一〇

 しようこうこうりゆうを好むことはなはだしい。居室にも竜をしゆうちようにも竜を画き、日常竜の中にしていた。これを聞いたものの天竜が大きによろこんで一日葉公の家にくだおのれの愛好者をのぞき見た。頭はまどうかがい尾は堂にくというすばらしい大きさである。葉公はこれを見るやおそれわなないて逃げ走った。そのこんぱくを失い五色主なし、というなさであった。

 諸侯はこうの賢の名を好んで、その実をよろこばぬ。いずれも葉公の竜におけるたぐいである。実際の孔子はあまりに彼らには大きすぎるもののように見えた。孔子をこくひんとして遇しようという国はある。孔子の弟子の幾人かを用いた国もある。が、孔子の政策を実行しようとする国はどこにもない。きようでは暴民のりようじよくを受けようとし、そうではかんしんの迫害にい、ではまたきようかんの襲撃を受ける。諸侯の敬遠と御用学者のしつと政治家連のはいせきとが、孔子を待ち受けていたもののすべてである。

 それでもなお、こうしようをやめずせつおこたらず、孔子と弟子たちとはまずに国々への旅を続けた。「鳥よく木を選ぶ。木あに鳥をえらばんや。」などといたって気位は高いが、けっして世をねたのではなく、あくまで用いられんことを求めている。そして、おのれらの用いられようとするのは己がためにあらずして天下のため、道のためなのだと──全くあきれたことにそう考えている。乏しくとも常に明るく、苦しくとも望みを捨てない。まことに不思議な一行であった。


 一行が招かれてしようおうのもとへ行こうとしたとき、ちんさいたいどもがあいはかり秘かに暴徒を集めて孔子らをみちに囲ましめた。孔子の楚に用いられることをおそれこれを妨げようとしたのである。暴徒に襲われるのはこれが始めてではなかったが、この時は最もこんきゆうに陥った。りようどうが絶たれ、一同しよくせざること七日に及んだ。さすがに、え、疲れ、病者も続出する。弟子たちのこんぱいきようこうとの間にあって孔子はひとり気力少しも衰えず、平生どおりげんしてまない。従者らのはいを見るに見かねたが、いささか色をして、絃歌する孔子の側に行った。そうしてたずねた。ふうの歌うは礼かと。孔子は答えない。絃をあやつる手も休めない。さて曲が終わってからようやく言った。

 「ゆうよ。我なんじげん。くんがくを好むはおごるなきがためなり。しようじんがくを好むはおそるるなきがためなり。それ誰の子ぞや。我を知らずして我に従う者は。」

 子路は一瞬耳を疑った。このきゆうきようにあってなおおごるなきがためにがくをなすとや? しかし、すぐにその心に思い到ると、とたんに彼はうれしくなり、覚えずほこって舞うた。孔子がこれに和してだんじ、曲、たびめぐった。かたわらにある者またしばらくは飢えを忘れ疲れを忘れて、このこつな即興の舞に興じ入るのであった。


 同じちんさいやくのとき、いまだ容易に囲みの解けそうもないのを見て、子路が言った。君子も窮することあるか? と。師のへいぜいの説によれば、君子は窮することがないはずだと思ったからである。孔子が即座に答えた。「窮するとは道に窮するのいいにあらずや。今、きゆうじんの道をいだき乱世の患にう。何ぞ窮すとなさんや。もしそれ、食足らず体つかるるをって窮すとなさば、くんももとより窮す。ただ、しようじんは窮すればここにみだる。」と。そこが違うだけだというのである。は思わず顔をあからめた。おのれの内なる小人を指摘された心地である。窮するもめいなることを知り、大難に臨んでいささかの興奮の色もない孔子のすがたを見ては、大勇なるかなと嘆ぜざるを得ない。かつての自分の誇りであった・はくじん前にまじわるも目まじろがざるていの勇が、なんとみじめになことかと思うのである。

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