一三

 えいに出入することたびちんに留まること三年、そうそうさいしょうと、こうに従って歩いた。

 孔子の道を実行に移してくれる諸侯が出てこようとは、いまさら望めなかったが、しかし、もはや不思議に子路はいらだたない。世のこんだくと諸侯の無能と孔子の不遇とに対するふんまんしようそうを幾年かくり返したのち、ようやくこのごろになって、ばくぜんとながら、孔子およびそれに従う自分らの運命の意味がわかりかけてきたようである。それは、消極的にあきらめる気持とはだいぶ遠い。同じくというにしても、「一小国に限定されない・一時代に限られない・天下万代のぼくたく」としての使命に目覚めかけてきた・かなり積極的なである。きようの地で暴民に囲まれたときこうぜんとして孔子の言った「天のいまだの文をほろぼさざるやきようひとそれわれ如何いかんせんや」が、今は子路にも実によくわかってきた。いかなる場合にも絶望せず、けっして現実をけいべつせず、与えられた範囲で常に最善を尽くすという師のの大きさもわかるし、常に後世の人に見られていることを意識しているような孔子のきよの意味も今にして初めてうなずけるのである。あり余る俗才に妨げられてか、明敏こうには、孔子のこの超時代的な使命についての自覚が少ない。ぼくちよく子路のほうが、その単純きわまる師への愛情のゆえであろうか、かえって孔子というものの大きな意味をつかみえたようである。

 放浪の年を重ねている中に、子路ももはや五十歳であった。けいかくがとれたとは称しがたいながら、さすがに人間の重みも加わった。後世のいわゆる「ばんしよう我において何をか加えん」の気骨も、けいけいたるその眼光も、やせろうにんのいたずらなるから離れて、すでに堂々たる一家の風格を備えてきた。

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