ある日が街を歩いて行くとかつての友人の二、三に出会った。無頼とはいえぬまでもほうじゆうしてこだわるところのないゆうきようである。子路は立ち止ってしばらく話した。そのうちに彼らの一人が子路の服装をじろじろ見まわし、やあ、これがじゆふくというやつか? ずいぶんみすぼらしいだな、と言った。長剣が恋しくはないかい、とも言った。子路が相手にしないでいると、今度は聞き捨てのならぬことを言い出した。どうだい。あのこうきゆうという先生はなかなかのくわせものだっていうじゃないか。しかつめらしい顔をして心にもないことをまことしやかに説いていると、えらく甘い汁が吸えるものと見えるなあ。別に悪意があるわけではなく、こころやすてからのいつもの毒舌だったが、子路は顔色を変えた。いきなりその男のむなぐらをつかみ、右手のこぶしをしたたかよこつらに飛ばした。二つ三つ続けざまにくらわしてから手を離すと、相手はなく倒れた。あつに取られている他の連中に向かっても、子路は挑戦的な眼を向けたが、子路の剛勇を知る彼らは向かって来ようともしない。なぐられた男を左右からたすけ起こし、すて台詞ぜりふ一つ残さずにと立ち去った。


 いつかこのことがこうの耳にはいったものと見える。子路が呼ばれて師の前に出て行ったとき、直接には触れないながら、次のようなことを聞かされねばならなかった。いにしえくんは忠をもってしつとなしじんをもってえいとした。ぜんある時はすなわち忠をもってこれを化し、しんぼうある時はすなわち仁をもってこれを固うした。腕力の必要を見ぬ所以ゆえんである。とかくしようじんそんをもって勇とみなしがちだが、君子の勇とは義を立つることのいいであるうんぬん。神妙に子路は聞いていた。


 数日後、子路がまた街を歩いていると、往来のかげかんじんたちの盛んに弁じている声が耳にはいった。それがどうやら孔子のうわさのようである。──昔、昔、となんでもいにしえかつぎ出して今をけなす。誰も昔を見たことがないのだからなんとでも言えるわけさ。しかし昔の道をしやくじょうにそのままんで、それでうまく世が治まるくらいなら、誰も苦労はしないよ。おれたちにとっては、死んだしゆうこうよりも生けるよう様のほうが偉いということになるのさ。

 こくじようの世であった。政治の実権がこうからそのたいたるそん氏の手に移り、それが今やさらに季孫氏の臣たる陽虎という野心家の手に移ろうとしている。しゃべっている当人はあるいは陽虎の身内の者かもしれない。

 ──ところで、その陽虎様がこの間からこうきゆうを用いようと何度も迎えを出されたのに、なんと、孔丘のほうからそれを避けているというじゃないか。口ではたいそうなことを言っても、実際の生きた政治には自信がないのだろうよ。あの手合いはね。

 背後うしろから人々を分けて、つかつかと弁者の前に進み出た。人々は彼が孔門のであることをすぐに認めた。今までとくとくと弁じ立てていた当の老人は、顔色を失い、意味もなく子路の前に頭を下げてからひとがき背後うしろに身を隠した。まなじりを決した子路のぎようそうがあまりにすさまじかったのであろう。


 その後しばらく、同じようなことが処々で起こった。肩を怒らせけいけいと眼を光らせた子路の姿が遠くから見え出すと、人々はこうそしる口をつぐむようになった。

 子路はこのことでたびたび師にしかられるが、自分でもどうしようもない。彼は彼なりに心の中では言い分がないでもない。いわゆる君子なるものがおれと同じ強さの忿ふんを感じてなおかつそれをおさえうるのだったら、そりゃ偉い。しかし、実際は、俺ほど強く怒りを感じやしないんだ。少なくとも、抑えうる程度に弱くしか感じていないのだ。きっと……。


 一年ほどたってから孔子が苦笑とともに嘆じた。ゆうが門に入ってから自分は悪言を耳にしなくなったと。

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