せいちんこうがその君をしいした。孔子はさいかいすること三日の後、哀公の前に出て、義のために斉をたんことをうた。請うことたび。斉の強さを恐れた哀公はこうとしない。そんげて事を計れと言う。こうがこれに賛成するわけがないのだ。孔子は君の前を退いて、さて人に告げて言った。「われたいしりえに従うをもつてなり。ゆえにあえて言わずんばあらず。」むだとは知りつつも一応は言わねばならぬおのれの地位だというのである。(当時孔子は国老の待遇を受けていた。)

 はちょっと顔を曇らせた。ふうのしたことは、ただ形をまっとうするためにすぎなかったのか。形さえめば、それが実行に移されないでも平気ですませる程度の義憤なのか?

 教えを受けること四十年に近くして、なお、このみぞはどうしようもないのである。

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