しんの地で石がを言ったという。民のえんの声が石をりて発したのであろうと、あるけんじやが解した。すでにすいしたしゆうしつはさらに二つに分かれて争っている。十に余る大国はそれぞれあいむすあいたたかってかんのやむ時がない。せいこうの一人は臣下の妻に通じて夜ごとその邸に忍んで来るうちについにその夫にしいせられてしまう。では王族の一人がびよう中の王のくびをしめて位を奪う。ではあしくびり取られた罪人どもが王を襲い、晋では二人の臣が互いに妻を交換し合う。このような世の中であった。

 しようこうじようけいへいを討とうとしてかえって国をわれ、亡命七年にして他国できゆうする。亡命中帰国の話がととのいかかっても、昭公に従った臣下どもが帰国後のおのれの運命を案じ公を引留めて帰らせない。魯の国はそんしゆくそんもうそん三氏の天下から、さらに季氏のさいようほしいままな手にあやつられていく。

 ところが、その策士陽虎が結局おのれの策に倒れて失脚してから、急にこの国の政界の風向きが変わった。思いがけなくこうが中都の宰として用いられることになる。公平無私な官吏やれんちゆうきゆうを事とせぬ政治家の皆無だった当時のこととて、孔子の公正な方針と周到な計画とはごく短い期間に驚異的な治績をげた。すっかり驚嘆した主君のていこうが問うた。なんじの中都を治めしところの法をもって魯国を治むればすなわち如何いかん? 孔子が答えて言う。何ぞただ魯国のみならんや。天下を治むるといえども可ならんか。およそとはえんの遠い孔子がすこぶるうやうやしい調子ですましてこうした壮語をろうしたので、定公はますます驚いた。彼はただちに孔子をくうげ、続いてだいこうに進めてさいしようの事をも兼ねらせた。孔子の推挙で国の内閣書記官長ともいうべき季氏の宰となる。孔子の内政改革案の実行者としてまっ先に活動したことはいうまでもない。

 孔子の政策の第一は中央集権すなわちこうの権力強化である。このためには、現在魯侯よりも勢力をもつしゆくもうさんかんの力をがねばならぬ。三氏の私城にして百(厚さ三丈、高さ一丈)を超えるものにこうせいの三地がある。まずこれらをこぼつことに孔子は決め、その実行に直接当たったのが子路であった。

 自分の仕事の結果がすぐにはっきりと現われてくる、しかも今までの経験にはなかったほどの大きい規模で現われてくることは、子路のような人間にとって確かに愉快に違いなかった。ことに、既成政治家の張りめぐらしたかんあくな組織や習慣を一つ一つ破砕して行くことは、子路に、今まで知らなかった一種のいきを感じさせる。多年の抱負の実現に生き生きと忙しげな孔子の顔を見るのも、さすがにうれしい。孔子の目にも、弟子の一人としてではなく一個の実行力ある政治家としての子路の姿がたのもしいものに映った。

 の城をこわしにかかったとき、それに反抗してこうざんじゆうという者がひとを率いの都を襲うた。だいに難を避けた定公の身辺にまではんぐんの矢が及ぶほど、一時は危うかったが、孔子の適切な判断と指揮とによってわずかに事なきを得た。子路はまた改めて師の実際家的手腕に敬服する。孔子の政治家としての手腕はよく知っているし、またその個人的なりよりよくの強さも知ってはいたが、実際の戦闘に際してこれほどの鮮やかな指揮ぶりを見せようとは思いがけなかったのである。もちろん、自身もこの時はまっ先に立って奮い戦った。久しぶりにふるう長剣の味も、まんざらてたものではない。とにかく、けいしよの字句をほじくったりれいを習うたりするよりも、あらい現実の面と取っ組み合って生きていくほうが、この男のしように合っているようである。


 せいとの間の屈辱的こうのために、定公がこうをしたがえて斉のけいこうきようこくの地に会したことがある。そのとき孔子は斉の無礼をとがめて、景公はじめぐんけいしよたいを頭ごなしにしつした。戦勝国たるはずの斉の君臣一同ことごとくふるえ上がったとある。子路をして心からのかいさいを叫ばしめるに充分な出来事ではあったが、この時以来、強国斉は、隣国のさいしようとしての孔子の存在に、あるいは孔子の施政の下に充実していくの国力に、おそれを抱き始めた。苦心の結果、まことにいかにも古代式な苦肉の策がられた。すなわち、斉から魯へ贈るに、歌舞に長じた美女の一団をもってしたのである。こうして魯侯の心をとろかし定公と孔子との間を離間しようとしたのだ。ところで、さらに古代支那式なのは、この幼稚な策が、魯国内反孔子派の策動とあいって、あまりにも速く効を奏したことである。魯侯はじよがくふけってもはやちように出なくなった。かん以下の大官連もこれにならい出す。子路はまっ先に憤慨して衝突し、官を辞した。孔子は子路ほど早く見切りをつけず、なおつくせるだけの手段をつくそうとする。子路は孔子に早くめてもらいたくてしかたがない。師が臣節を汚すのをおそれるのではなく、ただこのみだらな雰囲気の中に師を置いてながめるのがたまらないのである。

 孔子の粘り強さもついにあきらめねばならなくなったとき、子路はした。そうして、師に従ってよろこんで魯の国を立ち退いた。

 作曲家でもあり作詞家でもあった孔子は、しだいにとおざかり行くじようを顧みながら、歌う。

 の口には君子ももつて出走すべし。の美婦のえつには君子も以て死敗すべし。……

 かくて永年にわたる孔子の遍歴が始まる。

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