一一

 きよからしようへと出るみちすがら、子路がひとり孔子の一行に遅れて畑中の路を歩いて行くと、あじかにのうた一人の老人に会った。子路が気軽にしやくして、ふうを見ざりしや、と問う。老人は立ち止って、「夫子夫子と言ったとて、どれがいったいなんじのいう夫子やらおれにわかるわけがないではないか」とつっけんどんに答え、子路のにんていをじろりとながめてから、「見受けたところ、四体を労せず実事に従わず空理空論に日を暮らしている人らしいな。」とさげすむように笑う。それから傍の畑に入りこちらを見返りもせずに草を取り始めた。いんじやの一人に違いないと子路は思っていちゆうし、道に立って次の言葉を待った。老人は黙って一仕事してから道に出て来、子路をともなっておのが家に導いた。すでに日が暮れかかっていたのである。老人は鶏をつぶしきびかしいで、もてなし、二人の子にも子路を引合わせた。食後、いささかの濁酒に酔いのまわった老人は傍なるきんを執ってだんじた。二人の子がそれに和してうたう。


たんたんタル露アリ

陽ニあらザレバ

えんえんトシテ夜飲ス

酔ハズンバ帰ルコトナシ


 明らかに貧しい生活くらしなのにもかかわらず、まことに融々たるゆたかさが家中にあふれている。なごやかにち足りた親子三人の顔つきの中に、時としてどこか知的なものがひらめくのも、見逃しがたい。

 だんじ終わってから老人が子路に向かって語る。陸を行くには車、水を行くには舟と昔から決まったもの。今陸を行くに舟をってすれば、如何いかん? 今の世にしゆうの古法を施そうとするのは、ちょうど陸に舟をるがごときものというべし。に周公の服を着せれば、驚いて引裂きてるに決まっている。うんぬん……子路をこうもんと知っての言葉であることは明らかだ。老人はまた言う。「楽しみ全くしてはじめて志を得たといえる。志を得るとはけんべんいいではない。」と。たんぜんきよくとでもいうのがこの老人の理想なのであろう。子路にとってこうしたとんせいてつがくははじめてではない。ちようけつできの二人にもった。せつ輿というようきようの男にも遇ったことがある、しかしこうして彼らの生活の中に入り一夜をともに過ごしたことは、まだなかった。穏やかな老人の言葉とたるそのすがたに接しているうちに、子路は、これもまた一つの美しき生き方には違いないと、いくぶんのせんぼうをさえ感じないではなかった。

 しかし、彼も黙って相手の言葉にうなずいてばかりいたわけではない。「世と断つのはもとより楽しかろうが、人の人たる所以ゆえんは楽しみを全うするところにあるのではない。区々たる一身をいさぎようせんとして大倫をみだるのは、人間の道ではない。我々とて、今の世に道の行なわれないことぐらいは、とっくに承知している。今の世に道を説くことの危険さも知っている。しかし、道なき世なればこそ、危険を冒してもなお道を説く必要があるのではないか。」

 翌朝、子路は老人の家を辞して道を急いだ。みちみち孔子と昨夜の老人とを並べて考えてみた。孔子の明察があの老人に劣るわけはない。孔子のよくがあの老人よりも多いわけはない。それでいてなおかつおのれを全うするみちて道のために天下を周遊していることを思うと、急に、昨夜はいっこうに感じなかったぞうを、あの老人に対して覚え始めた。ひる近く、ようやく、はるか前方のまっさおなむぎばたけの中に一団の人影が見えた。その中で特にきわ立ってたけの高い孔子の姿を認めえたとき、子路は突然、何か胸をめつけられるような苦しさを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る